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サジェスの火事とダーク・エルフの侵入。この森始まって以来ともいえる騒動に、イスタの族長代理であるサラフィンは忙殺された。夜明けまでは火事への対処。それからはダーク・エルフの襲撃に備えた対策会議を開き、不眠不休だ。ようやく族長代理の職務から解放されたのは昼過ぎだった。だが、それでもサラフィンは一息つくこともなく、その足でウィルのところへ向かった。
その途中、サラフィンの耳に美しい旋律が聞こえてきた。
音のする方向へ顔を向けると、そこにウィルがいた。木の幹に身を預けながら、枝にそって長い脚を投げ出している。その手には銀製の竪琴が抱えられていた。
そう言えば、彼が吟遊詩人だと名乗っていたのを、サラフィンは思い出した。竪琴のことは分からないが、腕前は確かなようで、その音色だけで陶然としてしまう。ウィルが魔法の使い手だと知らなければ、なぜ一介の吟遊詩人がエスクード王から密書を託されてきたのか分からなくなるところだ。
「どうした?」
不意に旋律が途切れ、サラフィンは我に返った。どうやら、すっかりと聞き惚れてしまったらしい。サラフィンは咳払いをした。
「これから《千年樹》の元へ行こうと思う。賢人会議へ出るには、今からでないと間に合わない」
ジェンマの代理として、これからがサラフィンにとって重要な仕事であった。ダーク・エルフのことを各族長たちと話し合わなければならない。
「ついては、あなたにも同道してもらいたい。デスバルクの軍勢がどのようなものか、他の族長たちに説明してもらった方がいいだろう。いわば、エスクード王の代理だ」
それを聞いたウィルは、ひらりと枝から飛び降りた。
「オレはそのように大層な者ではない。ただの吟遊詩人だ。しかし、密書をエルフ族の長に渡すのがエスクード王との約束。同道には従おう」
「すまない」
二人は並んで歩き始めた。ところが、何歩も行かぬうちに、すぐ足を止めることになる。
『サラフィン、ラバのシャルム=グラン様がお越しになられた』
その声は風によってサラフィンたちの所へ運ばれてきた。魔法による遠隔会話だ。
「シャルム=グラン様が?」
意外な来訪者にサラフィンは怪訝な顔をした。ラバの集落の族長であるシャルム=グランならば、当然、今頃は賢人会議に出席するために《千年樹》へ向かっているはずだ。それを何故、わざわざ反対方向であるイスタに立ち寄ろうと思ったのか。
「分かった。私が出迎える」
サラフィンは同じように風へ伝えると、ウィルの方を振り返った。
「ちょっと、ここで待っていてくれ」
サラフィンはウィルを残して、足早にシャルム=グランのところへ向かった。
シャルム=グランが人間を嫌っていることは以前から知っている。ウィルはデスバルクの復活とダーク・エルフの侵入を知らせてくれた功労者だが、今、余計な波風を立てない方がいいだろう。どのみち、賢人会議では顔を合わすことになるのだ。サラフィンはそう判断した。
集落の入口まで出向くと、エルフ族にしては体格の大きなシャルム=グランがいた。他にもラバのエルフたちを連れているのを見て、サラフィンは物々しさを感じる。イヤな予感がした。
「ご無沙汰しております、シャルム=グラン様。今日はどうされました?」
サラフィンは緊張した面持ちのイスタのエルフたちを掻き分けると、丁重にシャルム=グランを出迎えた。しかし、相手は最初から立腹した様子を隠しもしなかった。
「サラフィン! よくも長い間、我々を騙しおったな!」
まるで雷を落とすかのように、シャルム=グランはいきなり激昂した。さすがのサラフィンも鼻白む。
「何のことですか、シャルム=グラン様?」
「とぼけるか! イスタでハーフ・エルフの小娘をかくまっていただろう!」
サラフィンは顔を強張らせた。ミシルのことを知られてしまったとは。しかも、この人間嫌いな男に。
「隠してもムダだ! サジェスへ消火に来たイスタの者から、すでに聞き出している! そして、トーラスにもな!」
トーラスの名前が出て、サラフィンは内心、ドキリとした。トーラスにはミシルを捜し出すよう頼んである。彼は見つけられただろうか。
「もっとも、オレが問いただそうとすると、トーラスめは逃げおった! フン! 答えずとも、逃げたのが何よりの証拠! サラフィン! 集落ぐるみで我ら同族を騙したこと、ただでは済まされぬぞ!」
口角泡を飛ばしながら、シャルム=グランは言い放った。サラフィンの後ろにいるイスタのエルフたちは、すっかりすくみあがってしまっている。だが、サラフィンはシャルム=グランの威圧感に耐えた。
「分かりました。その件に関しては、直接、我が族長であるジェンマ様にお尋ねください。族長のお考えが、我々の総意でありますので」
そう言って、サラフィンはうやうやしく頭を垂れた。気にくわないシャルム=グランは鼻を鳴らす。
「お前もトーラスと同じようなことを言う。しかし、お前たちがハーフ・エルフの小娘を育ててきたこと、必ず後悔するぞ!」
「それはどういう意味です?」
「そのハーフ・エルフがサジェスのアルフリード殿を殺害したんです」
シャルム=グランの後ろにいた息子のエスターが、父に代わって説明した。思いもしなかった言葉に、サラフィンはショックを受ける。
「まさか! ミシルがそんなことをするわけが──」
「ちゃんと目撃者がいるんです! もし、かくまっているのなら、すぐに身柄を引き渡してください」
どのような罪を犯そうとも、エルフ族に死刑はない。しかし、これがハーフ・エルフとなれば別だ。ましてや、蔑視の対象となっているハーフ・エルフに、まともな取り調べもされるわけがなかった。
サラフィンは青白い顔で唇を震わせながら、
「今はここにいません」
とだけ答えた。そして、トーラスがしっかりとミシルを保護していることを祈る。
「では、ジェンマ殿に会わせてもらおうか。一応、どのような事情でそうなったのか聞いておかねば」
「は、はい。こちらへ」
サラフィンはシャルム=グランたちを案内した。
火急の知らせが飛び込んできたのは、その刹那だ。
『大変だ、サラフィン!』
また風に乗って別の声が届いた。それも切迫している。
「どうした?」
『サジェスを襲ったヤツが──』
皆まで聞く必要はなかった。上空に太陽とは違う火の塊が見えたからだ。
それはサジェスの集落を焼き尽くしたダーク・エルフ、アッガスであった。一度は失いかけた力を取り戻したのか、その全身を猛々しい火龍と化し、イスタへと飛来してくる。昼の明るさのせいで、昨夜のような禍々しさは感じられないが、まるで大空を駆ける炎の大蛇だ。
アッガスの襲撃に、シャルム=グランは武者震いした。戦士の血が沸き立つ。
「あれがサジェスを襲ったダーク・エルフか!」
シャルム=グランは大弓を手にすると、すぐさま矢をつがえた。そして、限界まで弓を引き絞る。
「死んでいったサジェスの者の無念、晴らしてくれよう!」
矢が放たれた。距離はかなりある。普通であれば届かない。だが、シャルム=グランの矢だ。少しもスピードを緩めることなく、矢は一直線に飛んだ。
火龍となったアッガスに、見事、矢は命中した。だが、アッガスの全身をまとう炎が瞬時にして矢を炭化させ、急所までは届かない。シャルム=グランとサラフィンは、驚異の千里眼でそれを目撃した。
「おのれ!」
シャルム=グランが歯噛みする。
一方、アッガスはいよいよ攻撃に移った。上空から降下し始める。狙いは──先制攻撃を仕掛けられたシャルム=グランの所だ。
「く、来る!」
エスターの声が裏返った。一端の《監視者》ではあるが、命を懸けた実戦は初めての経験だ。
「全員、冷却呪文だ! グレイル!」
魔法を唱えられる者は、フリーズ・アローを発射した。しかし、命中してもまるでびくともしない。
「う、うわあああああああっ!」
エスターは火龍が迫ってくるのを見て、思わず目をつむった。シャルム=グランとサラフィンは、あきらめずにフリーズ・アローを連射する。焼け石に水。
「マー・カーク・シオン!」
火龍がサラフィンたちを呑み込むかと思われた刹那、突如として上空に青いスクリーンがかかった。火龍はそれに激突し、跳ね返されてしまう。
助かったという安堵よりも、皆、何が起こったのか茫然とした。
そこへ火龍に向かっていく黒い孤影。翼もないのに飛んでいる。
「ウィル!?」
サラフィンが声を漏らした。
アッガスの襲撃からサラフィンたちばかりでなく、イスタの集落全体を魔法結界で守ったのは、黒い旅装束の男ウィルであった。
「お前の相手はこのオレだ」
飛行呪文で空中静止したウィルは、黒いマントをはためかせながら、のたうつアッガスの火龍に怜悧な眼を向けた。
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