←前頁]  [RED文庫]  [「吟遊詩人ウィル」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→



吟遊詩人ウィル

冒された森

−26−

「誰だ、あれは!?」
 上空を見上げたシャルム=グランが、ほとんど詰問に近い勢いでサラフィンに尋ねた。当然、ウィルのことである。シャルム=グランには、あれだけの大掛かりな魔法──イスタの集落全体をカバーするほどの魔法結界を張れる人物に心当たりがなかったからだ。そもそも魔法結界はエルフたちが得意とする白魔法<サモン・エレメンタル>ではなく、聖魔法<ホーリー・マジック>であり、この隔絶された森に棲むエルフ族が扱えるものではなかった。
「彼はウィル。人間です」
「人間だと!?」
 サラフィンの口から意外な言葉を聞き、シャルム=グランは目を剥いた。
 危ないところを人間に助けられた。そのことがシャルム=グランのプライドをいたく傷つけたようだ。
 サラフィンは言い添える。
「デスバルクの復活を教えてくれたのは彼です。彼こそがエスクード王の使いなのです」
「………」
 シャルム=グランは上空を睨みつけたまま、言葉を発しなかった。
 魔法結界によって襲撃を阻まれた火龍──アッガスは、ウィルを前にして怒り狂っているようだった。その証拠に体を為している炎が勢いを増し、全体的に大きく膨れ上がった感じがする。さらに、まるで鎌首をもたげるようにし、黒衣の吟遊詩人を威嚇した。
 対するウィルは強大な的を前にしても平然としたものだった。悠然と待ちかまえる。だが、その内に秘める闘志はいつも以上に激しい。なぜならば、昨晩、サジェス襲撃の折に救援へ向かおうとしていたところをサラフィンに止められていたからだ。いくらこの森のエルフ族にとっては余所者とはいえ、サジェスの集落が燃やされ、罪もない者たちが命を奪われていくのを、ただ指をくわえて見ているのはつらかった。
 しかし、今ならばアッガスと戦う正当な理由がある。襲われたのはウィルが滞在していたイスタの集落だ。あのままアッガスの襲撃を待っていたら、サジェスの二の舞になっていただろう。降りかかる火の粉を振り払うのに、誰の承諾がいるだろうか。
 火龍は猛然とウィルへ突進した。その炎の顎門<あぎと>で丸飲みにしようとしてくる。
 ウィルは火龍を充分に引きつけると、その頭上へひらりと逃れた。しかし、そこへ火龍の尾が追い討ちをかける。だが、それも読んでいたかのように、ウィルは木の葉のように舞った。あたかも空中で舞踏を踊っているかのようだ。その様は戦いの最中であるのに優雅ですらある。
 突進と二撃目をあっさりかわされても、簡単にあきらめるアッガスではなかった。すぐに転進し、再びウィルへと襲いかかる。
 ウィルは飛行魔法をコントロールして加速した。火龍から離れようとする。アッガスもまた、そうはさせじとスピードを上げた。
 ウィルと火龍。火龍の方が飛行速度に長けていた。ウィルとの距離が瞬く間に縮まっていく。
 炎の顎門<あぎと>が小さき獲物を捉えようとした刹那、ウィルは急に方向を変えた。スピードでは火龍に劣っても、体が小さい分だけ小回りは有利だ。火龍の体に沿って、ウィルの黒影が流れる。
「エスラーダ・グレイス!」
 至近距離でウィルが呪文を唱えた。絶対零度のブリザードが火龍を包み込む。
 サラフィンやシャルム=グランたちが一斉に唱えた冷却魔法でもビクともしなかった火龍の炎は、たった一人が発動した高位冷却魔法によって、たちまち凍りついた。氷の中に炎が閉じこめられる。それと同時に火龍は飛行能力を失った。
 火龍は為す術なく墜落した。ウィルが作り上げたイスタを覆う魔法結界の青いスクリーンに叩きつけられる。氷漬けの火龍は、まるでガラスのように砕け散った。
「おおっ!」
 両者の戦いを注視していたエスターとシャルム=グランの従者たちが感嘆の声を上げた。勝負ありと見たのだ。その横にいるシャルム=グランは面白くなさそうにムッツリとしている。
 ところが決着はまだだった。砕け散った氷の炎の中から一人のダーク・エルフが放り出されるのが見えた。アッガスだ。魔法結界の上で四つん這いになりながら、空の上を漂うウィルを見上げる。
 そのとき、ウィルはわずかに眉をひそめた。アッガスの異変を目撃したからだ。
 ダーク・エルフの黒い皮膚には、何本もの黒い筋が走っていた。まるで血管が浮き出ているように見えるが、明らかにそれよりも太く、不気味だ。おまけに白目を剥いている。これもデスバルクによる禁呪の影響なのか。その辺は判然としないが、アッガスの肉体が何らかの異常を来していることは明白だった。
「うらあああああああっ!」
 シュババババババババッ!
 アッガスの両手からウィルに向かって炎の矢が連射された。白魔法<サモン・エレメンタル>のファイヤー・ボルトに似ているが、アッガスは炎の使い手、これくらいのことは呪文を用いなくても出来るのだろう。ウィルは空中で回避運動を取った。
 そうやってウィルが降りてこられないようにしておいてから、アッガスは魔法結界の上に立ち上がった。そして全身に気を込める。
 ブワッ!
 再びアッガスの肉体を炎が包み込んだ。どんなに力を使おうとも、昨夜のように消耗するような素振りをまったく微塵も見せない。まだまだ余力がありそうだった。
 全身が火の塊となったアッガスは飛び上がった。火球は加速していき、次第に長く尾を引いていく。それが火龍となった。
「エスラーダ・グレイス!」
 真っ向から突っ込んでくる火龍に対し、ウィルは二度目のブリザードを使った。氷が火龍の頭から封じ込めていく──が、突然、炎は爆発的に膨れ上がり、冷気を霧散させてしまった。今度はアッガスの火力がウィルの冷却魔法に勝ったのだ。
「ウィル!」
 戦いを見守っていたサラフィンが思わず声を上げた。下からでは、火龍の突進を食い止められなかったウィルが、とうとう餌食になってしまったように見えたからだ。
 だが、ウィルは間一髪、火龍から逃れることが出来た。一瞬、身を包んだ炎を吹き飛ばしながら、火龍の陰から現れる。サラフィンはふーっと息を吐き出した。
 火龍は一段とパワーアップしたかのようだった。ウィルのブリザードすら霧散させる火力は、まるで天空にもう一つの太陽が生まれたかのようだ。距離を保っていても、黒衣の吟遊詩人はジリジリと灼かれた。
「打つ手がなくなったな」
 上空の戦いを見上げていたシャルム=グランが呟くように言った。サラフィンも同感だ。炎の怪物となっているアッガスに唯一対抗できるのは、その炎を消す冷却魔法。その攻撃が通用しないのだ。この火龍を斃す術はもうない。
 しかし、相対するウィルに悲愴感はまったくなかった。まだ勝機があるというのか。
 ウィルの右手が左の腰へ伸びた。グノーとの戦いで一度抜かれた伝説の武具。
「無理だ! いくら何でも!」
 自分の声が届かぬと知りながら、サラフィンは叫ばずにいられなかった。
 ウィルは抜いた。《光の短剣》を。
 刀身がまばゆく輝き始めた。その光は太陽にもアッガスの火龍にも劣らない。
「玉砕か」
 シャルム=グランが呟いた。いくら魔法の武器であろうとも、相手に当たらない限りは意味がない。あの火龍に近づけるわけがなかった。近づけば命を落とすのはウィルの方だ。
「──いや」
 そう思ったシャルム=グランだったが、急に考えを改めた。ウィルを見ていて、あの男が玉砕などという愚かな行動を取るわけがないと思えたからだ。いつの間にかウィルの戦いを見守っているうちに、彼が人間であるというわだかまりが消えていた。
 今、異形のダーク・エルフと戦っているのは、イスタの集落をただ守ろうとしている一人の戦士だ。
 ──否、魔人なり。
 そのことをシャルム=グランたちは、後に思い知らされることになろうとは。
 火龍がトドメを刺さんと、ウィルへ襲いかかった。ウィルもまた、その火龍へと突っ込んでいく。《光の短剣》が強烈な光を放ち始めた。
「炎よ、我が衣となれ! ダル・ブラッヘイム!」
 ウィルが呪文を唱えると、全身が炎に包まれた。火の玉となったウィル。さらに加速していくと炎が尾を引き、もう一匹の火龍と化す。
 自ら炎と一体になることによって、アッガスの炎を無力化する。それがウィルの秘策だった。
 ウィルとアッガス。火龍と火龍。両者は正面からまともに激突した。
 ドォォォォォォォォォォォン!
 火龍同士の激突によって、空中には閃光が走り、花火のように幾筋もの炎が飛び散った。その爆発は魔法結界で隔てられていても、ビリビリとサラフィンたちに伝わる。空を見上げながら、思わず手をかざした。
 二匹の火龍は互いを喰らわんとしていた。だが、どちらも一歩も退かない。力は互角に見えた。
 ところがやがて、一方の火龍が圧倒し始めた。相手の顎門<あぎと>が二つに裂けていく。どちらがどちらであるか言うまでもない。
 勝負を分けたのは、火龍の牙であった。すなわち──
「ああ、光が──」
 エスターの声が震えていた。火龍の牙が光り輝き、もう一方の火龍を引き裂いていく。
 それは《光の短剣》──ウィルの持つ牙だ。
 アッガスの火龍はウィルによって真っ二つにされた。同時に、本体であるアッガスも《光の短剣》によって両断される。二つに切り裂かれたアッガスの火龍は、まるで木屑のように上下にめくれあがった。


<次頁へ>


←前頁]  [RED文庫]  [「吟遊詩人ウィル」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→