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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−2−

 一年前のラバンを知る者は、おそらく今の村の姿が別のものに見えたことだろう。
 それくらいラバンの村は様変わりしていた。かつては、山林に囲まれた自給自足にも事欠くような貧しい村で、訪れる者もいない辺鄙な地に過ぎなかったのである。
 しかし、ルッツ王国において、それは別に珍しいことではない。ルッツ王国はネフロン大陸西方に勢力を誇る五大王国の中でも一番大きいが、その国土のほとんどは山岳地帯であり、人が住めるところは自然と点在する他なく、道が険しいために互いの交友や流通も盛んではない。王都マンセルと鉱山都市クリピスを例外とすれば、どこも孤立した村ばかりであった。
 ところが、今のラバンには各地から大勢の人々が押し寄せていた。そのほとんどが一攫千金を狙った冒険者たち。それにまた引き寄せられるように、ひと商売を目論む連中もいた。
 かつてない流入によって、ラバンは見る見るうちに大きくなり、新たな建物が造られ、いろいろな人々で賑わうようになった。すでに村という規模ではなく、ひとつの町とさえ言っていいだろう。経済的にも潤うようになり、元々の住民たちも生活が一変した。
 そんな幸運が訪れたのも、一年前、大雨が降った際に発生した土砂崩れが原因だった。削られた村近くの山肌から古代王国期のものらしい遺跡の入口が発見されたのである。
 この時代、千年以上も前に栄えた古代王国の遺跡は、とても貴重なものだった。ほとんど解明されていない古代王国時代を知る手掛かりとしてはもちろんのこと、中には高額で取引される魔法の品々が眠っていることも多く、その価値は計り知れない。よって、その話を聞きつけた学者、魔術師に限らず、危険を冒してでも大金を手にしたい輩が大挙して訪れるのは、新しく発見された遺跡に付き物だった。
 だが、ラバンの遺跡には危険なモンスターが棲みついており、遺跡の探索は簡単に進まなかった。それどころか、金に目のくらんだ多くの者たちを犠牲としており、呪われた遺跡などと呼ばれ、諦めて去っていく者も少なくない。それでも挑戦する者は決して絶えることはなく、今日もまた誰かが遺跡の中へと消えていくのだった。
 そのような理由で、ラバンはそういった探索者たち滞在するには都合のいい場所となり、瞬く間にいろいろな利便が考えながら独特の発展をしていった。様々な国からやって来た人々が闊歩し、大陸各地の文化が入り乱れる。人種のるつぼと化したラバンでは、もう大抵のことでは誰も動じなかった。
 ところが、さすがにこの日、初めてラバンへ現れた新たな人物に、人々はハッとせずにいられなかっただろう。その異様な風体を目にした者は、我知らず道を空けながらも、ずっと視線を逸らすことができない。一方、その当人は周囲の注目などまるで気づかぬ様子で、まだラバンに建てられて間もない、大きな宿屋の入口をくぐった。
 宿屋の一階は、食事なども出来る酒場になっていた。昼間から仕事もせずに酒を飲んでいる者も散在する。だが、彼らの喧騒はたった一人の登場によって沈黙することとなった。
「こんにちは」
 周囲の耳目を集める人物は、宿屋兼酒場の主人のところへ真っ直ぐ行くと挨拶をした。どんな酔漢やならず者にも慣れているはずの主人は、振り返って絶句しかける。間違いなく、彼が初めて対面するタイプの人物だった。
「い、いらっしゃいませ……」
 なんとか歓迎の言葉を口にできたのは僥倖だった。それでも後が続かない。
 それは、このラバンでも初めて見かける女性だった。どこから来たかは知らないが、この山道をずっと一人で歩いてきたにも関わらず、そんなことは露ほども感じさせない。まるで避暑地を訪れた高貴な淑女といった雰囲気を漂わせていた。
 しかし、それにしても奇妙な風体だった。裏地の赤い真っ白なマントを身につけ、上も下もサテンで出来た高級な服装で、腰の辺りで様々な色を編んだ飾り紐を結んでいる。素足には長旅に向きそうもない編みサンダル、左の腕には宝石をはめ込んだ豪勢な金の腕輪、右の薬指には大きなルビーらしき赤い指輪を身につけているが、何よりも目を惹きつけたのは彼女の顔だろう。
 女神も嫉妬に身悶える絶世の美女――かどうかは、誰にも判断がつかなかった。なぜならば、彼女には無骨な仮面がつけられ、その素顔が隠されていたからだ。
 鈍色を放つ大きな仮面は、目元から鼻筋を覆い尽くし、まるで甲冑騎士の面頬のようだった。唯一、艶然と笑みをたたえる口許だけが見える。また、仮面からこぼれるように流れ降りる豊かなブロンドの髪は、細く真っ直ぐで、星の滴からでも出来ているみたいに、きらきらと輝いていた。
 これまでオーガーのように狂暴な大男や、このルッツ王国にはいないという耳の尖った亜人間<デミ・ヒューマノイド>のエルフ族にもお目にかかったことのある宿屋の主人であったが、この謎めいた仮面の美女――表情を見ることはできなくても、どうしてもそのようにしか思えなかった――ほど言葉を失わせる客はいなかった。なぜか緊張と羞恥を覚え、尿意すら催す。人生で初めての経験だった。
 そんな固くなった主人の様子にも平然と、仮面の客人は微笑を浮かべながら話しかけた。
「宿泊をお願いできるかしら? 泊るのは私一人なので、小さな部屋でも構わないのだけれど」
 どことなく、上流階級の出自を思わせた。それは言葉遣いではなく、雰囲気からのものだったが、宿屋の主人は完全にのぼせてしまったようで、かろうじてうなずく。
「は、はい……、すぐにご用意させます」
「ありがとう」
 仮面で素顔は分からないのに、どうしても緑色の瞳に見つめられながら微笑みかけられると赤面を禁じえない。少しでも気を紛らわせようと、主人は下働きの娘に命じて、部屋の準備をさせる。見たところ宿泊客は、こんな山奥まで来たにも関わらず、不思議にも大きな荷物などを持っていなかった。
 三日分の宿泊料を前払いした仮面の女であったが、なぜかすぐには部屋へ行こうとせず、まるで風邪でも引いたように熱を出した主人に尋ねた。
「ところで噂に聞く古代遺跡というのは、ここから近いのですか?」
 主人は驚いた。まさか、こんな女性が遺跡に興味を持つとは。彼は奇妙な格好をしてはいるが、どこかの令嬢のお忍びか何かだろうと考え始めていただけに、その無謀な言葉に慌てふためいた。
「お、お客さん! どういうおつもりで!? あそこは女の方が出向くようなところじゃないんすから!」
「どうして?」
「どうしてって――当り前でしょ! もう何百人と遺跡の中に入って行きましたが、まだ誰も芳しい成果をあげて帰って来た者はいませんぜ! それどころか、そのまま死んじまった野郎も百を超えてるって話でさ! あそこには恐ろしい化け物が巣食っていやがるんすよ! 行っちゃいけねえ! あんなとこ、死にに行くようなもんさ!」
「おいおい、親父。あの遺跡のおかげで飯を食わせてもらっている村の者として、それは言い過ぎってもんだろうがよ!」
 横合いから口を出してきた者がいた。いつの間にやって来たのか、二十歳くらいの若者だ。同年齢の友人二名を連れている。その若者の顔を見た宿屋の主人の血相が変わった。
「ケーン! このバカ、どこを遊び歩いておった!?」
 どうやら、そのケーンと呼ばれた若者は、宿屋の跡取り息子のようだった。
 ケーンはまったく悪びれた様子もなく、父親を無視する。
「こんな親父じゃ、話にならねえ。どうだい、オレたちがその遺跡へ案内してやろうか? ただ行き方を教えてやってもいいが、この土地が初めてのヤツじゃ、下手すると迷っちまうぜ。酒代くらいくれれば、安全なルートを通ってやるよ」
 色目を使うように、妙に馴れ馴れしくケーンは提案した。どうやらガイド役を買って出て、小銭稼ぎをしているらしい。毎日のように新しくやって来る探索者を遺跡の入口まで案内するだけでいいのだ。安全だし、楽な商売だと言える。仮面の女は即決した。
「では、お願いしようかしら」
「そうこなくっちゃな! ――親父、そういうわけで今夜も飲んで帰るから遅くなるわ!」
「バカ野郎! てめえなんざ、帰ってくんな! 大事なお客様をちゃんとお届けしろよ!」
 主人の怒声を背に、仮面の女とケーンたちは宿屋を出た。一行はすれ違うたびに多くの視線を集めながら村の北東へ向かう。
「ところで、あんた、どこの人? なんで、そんな仮面なんか被ってんだよ?」
 まったくシャイな父親と似たところはないのか、ケーンは気安い態度で話しかけた。仮面の女は微笑みを絶やさず、
「人にはいろいろと話せない事情というのがあるのです。察してください」
 とかわした。ケーンはうろんな目つきで、ふーん、と言っておく。
 村を出ると、ほとんど獣道のようなところを通った。山に慣れたケーンたちにとっては日常茶飯事だが、サンダル履きの女も彼らのペースに苦もなくついて行く。どんな難所も手を貸してやる必要はなかった。
「まだ着きませんか?」
 半刻ほど歩いた頃、女が訊いた。特に疲れた様子は見せていない。ケーンは可愛げのない女だと思い始めていた。
「もうすぐだよ。それとも怖くなって、引き返したくなったかい?」
「いいえ。そういうわけではありません。ただ心配になったもので」
 それを女らしい弱気と取ったものか、ケーンは少し機嫌を直した。
 またしばらく、今度は無言で四人は歩いた。さすがにケーンたちも息が上がって来る。ところが山歩きなどしたこともなさそうな仮面の女は、まったく息を乱していなかった。
 やがて木々の切れ目に差し掛かった。
「よし、着いたぞ」
 先頭のケーンが立ち止った。女は周囲を見回す。遺跡の入口らしきものはどこにもない。
「やっぱり、最初から人気のない場所へ連れ込むのが目的だったようね」
 女は呟くように言った。仮面の奥から見つめてくる緑色の瞳に、一瞬、たじろぎそうになりながら、ケーンは虚勢を張る。
「お察しの通りさ。その物わかりのよさで、このまま大人しくしてくれると助かるぜ。その腕輪と指輪、こっちに渡せ! 抵抗すると、玉のお肌に傷がつくぜ!」
「こんなことをして、ただじゃ済まないわよ。私が戻らなければ、あなたのお父様も怪しむでしょう」
「あんなクソ親父のことを口にするな! 分かってねえのはあんただ! 遺跡の中で命を落とすヤツなんて、いくらでもいるのさ! ましてや、女一人で潜り込んだあんたが帰って来なくたって、誰も不思議に思いやしねえ!」
「こういうことを前にも?」
「いいや。だが、あんたは別さ。そんなに金目の物を身につけて、狙ってくださいって言っているようなものだ。大人しく渡せよ。それとも、オレたちにたっぷりと可愛がってもらいたいか? その仮面の下はどうなってやがんだ?」
 ケーンに釣られるようにして、仲間の二人が下卑た笑いを漏らした。誰もいない山林ならば、どんなことでもし放題だと思い込んでいるようだ。
「………」
 女は恫喝に恐れを為したものか、黙って左腕の腕輪に触れる――
「――っ!?」
 そう見せかけて、女の動きは素早かった。純白のマントに隠れていた腰から、護身用に携帯していた細身の剣<レイピア>を抜く。まるで手品のような一瞬の動きに、ケーンは鼻白んだ。
「な、なめるなよ! こっちは男三人なんだぞ!」
 ケーンは仲間に目で合図した。合点承知と、女の後ろに立っていた男が襲いかかる。男と女など、力の差が明確である以上、動きを封じてしまえばそれまでだ。
 しかし、女はすでにそれを予期していた。身体を回転させるようにして襲いかかった男の背後に回ると、その首筋へ細身の剣<レイピア>の柄を叩き込む。体格に優っていたはずの男は白目を剥き、ドッと倒れた。
 女だてらに剣を扱うとは、ケーンたちも想定外だった。自分たちも何かないかと、手頃な得物を探す。もう一人が剣の代用品になりそうな枝を拾い上げ、にわか剣法で打ち込んでいった。
「やあっ!」
 だが、そんなものは所詮、付け焼刃に過ぎない。木の枝は細身の剣<レイピア>によって呆気なく半分の長さにされてしまうと、うろたえている隙にがら空きになったボディに当て身を喰らい、またもや草むらに倒れ込む。残るはケーンだけとなった。
 ビュッ、と刀身をしならせ、細身の剣<レイピア>を向けると、ケーンは最初の威勢などどこへ行ったものか、跪いて命乞いをした。
「わ、悪かった! 勘弁してくれ! オレたちは、ただ、その――」
「宿屋のご主人のことを思うと、ここであなたの命を奪うことは気の毒。仲間を連れて帰りなさい。今すぐに」
 もう一度、細身の剣<レイピア>を振ると、ケーンは仲間二人を引きずるようにして逃げて行った。それを見送りながら、女は剣を収める。そしておもむろに、背後の木に向って右手を突き出した。
「ディロ!」
 光の矢が迸り、一本の木を焼いた。その陰から、ひとつの影がまろび出る。草むらに這ったその姿は、俊敏な黒猫を連想させた。
「やっぱり、気づいていたようね」
 黒猫が喋った。いや、女が。
「ええ。ラバンから、ずっと尾行しているのに気づいていたわ。何者?」
 黒猫のような女はゆっくりと立ち上がりながら、油断なく仮面の女を見つめた。
「敵になるか、味方になるかは、あなた次第。とりあえず会ってもらいたい人がいるのだけれど、どうかしら?」
 黒猫は悪戯っぽく笑った。


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