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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−3−

 仮面の女が案内されたのは、ラバンの村にある別の宿屋であった。こちらは元々あった建物を増築させた急ごしらえだったらしく、いかにもツギハギといった感じでうらぶれて見える。その分、宿泊料金が格安なのだろう。新しい宿屋に比べると、こちらの方が危ない連中を一手に引き受けているらしかった。
 黒猫のような女は何も言わず、宿屋の二階へと上がった。奇妙な女二人組にうろんげな視線を向けてくる者は多かったが、かといって妙な因縁をつけてくる輩はいない。そうさせているのは、黒猫本人か彼女の連れ合いが持つ影響力のせいなのだろうと思われた。
 一番奥まった部屋の前で、黒猫のような女は立ち止った。無言で顎をしゃくり、入室を促す。仮面の女はドアを開けた。
 ビュッ!
 次の刹那、目の前で白刃が振り下ろされた。誰であろうとも肝を冷やす光景だ。にもかかわらず、仮面の女は何事もなかったかのように、まったく動じた様子を見せなかった。
「客人だよ、ジョー」
「お前も人の悪い女だな。合図もなしに客を通そうだなんて。危うくぶった斬るところだったぜ」
 少しも悪びれた素振りもなく、部屋の入口横でサーベルを振るった男はあっさりと得物を引いた。黒猫が口にした名前から、ジョーという剣士であるらしい。鍛え上げられた肉体と精悍な面構えは百戦錬磨の戦士である証明だが、どこか愛嬌のある雰囲気を兼ね備えていた。
「すまねえな。悪気はなかったんだ。何しろ、オレたちの命をつけ狙うヤツが多くてよ」
「いいえ、気にしていません。これも私を試したのでしょう?」
「ほお。これはこれは」
 どうやらすべてお見通しらしいと分かり、ジョーは感心したようだった。気に入った印にウインクしてみせる。
「オレはジョー。よろしくな」
 白い歯をこぼして、ジョーは握手を求めた。だが、仮面の女はそれには応じず、
「まだ親愛の握手は早いかと」
 と辞した。ジョーは残念そうに肩をすくめる。すると、
「その通りだ、ジョー。すべては話し合いが終わってからじゃ」
 薄暗い部屋の奥からしわがれた老人の声がした。一言一言、絞り出すのも苦しそうだ。部屋からはまだ他にも気配が感じられた。
「さあ、いつまで客人をそんなところに立たせている。早く入ってもらえ。――マーベラス」
「はい。――どうぞ、中へ」
 マーベラスと呼ばれた黒猫のような女は、仮面の女を促した。仮面の女はそれに従う。
 中へ入ると、マーベラスがドアを閉めた。段々と薄暗い部屋の様子が分かってくる。部屋の中には仮面の女とマーベラス、それに剣士のジョーを除いて、あと三人いた。
 正面奥にいるのが、彼女を招き入れた主であるようだった。齢八十歳を超えているかに見える老人だ。暗がりの中でも顔色の悪さが分かるほどで、死の一歩手前といった感じである。ひどく衰えているが、何よりも目を惹く奇妙さは大きく膨らんだ腹であろう。まるで臨月を迎えた妊婦――いや、それ以上の異様さだ。老人は椅子に座ったまま、せいせいと息苦しそうにしていた。
 その右隣りには、寄り添うように灰褐色のローブを頭からすっぽりとかぶった人物が立っていた。目深にかぶったフードのせいで顔は見ることができず、その正体は不明である。ただ幽鬼のように立ち尽くす姿は、黄泉の国より老人を迎えに来た死神のように思えた。
 さらにその反対側にいたのは、これまた取り合わせとしては珍妙な人物であった。背が人間の半分くらいしかない亜人間<デミ・ヒューマノイド>のドワーフだ。鎖帷子<チェイン・メイル>を着こみ、何かの頭蓋骨を兜か帽子のようにかぶったドワーフは赤ら顔で、縮れた毛も燃えるように赤く、目は充血して澱んでいる。その理由はハルバードを握る反対側の手にあった。そこには大きな酒瓶があって、しきりに中身を口へ流し込んでいるのだ。酒の匂いがもう二度と取れないと思うくらい部屋中に沁み込んでいた。
 そんな、いかにも怪しげな面子に囲まれているにもかかわらず、仮面の女はまったく平静であった。それは仮面のせいで表情を覆い隠しているからではない。それどころか、この暗闇の中にあって、唯一の光を自ら発するがごとく、毅然と高潔に立ち尽くしていた。
 老人の目は眩しそうに細められつつも、己が招いた客人を観察しているようだった。やがて、それにも満足したものらしく、億劫な素振りは相変わらずながら話し始める。
「まずは自己紹介をしておこう。ワシはザカリヤという。これでも少しは世に名を知られた者のつもりじゃ」
 ザカリヤの言に、仮面の魔女はうなずく。
「存じております。遺跡荒らしのザカリヤと言えば、三十年くらい前、巨万の富を築いたことで有名ですから。皆、あなたの成功をうらやましがっています」
「だろうて。そして、妬ましくも思っておろうよ」
 ザカリヤは自嘲気味に笑った。それはほとんど呼気のかすれにしか聞こえなかったが。
「他の者も紹介しておこうか。そなたを案内したのはマーベラス。ワシの養女であり、ワシの技、ワシの知識、すべてを受け継がせた」
 黒猫のマーベラスは艶然と微笑むと、ザカリヤの隣まで行き、甘えるように寄り添った。これは養女としてだけでなく、ザカリヤの愛人としても仕込まれているらしい。
「そして――」
「オレはジョー」
 ザカリヤからの紹介を待たず、ジョーは勝手に名乗った。積極的にアピールしてくる。
「見ての通りの剣士さ。このジジイに金で雇われてね。腕の方は自信があるぜ。伝説の勇者ラディウスとだって五分に――いいや、それ以上に戦えるつもりさ」
 それはおそらく誇張ではなかっただろう。ジョーに、超一流の技量が備わっているは、サーベルの扱いや鍛え抜かれた肉体を見れば疑いない。
「傭兵はもう一人いる。このドワーフだ。名はスカルキャップ。本当の名は知らぬが、頭にこの髑髏を乗せているのでな。酒飲みだが、一旦、暴れれば手がつけられぬ。くれぐれも怒らすなよ」
 雇い主にそう言われても、スカルキャップは何も感じぬのか、相変わらず酒を飲み続けていた。ドワーフ族の酒の強さは広く知られているが、ここまでのべつまくなしに飲む者もいないだろう。
「最後にワシの医師であるアルコラ。こやつのおかげで、ワシは延命できている。こやつがいなくなれば、ワシは呆気なく死ぬであろう」
 ローブをまとったアルコラは、わずかに黙礼をしたようだったが、相変わらず一言も発しなかった。アクの強いザカリヤ一味の中でも一番不気味な存在だ。
 一党の自己紹介が終わり、いよいよ仮面の女の番となった。軽やかに、そして典雅に会釈をする。
「私はヴァルキリー。大陸を旅しながら、古代遺跡の調査を生業としている者です」
「ふむ、ヴァルキリーとな。どうせ、偽名であるのだろう?」
「さあ、それは何とも申しかねます」
「して、その仮面は?」
「これも事情あってのこと。ご容赦願います」
 仮面の女ヴァルキリーは、やんわりとザカリヤの追及を躱した。
 その横でニヤニヤしているのはジョーだ。彼は必ずしもザカリヤに忠実な下僕というわけではない。金で雇われただけの傭兵だ。それに、このヴァルキリーという謎めいた女のことがすっかり気に入ったようだった。  ザカリヤもこれ以上、ヴァルキリーの正体を暴き立てようとするつもりはなかった。彼が必要としているものは別にある。
「いいじゃろう。ヴァルキリー殿、ワシは折入って頼みがあるのじゃ」
「天下のザカリヤ殿が?」
「世辞はいい。端的に言うと、ワシはこのラバンの遺跡に潜ろうとしている。もちろん、すでに巨万の富を手にして人生の成功を収め、このまま安らかな死を迎えることも可能なのじゃが、どうにもワシは根っからの冒険者であるらしい。新しく発見された遺跡――それも探索が困難な代物と聞けば、余計に潜ってみたいという衝動に駆られるのじゃ」
 ヴァルキリーはうなずいた。
「そのお気持ちは分かりますわ。同じく、これまで幾多の遺跡を巡ってきた者としては」
「そうじゃろう。そこでワシはこのマーベラスとアルコラ、さらに二人の傭兵を新たに雇ってここへ来た。じゃが――」
「今回の遺跡は一筋縄ではいかない――と?」
「その通りじゃ」
 喋りすぎたせいか、ザカリヤはひどく疲れた様子で、椅子にもたれかかった。マーベラスが心配そうに、しわくちゃになっているザカリヤの手を取る。隣に控えたアルコラが何か耳元で囁いたが、ザカリヤはかぶりを振って話を続けた。
「この遺跡は侵入者を拒むかのように、中にはモンスターが放たれ、死の罠が仕掛けられている。そこを突破するには、やはり手練れの同業者が必要だと判断した。どうやらヴァルキリー殿は、遺跡に対する知識だけでなく、魔法にも通じている様子。そなたが仲間に加わってくれれば、ワシらも心強いのだが」
 ヴァルキリーは即答を避けた。そのせいで沈黙が訪れる。
 最初は微笑をたたえていたマーベラスが真顔に戻った頃、
「村の若者たちをそそのかして、私を試そうとしたのでしょう?」
 とヴァルキリーが言った。不意に緊張感が高まる。
「こちらも優秀な人材を欲していたからな。ただの見かけ倒しでは困る」
「そのやり口は気に食わないのだけれども――」
 素早くマーベラスがザカリヤの盾となった。他の者は動かない。ジョーはまるでこの成り行きを楽しむかのように、スカルキャップは相変わらず酒をあおり、アルコラはまったくの反応なし。そして――
「よせ、マーベラス」
「ザカリヤ様?」
 養父の命令に黒猫は眉をひそめた。ザカリヤは重ねて言う。
「下がれ。ヴァルキリー殿を敵に回すな」
 マーベラスはザカリヤの言われたとおりにした。ヴァルキリーとザカリヤが睨み合って、しばし――
「ヴァルキリー殿、非礼はお詫びしよう。ちと、行きすぎたやり方だったようじゃ」
「いえ。あれで結構、あの若者も反省したやも知れません」
 ヴァルキリーは再び微笑を浮かべると、緊張の糸を解いた。マーベラスが肩の力を抜き、ジョーがくっくっと笑う。スカルキャップはつまらなそうに、また酒を飲んだ。
「では、改めてお伺いします。私が仲間になるとして、その見返りは何でしょう?」
「何を望む?」
「私は古代王国期のことを調査しています。金目のものには興味ありませんが、魔法の品々については調べさせてください。物にもよりますが、基本的には調べるだけで構いません。どうしても私が欲しいというものについては、改めてご相談させていただくということでいかがでしょうか?」
「うむ。ワシらの目的は財宝と高価な魔法の品。無論、ヴァルキリー殿にも分け前を与えるつもりだ。必要なものは、その中から選ぶといい。では、そういうことでワシらの仲間になってくださるのじゃな?」
「ええ。私も一人で探索するより、ザカリヤ殿のようなプロとご一緒できれば心強いです」
 かくして仮面の魔女ヴァルキリーはザカリヤ一味と手を組んだ。


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