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遺跡の探索は明日からということになり、ヴァルキリーは自分の宿屋へ戻ることにした。
すでに夕闇が迫っている。かつてのラバンならば、村人たちは早々に食事をして寝るだけの生活であっただろう。ところが、今は物見遊山のように集まって来た人々によって、むしろこれからの方が賑わいを見せる時間帯であるらしかった。あちこちで客の胃袋を見込んだ飲食店が競い合うようにして迎い入れている。商いに目覚めた村人は、誰もが忙しそうに立ち働いていた。
小さな明かりで所々が照らし出される村の様相は、昼間とは違って幻想的ですらあった。その中を行く仮面の魔女は、いかにも非現実的な存在でふさわしく見える。初めて村に入ったときよりも、今の方が違和感がなかった。
「ところで――」
宿屋をくぐる手前、ヴァルキリーはふと足を止めた。まるで今初めて気づいたかのように振り返る。
「どこまでくっついてくるつもりかしら? あなたの宿は向こうでしょう?」
少々、冷たさをはらんだ言葉であったにも関わらず、ヴァルキリーの後ろにいた男は破顔した。言わずと知れたジョーだ。
「宿は向こうだが、どこで食事をするかはオレの自由さ。だろ?」
ジョーは憎めない馴れ馴れしさでもって、ウインクすら投げかけた。ヴァルキリーは肩をすくめるが、嫌悪は抱いていない。その証拠に、まだ唇には微笑を浮かべている。
「あまり私に近づいて、雇い主から睨まれても知らないわよ」
「あっちの食事は陰気でな。何しろ、ジジイにドワーフ、それに得体の知れねえローブ野郎だ。たまには美女と夕食を一緒にしたって罰は当たらないさ」
「美女と食事、ですって?」
「もちろん、あんたのことさ」
臆面もなくジョーは言ってのけた。ヴァルキリーは仮面の奥の目を丸くする。
「こんな仮面をつけているのに、美人だって分かるの?」
「ああ。オレの見立ては絶対さ。あんたはすこぶるいい女に違えねえ」
これまでに何人もの人間を斬っているであろうはずなのに、このジョーという男はまったく屈託がない。誰とでもすぐに親しくなれるタイプだ。
「なあ、一緒に食事くれえいいだろ?」
「おごってくださるのなら」
「よぉぉし、決まりだ!」
ジョーは上機嫌で宿屋の中に入った。ヴァルキリーもそれに続く。
すでに一階の酒場は多くの客で賑わっていた。どこも満席に見える。空いているところはないかと探していると、宿屋の主人が寄って来た。
「お帰りなさいませ。お食事はこれからで?」
「ええ、そのつもりだったのだけれど」
「どうぞ、こちらへ。一席用意してあります」
「オヤジ、気が利くなあ」
そう感嘆したのはヴァルキリーでなく、後ろにいたジョーである。彼女の連れらしいと分かると、宿屋の主人の顔は一瞬だけしかめられた。
「ほらな、やっぱり美人は得なんだよ。その仮面があったって、分かるヤツには分かっちまうんだから」
ジョーの意見に対し、ヴァルキリーは何も言わなかった。
席へ案内される途中、別のテーブルで昼間のケーンたちがエールを飲んでいた。この満席の中、父親の店を手伝うつもりなどさらさらなく、堂々と陣取っているとは見下げた根性だ。そばを通った宿屋の主人に睨まれても意に介した様子はなかったが、ヴァルキリーの姿を見た途端、ギョッとなって固まる。ヴァルキリーが軽く会釈をすると、気まずい彼らはあたふたと席を立ち、外へと逃げて行ってしまった。
何事もなかったかのようにヴァルキリーは用意されていた席へ着くと、ジョーと一緒にいくつかの料理を頼んだ。酒場はとても繁盛していて、誰も仮面をつけたヴァルキリーのことなど気にする様子はない。ここはまさに人種のるつぼ、様々な人間が寄せ集まっているせいだ。
店の様子を眺めていると、程なくして食前酒のワインが運ばれてきた。ヴァルキリーが先に注いでやろうとすると、ジョーはそれを断る。
「飲めないの?」
「いんや、そういうわけでもないんだが……」
珍しくジョーの歯切れが悪かった。ボトルを代わりに受け取ると、ヴァルキリーにワインを注いでやる。
「実は、その……酒に関しては、いろいろと失敗談があるもんでな。初対面から、あんたに嫌われちまうのも困るからよ」
「あら、どんな失敗?」
ヴァルキリーはワインを口に運びながら、意地悪く尋ねた。ジョーは頭を掻く。
「だから、あまりここでは言えねえことよ。勘弁してくれ。他のことなら何でも訊いてくれて構わねえから」
「そう。じゃあ、他のことに答えてくれるかしら」
飲んだグラスをテーブルに置くと、ヴァルキリーはジョーを見つめた。意外にも純情なのか、ジョーは落ち着かない素振りを見せる。手の平の汗をこっそりとズボンで拭いていた。
しかし、ヴァルキリーには最初からロマンチックな会話を交わすつもりはなかった。
「ザカリヤはこの遺跡のことをどこまで調べているの?」
誰にも聞かれないよう、ヴァルキリーの声は低められていた。もっとも、この喧騒の中では盗み聞きされる心配もあまりないだろうが。
あくまでもビジネスの話かとジョーはがっかりしながら、約束はした以上、自分の知っていることを話し始めた。
「さあな。一般的に知られている程度じゃないか。ヤツはまだ遺跡に潜っちゃいねえ。ここへ来て一週間くらいになるが、今は情報収集の段階だ。かなり用意周到なヤツだな」
「誰かに先を越されてしまう恐れはないの? こういうものって早い者勝ちでしょ?」
「もちろん、そうなんだが――何しろ、この遺跡はただものじゃねえ。あのマーベラスが聞き込んできたところでは、遺跡は迷路のように複雑に枝分かれしていて、その中を常に怪物が徘徊しているらしい。しかも、それをどうにか通り抜けられても、その先には罠が仕掛けられた部屋があって、まだそこは誰も突破できていないんだとよ。オレとあのドワーフが雇われたのは怪物の相手をさせるため、あんたが雇われたのは魔法で罠を見破るためっていうところじゃねえか?」
「まさに死の迷宮というわけね。でも、警備などの意味合いがある王族の遺跡ならばともかく、こんな辺境の名もない小さな遺跡に、それほどの仕掛けが施されているなんて」
「だから、とてつもなく凄えお宝が隠されているんじゃないかって、どいつもこいつも目の色を変えていやがるのさ。あんただって、それが目的なんだろ?」
「私は学術的興味で遺跡に潜っているだけよ」
ヴァルキリーは取り澄まして言った。
そこへ頼んでおいた料理が運ばれてきた。しばらく食事に専念することとし、会話が途切れる。
酒こそ口にしなかったが、ジョーの健啖家ぶりにはさすがのヴァルキリーも目を見張った。まるで肉食獣が、遮二無二、獲物をむさぼる光景を彷彿とさせる。そんなに空腹だったのかと驚かされた。
ようやく物を詰め込んで人心地ついたジョーは、水をがぶ飲みすると袖で口許を拭った。
「それにしても、まさかあんたがジジイの申し出を受けるとはな。てっきり断るものと思っていたぜ。よもやあんたも、あのマーベラスみたいに、あんな死に損ないのジジイが趣味ってわけでもねえんだろ?」
ジョーは率直な感想を漏らした。ヴァルキリーは艶然と微笑む。
「伝説の遺跡荒らしザカリヤ。数々の遺跡を盗掘し、一代で財を為した著名人。そういう意味では興味はあるけれど、いろいろとよくない噂を聞くわね」
「だろ? 商売敵はもちろんのこと、仲間まで殺して財宝を一人占め。盗賊ギルドや暗殺者ギルドにもつながっているって聞くぜ。おお、おっかねえ。もう、とっくにくたばったのかと思ってたら、やっぱり悪いヤツってのは長生きするらしいや」
「そう言うあなただって、ザカリヤに金で雇われた傭兵じゃないの」
痛いところを突かれはずなのに、ジョーはけろっとしたものだった。
「まあな。なんたって、報酬が破格だったからよ。剣一本で生きていると言えば聞こえはいいが、所詮はその日暮らしの戦場稼ぎや用心棒。そろそろ自分の傭兵団でも作って、名を挙げてもいい頃だろうと思ったのさ」
「裏切られるかもしれないのに?」
「そんときはそんときよ。オレは簡単に殺られるつもりはねえ。こっちがジジイを冥土に送ってやるさ」
ジョーはもう一度、水を飲んだ。つくづく自分という人間をさらけ出す男だ。ヴァルキリーはこの男に好感を持った。
「まあ、安心しな。あんたはこのオレが守ってやる。あのジジイには指一本触れさせやしねえよ。剣にかけて誓う」
「何だか騎士に守られるお姫様になった気分ね」
ヴァルキリーは茶化した。しかし、ジョーの顔つきは真剣だ。
「ああ。あんたにだったら、オレはこの剣を捧げても構わねえよ。今日、初めて会ったばかりだが、オレはあんたに惚れちまった。いつか、あんたを振り向かせてみせるぜ」
「あらあら、自信たっぷりなこと。――ごちそうさま。遠慮なくおごってもらっておくわ。明日からよろしくね、うぬぼれ屋の剣士さん」
ヴァルキリーは席を立つと、二階にある自分の部屋へと戻っていった。
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