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問題の遺跡はラバンの村より半刻ほどの距離にあった。
すでに何百人という冒険者が約一年に渡って行き来しているだけあって、自然と道のようなものができあがっていた。朝早くに宿を発ち、その道を辿って探索行へ出かけた者は多い。それに比べると、ザカリヤたちの出発は日も高く昇った遅めであった。
宿から合流する前、ヴァルキリーが懸念していたのは重い病にかかっているザカリヤのことであった。どうやって、あの動けない身体で遺跡に潜ろうというのか。あるいは養女であるマーベラスに探索を一任し、自分は宿屋で待機しているつもりなのかと思った。
ところが、ザカリヤも遺跡へ同行すると分かり、ヴァルキリーは驚かされた。それを可能としているのが、地面からわずかに浮かび上がった椅子の存在である。それは驚くべきことに、ザカリヤの意のままに動いた。
「これが、かつてワシがラント連邦のシジワードにあった古代遺跡から発見した、数々の品の中でも非常に珍しい魔法の安楽椅子<マジック・チェア>じゃよ。こいつのおかげで、ワシは苦もなく移動できる。足手まといの心配は無用じゃて」
ザカリヤは自らのコレクションを自慢出来て、ご満悦の様子だった。そのそばには、彼の主治医というアルコラも相変わらず正体を隠したまま控えている。
そのようなわけで、遺跡へと至る山道は難なく登れた。先頭は危険感知に優れたマーベラス。次に戦闘要員である傭兵のスカルキャップ、ジョー。さらにザカリヤ、アルコラを挟んで、最後がヴァルキリーという隊列だった。
土砂崩れによって発見されたという遺跡の前には、まだこれから潜ろうと準備に余念のない他の連中がいた。後からやって来たザカリヤたちに剣呑な目を向けてくるが、これに屈強なジョーやスカルキャップが不敵な笑みを見せ、その挑戦を跳ね返す。荒くれどもの多い冒険者の中でも、ザカリヤ一党は最も畏怖すべき存在であったに違いない。
「これがラバンの遺跡。どこまで続いているかは分からないけど、確かに入口からすると小さいわね」
周囲からの注目など素知らぬ顔で、山肌より露出した入口を調べながら、ヴァルキリーは呟いた。すると、すぐにジョーが擦り寄って来る。
「何か分かるのか?」
「ええ。この入口に刻まれたルーン文字。私にも読めないものがあるけど、何か魔法的効果が今も働いているのは確かなようね」
そう説明しながら、ヴァルキリーは注意深く文字の配列を観察した。
「それは侵入者を排除する、トラップ的なものなの?」
自分でも独自に入口を調べながら、マーベラスが尋ねた。さすがにザカリヤから技術と知識を教え込まれただけあって、ネコのような用心深さを持っている。うかつに遺跡へ飛び込むような真似はしない。
ヴァルキリーは入口のルーン文字を解読しようと努めた。
「侵入者の排除……ではないようね。むしろ、中のものを外へ出さないようにするため……かしら?」
「ふーん。何かヤバいもんでも封じ込めてあるのかね」
剣一筋で読み書きも出来ないジョーは、もちろんルーン文字などチンプンカンプンで、ただ遺跡のある山を仰ぎ見た。
国土のほとんどを山岳地帯で占めるルッツ王国には、野生のドラゴンが数多く棲息している。そのドラゴンを飼い慣らし、大陸最強と目される竜騎士団を編成しているほどだ。しかし、一般的にドラゴンは人々に最も恐れられるモンスターであり、精鋭ぞろいの軍隊でさえ一蹴してしまうだけの力を持っていた。
もしも、この遺跡の中に狂暴なドラゴンが封じられているとするならば、到底、一介の冒険者風情が太刀打ちできるものではなかった。中にはドラゴンを退治し、英雄の代名詞たるドラゴン・キラーの称号を得ようとする命知らずもいるが、それに成功したという人物は、ほとんど伝説の中にしか存在しない。ドラゴンに対する人間など、虫けらに等しかった。
周りにいた他の冒険者たちは、ヴァルキリーの言葉からやはりドラゴンを連想したものらしく、互いに顔を見合わせ、探索を決行するか否かためらった。古代王国期の財宝を手にしたいのは山々だが、命を落としては元も子もない。もちろん、中にいるのがドラゴンだと決まったわけでもないのだが。
そんな者たちの様子をよそに、ヴァルキリーは入口のルーン文字を丹念に調べ続けた。
魔術師たる者、古代文字であり、それ自体に魔法の力を宿すルーン文字について、当然のことながら基礎として学んではいる。だが、突如として襲った未曾有の大災害――《大変動》によって一大魔法文明が滅びてしまった今、解明されているのは全体の六割程度であった。残り四割に、より高度で強力な魔法が含まれており、それらを甦らせることが多くの魔術師たちの大望だ。もしも、かつての魔法をすべて取り戻したとき、繁栄を誇った魔法王国の再現も可能とされており、その実現を夢見る者は数知れない。
ヴァルキリーは難解なルーン文字を解読しようとしたが、最後には断念した。この場で、他の学術研究員もいない中、失われたルーン文字を読み解くのは不可能だ。これを解明するには、この先、何年もの研鑽が必要だろう。しかし、これが今後の研究に役立つことは間違いない。ヴァルキリーは入口のルーン文字を羊皮紙に書き写した。
「調べは済んだかな、ヴァルキリー殿」
慌てる風もなく、ヴァルキリーの調査を待ったザカリヤが声をかけた。ヴァルキリーは羊皮紙を丸めてから、それを左手で制す。
「待ってください。まだ、この削られた部分が気になります」
仮面の魔女が示したのは、入口の一番上に刻まれた文字だった。確かに一部が削られ、消えてしまっている。他にそのような箇所はなかった。
「土砂崩れの影響じゃねえのか?」
ジョーが素人意見を口にした。ヴァルキリーは即座に首を振る。
「違うわ。これは、もう何千年も前――それこそ、この遺跡が造られた頃に、誰かの手によって意図的に削られたものよ」
ヴァルキリーはさらに近づいてみた。こちらは難解な魔法の呪文を刻んだものではなく、一般公用として使われていた文字なので判読は容易い。
「《“何とか”とタレリアの“何とか”》――タレリアっていうのは女性の名前かしら? 一番目立つところに書かれたということは、この遺跡が何のためのものかを示すものだったのでしょうけれど……」
それがどうして削られてしまったのか。感慨深げにヴァルキリーは考え込んだ。それを眺めながら、マーベラスはこれ見よがしに欠伸をしている。ジョーも難しいことを考えるより、身体を動かしていた方が楽なタイプだ。
「どうだい、そろそろ中へ入ってみちゃ。ここへはいつでも来られるんだし。それよりも他のヤツに先を越されねえよう、遺跡探索をおっ始める方が肝心だと思うんだが」
「そうね。あなたの言う通りだわ」
ジョーの提案に、ヴァルキリーはあっさりと同意した。退屈しかけていたマーベラスが飛び跳ねるように先頭に立ち、それぞれが先程の隊列に戻る。
「それじゃあ、行くわよ」
マーベラスが後ろを振り返って言った。魔法の安楽椅子<マジック・チェア>に乗ったままのザカリヤが鷹揚にうなずく。
一行は遺跡の中へ入った。
ヴァルキリーは光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>を二つ呼び出し、ひとつは先頭のマーベラスの前に、ひとつは自分の近くに漂わせた。念のため、三番目に位置するジョーが片手にランタンを持つ。これで中を明るく見通すことができた。
ようやく遺跡の中へ足を踏み入れた一行であったが、内部の様相にはいささか面喰った。なぜならば、人工的に作られていたのは入口だけで、そこからはただ何者かが掘った、土が剥き出しの横穴だったからだ。一応、大人が立って楽に歩けるくらいの高さはあるが、およそ古代王国期の立派な遺跡とは言い難い。
「ちょっと、何かの間違いじゃないの?」
真っ先にマーベラスが疑問をぶちまけた。自分は穴掘りに来たのではないと、あからさまに不平を顕わす。
ジョーはブーツの中に隠し持っていた短刀<ダガー>を抜くと、その刃先で土の壁を削ってみた。土くれがボロボロと崩れ落ちる。
「こりゃ、本当に天然の土だぜ。別にこの向こうに、壁みたいなものがあるわけでもねえし、もちろん魔法が作り出した幻覚でもねえ。正真正銘、ただの穴だ」
「これが遺跡だって言うの!?」
マーベラスの猫目は吊りあがっていた。一行は、早々に立ち止まるはめになる。
「まあ待て、マーベラス。まだ中へ入ったばかりではないか」
穏やかな口調とは裏腹に、苦しげな声を絞り出してザカリヤが諭した。往年の名探索者は、この程度では動じない。
「これが単なる穴ならば、何も多くの者たちが潜りはすまい。これは何かのカモフラージュか、遺跡に用意された何かの仕掛けだろう。――どうかな、ヴァルキリー殿の意見は?」
「私もザカリヤ殿と同じ意見です」
仮面の魔女は涼やかに言った。振り向いた一同にうなずく。
「天然の横穴をこうしてわざわざ利用しているからには、何か理由があるはず。油断するべきではありません」
「そういうことじゃ、マーベラス。行け」
養父の命令に、さすがのマーベラスも逆らえなかった。行く手を漂う、ヴァルキリーの光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>に促されるように進む。
ところがトンネルは、とてもまともな人間が掘ったとは思えぬくらい無秩序に蛇行しており、歩きづらかった。右や左へ行くだけでなく、ときには急勾配になっていて、上に登ったり、下に降りたりしなくてはならぬ。さらにその先は侵入者をより惑わせるように枝分かれし、山の中を縦横無尽に伸びていて、とことんまで方向感覚を狂わせた。
マーベラスは地図を描きながら、しらみ潰しに道を当たったが、段々と嫌気が差してきた。道がメチャクチャなせいで、すぐにマッピングも役立たなくなる。疲労と苛立ちばかりが蓄積していった。
途中、他の探索グループともいくつかすれ違ったが、彼らも穴の中で迷っている様子だった。すでにヴァルキリーたちよりも長時間に渡って歩き回っているのだろう。その困憊ぶりと不安そうな顔つきは笑えなかった。
そんな他のグループとも別れ、なおも出口なり手掛かりとなるものを探しているうちに、ザカリヤが先を行くマーベラスを呼んだ。
「マーベラス。まだ帰り道は憶えているか?」
「もちろん」
自信を持って、マーベラスは即答した。
「よし、ならば一旦、戻るとしよう。ここは出直した方がよさそうだ」
ザカリヤの決断により、一行は元の道を戻り始めた。といっても、それを記憶しているのはマーベラスであり、彼女に頼るほかはない。これまでにいろいろな分岐を辿ってきたにもかかわらず、マーベラスはまったく悩みも迷いもせず、最短距離で外を目指した。
そのマーベラスの足が、突然、止まった。
「どうした?」
とはザカリヤ。
「今、悲鳴が聞こえた。誰かが襲われたみたい」
「襲われたって、一体、何に?」
悲鳴はもちろん、何も聞こえなかったジョーは眉をひそめた。
「そんなの私に分かるわけないでしょ! この遺跡に棲むっていう化け物じゃないの?」
鈍感な剣士など相手にしていられないといった感じで、マーベラスは突っけんどんに言った。
この先に何かしらの危険が待ち構えている。だからといって、これから外へ出ようとしている以上、ここを取らぬわけにはいかない。より警戒しながら一行は進んだ。するとやがて、マーベラスの爪先が落ちていた何者かのランタンを蹴飛ばした。
「ここで襲われたんだわ。見て、血よ」
それはたっぷりと土に吸われていたが、まだ乾いていなかった。一同、息を飲む。
「ヤバそうだな」
そうジョーが呟いたとき、前方から何かが近づいてくる、ガサガサッという音がした。今度は間違いなく全員が気づく。それはさまよい歩く人間などではなさそうだった。
「来やがったな! ――おい、マーベラス、下がれ!」
マーベラスは言われたとおり、隊列の後方に下がった。二人の傭兵がそれぞれの得物を持って待ち構える。
そして、それは現れた!
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