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ヴァルキリーの光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>によって照らし出されたのは、まず黒光りする物体だった。そこから二本の触角とハサミのような口器が突き出しており、どうやらそれが頭部らしいと分かる。そいつは急速に迫って来ていた。
誰よりもいち早く反応したのはヴァルキリーだった。操っていた先頭の光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>を前方へと飛ばす。
それは襲撃者にぶつかった途端、バチッと光を発し、弾けた。光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>は、その身が砕けるとき、痺れるような衝撃波を生じさせる。おそらく相手をひるませるくらいはできたはずだ。
しかし、それくらいでは何の痛痒も感じないのか、そいつの突進は止まらなかった。黒い塊が一行を蹂躙しようとする。
自ら前へ出たのは、ドワーフのスカルキャップだった。ハルバードを両手に持ち、正面から受け止める体勢だ。人間よりも身長の低いドワーフには自殺行為に思えた。
「ふんっ!」
黒い襲撃者と真っ向から激突した瞬間、スカルキャップは前のめりになって、その体当たりを食い止めようとした。途端に二の足が地面を滑り、そのまま押し潰されそうになる。しかし、このいつも酒を飲んだくれているドワーフのどこにそんな力が蓄えられていたものか、敵の攻撃にひるむことなく、まるで揺らぐことのない大樹のように立ち続けた。
ギギギギギギッ!
突進を止められた相手は、まるでそれに憤るかのように、スカルキャップの目の前で鋭い口器を噛み鳴らした。ジョーがランタンを掲げる。そこで一同は、ようやく怪物の正体を見極めることができた。
「ジャイアント・アントだわ!」
「でけえっ! これがアリかよっ!?」
マーベラスの指摘に、ジョーが驚愕した。無理もあるまい。頭の大きさだけで人間一人くらいはある。もしも飼い慣らすことが可能ならば、数人が跨って乗り物にできそうだ。
人とアリ、その大きさの逆転に、一同は自分たちが何者かによって小さくされたような錯覚を覚えた。だが、このジャイアント・アントは魔法王国期の実験が生んだモンスターであり、同様に巨大化した動植物の存在は数多く確認されている。しかも、必ずといっていいくらい攻撃的な性質が植えつけられており、より危険性が増していた。
突進を止められたジャイアント・アントであったが、その攻撃性がさせるものか、前へ進もうとするのをやめなかった。それを食い止めるスカルキャップの二の腕は盛り上がり、顔は酒のせいではなく、全力を振り絞るせいで真っ赤になる。体格の対比からすれば、スカルキャップの不利は否めず、いつまで持ちこたえていられるか分からない。
「よし、おっさん! そのまま頑張っていろよ! オレが今、加勢してやる!」
ジョーは手にしていたランタンをマーベラスに押しつけ、ジャイアント・アントにサーベルで斬りかかった。幸い、前にいるスカルキャップの身長が低いため、攻撃の邪魔にはならない。
「アリが人間様を襲おうなんざ、十年早えぜ!」
振り払ったジョーのサーベルが、ジャイアント・アントの触角を斬り飛ばした。ジャイアント・アントは苦しげに頭を上げる。その隙にスカルキャップがハルバードを持ち直し、振りかぶった。
ブンッ!
重たい一撃がジャイアント・アントの頭部に振り下ろされた。ハルバードの斧の部分が巨大モンスターの頭をかち割る。さらにもう一度、ハルバードは振り下ろされ、ぐちゃっという音とともに中の体液を飛び散らせた。
「うへっ、気持ち悪ィ……」
顔にジャイアント・アントの体液がついたジョーが嫌そうな声をあげた。しかし、スカルキャップは委細構わず、何度もハルバードを振るう。その度にジャイアント・アントの頭はぐちゃぐちゃになった。
「やめろよ、おっさん。もう死んでるぜ」
ジョーはスカルキャップの肩に手をかけた。ところがスカルキャップはそれを振り払い、無意味な殺戮を続行する。その様は熱を帯びた狂気に取り憑かれているかのようだった。
「チッ、イカレてやがる」
狂ったドワーフに対し、ジョーは唾棄を覚えた。
「これが遺跡の怪物ってワケ?」
マーベラスも顔をしかめながら言った。ヴァルキリーは改めて穴の様子を見回す。
「まさにここはアリの巣ってわけね」
「アリの巣?」
「ええ。ここは本来――いえ、今でもジャイアント・アントの巣なんだわ。それを利用して遺跡の入口を造ったのよ」
「何のために?」
その疑問はもっともだった。ヴァルキリーは思案するように目を閉じる。
「多分、侵入者を排除するために」
「なるほど。ジャイアント・アントの巣ならば、遺跡を守る存在に事欠かないというわけじゃな」
魔法の安楽椅子<マジック・チェア>に座ったザカリヤが感心した。しかし、マーベラスは納得がいかないらしい。
「それって、ちょっと危険すぎない? 本当に通りたい人はどうするのよ? まさか、いちいちジャイアント・アントを始末してはいられないでしょ?」
すると、ヴァルキリーは艶然と微笑んだ。
「あとは私の想像だけれど、きっと魔法王国の時代にはジャイアント・アントを寄せつけない呪文か、あるいはそういう効果を持つアイテムがあったのではないかしら。虫避けがあれば何の危険もなく通り抜けられるわ。――あっ、もしかすると」
ヴァルキリーは何か思いついたようだった。真剣に検討してみる。
「あの遺跡の入口に刻まれていたルーン文字……ひょっとしたら、このジャイアント・アントたちを外に出さないためのものだったのかもしれない。いつまでも遺跡を守らせるために」
「自然を利用した遺跡か。こいつは今までの古代遺跡の概念を覆す代物らしいな」
おそらく、若かりし日のザカリヤであれば、そんな珍しい遺跡に目を輝かせたことだろう。だが、今、魔法の安楽椅子<マジック・チェア>に身を沈めているのは、死を待つ一人の老人でしかない。
「おい、それよりよぉ」
謎解きに夢中になっている連中に、ジョーが呆れたような声をあげた。親指で、まだハルバードを振り下ろしているスカルキャップを示す。
「このドワーフのおっさん、どうすんだよ? 完全にイッちまってるぜ」
それに対し、ザカリヤの答えは簡単だった。
「やらせておけ」
「はぁ?」
ジョーは顎を落としかけた。
「お前、狂戦士<バーサーカー>というのは知っているか?」
「ああ、死ぬまで戦うっていう、あれだろ?」
「そうだ。スカルキャップは戦いに――というより、血に取り憑かれているのだ。ヤツは生まれ故郷で十何人もの同胞を殺した兇状持ちよ。それ、その頭に載せた頭蓋骨は殺したドワーフのもの。ヤツが戦い始めたら、簡単には止められない。それとも命がけでヤツを止めてみるか?」
ザカリヤの挑発に、ジョーはかぶりを振った。
「冗談じゃない。そんな金にもならねえことができるか。しかし、どうすんだよ? 帰り道はこのアリの死骸の向こうなんだぜ。こうやって武器を振り回されてちゃ、物騒でいけねえ」
そうやってジョーがこぼした刹那、スカルキャップの動きがぴたりと止まった。まさか、ジョーの言葉が届いたわけでもあるまい。
一同が怪訝に思っている矢先――
急に死んだと思われていたジャイアント・アントがビクッと動き出し、一同は驚いた。ただ、一番近くにいるスカルキャップだけが動じない。
「危ねえぞ、おっさん!」
だが、ジャイアント・アントは襲って来なかった。それどころか物凄い勢いで後退していく。あっという間にジャイアント・アントの姿は穴の奥に消えてしまった。
「ど、どういうこと?」
「死んでいたんじゃなかったのかよ?」
「いいえ、あのジャイアント・アントは確かに死んでいたわ」
ヴァルキリーが冷静さを取り戻して言った。
「でもよ、今、ああやって――」
「あれは仲間のジャイアント・アントが死骸を片づけて行ったのよ。後ろから引っ張るようにしてね」
「死骸を……? 片づけた……?」
「ええ。ここに放置しておいたら邪魔だもの。通路の確保に、エサの確保。一石二鳥だわ」
「エサって、ヤツら、自分の仲間すら食うのかよ?」
「私の仮説通りなら、ここのジャイアント・アントは外へ出られない。とすれば、エサは身内しかないと考えるべきね。そして、そのエサを欲するのは彼らの女王」
「女王アリかよ! クィーンが、このどこかに!?」
「当然、考えられることだわ。ジャイアント・アントはクィーンの手足に過ぎないのだから」
「また来る!」
マーベラスの声に一同は再び緊張した。やっといなくなったと思った穴の奥から、新たなジャイアント・アントが現れる。
「アリは仲間が分泌するフェロモンを辿ってエサを探すというわ」
ヴァルキリーが解説を入れた。ジョーはサーベルを抜きながら、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「つまり、あとからあとから、わらわら出てくるってことだな!」
スカルキャップのハルバードが、横からジャイアント・アントの頭部を吹き飛ばした。さらにその脇を駆け抜け、ジョーのサーベルが黒い胴体を真っ二つにする。スカルキャップを嫌ってはいても、その連携攻撃は見事だった。
「おい、いつまでもじっとしていられねえぞ! 早く脱出しねえと!」
ジョーが促すまでもなく、一行は動いた。今度はスカルキャップも敵に執着することなく同行する。
「マーベラス、どっちだ!?」
「左よ! その次も左!」
一行は出口を目指した。彼らからすれば、ジャイアント・アントは決して手強い敵ではないが、次から次へと襲われたらたまったものではない。いずれは疲れが動きを鈍らせ、致命的な瞬間を迎えるだろう。
複雑に曲がりくねり、枝分かれしたジャイアント・アントの巣は、どこまでも続いているようだった。唯一、出口までの距離を知っているのはマーベラスだ。ジョーは息が上がりそうになりながら尋ねた。
「おい、あとどのくらいだ!?」
「あと少しよ! この先を右に行けば――っ!」
その刹那、マーベラスが背後から迫る気配を察知した。同じく最後尾のヴァルキリーも。
「後ろから、一匹追いかけてきた!」
「ヴァルキリー!」
ジョーが引き返そうとした。ジャイアント・アントは、その身に似合わず素早い。ヴァルキリーのすぐ後ろまで迫って来ていた。
そのとき――
「グレイル!」
ヴァルキリーは振り返りざま、呪文を唱えた。右手から氷の矢が放たれる。それはジャイアント・アントに命中すると、瞬時に氷漬けにした。
彼女は魔女。仮面の女魔術師だ。
氷漬けになったジャイアント・アントは、そのスピードのまま壁に激突し、まるでガラス細工のように粉々に砕け散った。魔法の威力に、ジョーとマーベラスの目が見開かれる。
「急ぎましょう」
ヴァルキリーは白いマントを翻した。
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