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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−8−

 遅めの朝食を取ってから身支度を整えていると、ヴァルキリー宛てに言伝が届いた。
「直接、遺跡に?」
 それはザカリヤからであった。遺跡へ来いという。ヴァルキリーは首をひねった。
 昨日、迷路のようなジャイアント・アントの巣を無暗に歩きまわったせいで、今日はてっきり、何らかの作戦方針を立てるものとばかり思っていたのだ。それを決めないうちに潜ってもムダだろうと考えていたヴァルキリーだが、ザカリヤはそうではないらしい。それとも、何かいいアイデアでも閃いたのか。
 いずれにせよ、ザカリヤたちが遺跡へ向かったのであれば、ヴァルキリーもそれに従わないわけにはいかぬ。言伝のとおり、遺跡へ出向くことにした。
「オッス」
 すでにザカリヤたちは遺跡の入口で待っていた。例によってジョーが気安く声をかけてくる。しかし、一人だけ姿の見えぬ者がいることにヴァルキリーは気がついた。
「アルコラ殿は? いないようですけれど」
 そこに正体不明のローブ男はいなかった。
「すぐに戻って来る」
 ザカリヤは相変わらず魔法の安楽椅子<マジック・チェア>に身を沈めたまま、億劫そうに答えた。その全員の待つ体勢が遺跡の方を向いていたことから推測すると、どうやらアルコラは中へと入ったらしい。どうしてか、という理由については、あえてヴァルキリーは尋ねなかった。
 しばらくして、遺跡の中からアルコラが戻って来た。奥深くまでは入らなかったのか、ジャイアント・アントに襲われた様子はない。
「首尾はどうじゃ?」
 ザカリヤに問われると、アルコラは注意して見ていなければ気づかないくらい、微かに頭を揺らした。うなずいたのだ。アルコラの答えに、ザカリヤは満足そうだった。
「ならば行くとしよう」
 一行は昨日と同じ隊列を組んだ。ヴァルキリーには、また闇雲に遺跡を探索しても時間の浪費に思えたが、ザカリヤは何らかの手を打ったのだろう。この抜け目のない男が昨日と同じ轍を踏むとは思えない。そして、それにはアルコラの謎の行動が関わっているのだろうと睨んだ。
 先頭を歩くのはマーベラスであったが、岐路に差し掛かると、どちらへ進むかはザカリヤから指示が出された。一番後ろにいるヴァルキリーには分かるが、そのザカリヤに何事かを耳打ちしているのはアルコラだ。つまり、実質的に一行の進路を決めているのはアルコラであった。
 一体、何を根拠に道を選んでいるのか。一か所も迷うことなく、ヴァルキリーたちはジャイアント・アントの巣の中を進んだ。その複雑で分かりにくいルートは、記憶力のいい人間でも憶えきれない。ただ、マーベラスは別だろう。昨日も彼女なしでは外へ出られなかった。
 途中、四匹のジャイアント・アントと遭遇した。今回は心の準備ができていたので、戦闘にも遅滞はない。むしろ、ジョーとスカルキャップは戦い慣れた傭兵として優秀だし、ヴァルキリーの魔法による援護もあるので、ジャイアント・アント程度では大した脅威になり得なかった。
 一行はジャイアント・アントの死骸を乗り越え、さらに遺跡深部を目指した。無論、アルコラの無言の指示が合っていればの話であるが。
 ところが、それは程なくして実証された。目の前に明かりが見えてきたからだ。
「おお、あれは――!」
「抜けられた――のか?」
 そこは自然に出来たジャイアント・アントの巣とは異なり、間違いなく人工的に作られた大きな四角い部屋だった。天井は高く、魔法で消えることのない光が灯されている。壁には、またしてもルーン文字が刻まれていたが、何よりも奇妙なのが床だ。
 ようやく古代の遺跡らしい場所に出られたというのに、床だけは相変わらずサラサラとした砂で覆われていた。床石の類は見えない。全部が砂だ。
 一行は安易に足を踏み入れることなく、外側から部屋の様子を観察した。
「これが遺跡……」
「どうやら、ここからが本番のようね」
 マーベラスが指摘したとおり、さらに奥へと続く通路が部屋の反対側に伸びていた。何もないジャイアント・アントの巣にはすっかり辟易していただけに、ようやく本格的な探索できる喜びに胸が躍る。
「なら、早く行こうぜ」
 ジョーが部屋の中に入ろうとした。すぐさま、ヴァルキリーが止める。
「待って。何かの罠があるかもしれないわ」
「罠ぁ!?」
 踏み出しかけていた足を途中で止め、ジョーは強張らせた顔つきで振り返った。傍目で見ていたマーベラスがため息をつく。
「あんた、バカなんじゃないの? 侵入者用に罠があるのは当り前じゃない」
 小娘にバカにされ、ジョーは何か言い返してやろうかと思った。ところが、それにヴァルキリーも賛同する。
「見て。この部屋の中では風の精霊が封じられているわ」
「風の精霊?」
「ええ。あの壁に刻まれているルーン文字がそう。これは他にも何かの仕掛けがあると見て間違いないわね」
「ど、どういうこったよ?」
「風の精霊が封じられているということは、魔術師は浮遊術とかを使えないってこと。つまり歩いて、この部屋を横切らないといけないわけ。ところが、その床はなぜか一面の砂で覆われている。どう見たって、ここに罠があるのは予想できるでしょ」
「つまり、この部屋に足を踏み入れたヤツは、その罠に引っ掛かるってことか」
「そういうこと」
 一行はようやく遺跡らしい場所へ出たにもかかわらず、その先へ進めずにいた。ヴァルキリーが入念に部屋を調べる。
「罠を回避する方法があると思うんだけど」
「あら、こんなのは簡単よ」
 横から口を出したのはマーベラスであった。自信ありげな顔だ。
「もう分かったのかよ?」
「当り前よ。私を誰だと思っているの?」
 彼女はザカリヤに育てられた超一流の探索者であった。
「もったいつけんな! 早く教えろ!」
 まどろっこしいのが嫌いなジョーは、マーベラスを急かした。
「簡単なことよ。これは――」
「待って! みんな、後ろ!」
 遺跡に気を取られていたせいで、背後への警戒を怠っていた。ヴァルキリーが気がついたときには、暗がりからジャイアント・アントが飛び出してくるところだった。
「避けろ!」
 そうは言われても、狭い穴の中では身動きが取れない。必然、部屋の中へ下がるしかなかった。
 ヴァルキリーがしまったと思ったときには、もう遅い。全員が部屋の中へ足を踏み入れていた。その瞬間、足が沈み込む。
「しまった!」
 沈み込んだのは足だけではなかった。部屋にある砂それ自体が滑り落ちている。それは流砂だった。
「うわあああああっ!」
 ジョーは何とか尻餅をつかぬようバランスを取りながらに足を取られていた。流砂につかまったのは、ジョーの他にスカルキャップとヴァルキリー。ザカリヤは魔法の安楽椅子<マジック・チェア>のおかげで宙に浮かんだまま――この貴重なマジック・アイテムは風の精霊とは関係ないらしい――、マーベラスとアルコラは部屋の入口の壁際に立ち、罠から逃れることができていた。
 勢いよく突進してきたジャイアント・アントは、ヴァルキリーたちの頭を飛び越え、真っ先に流砂の中心へと落ちていた。こちらは身体が大きいせいで、いち早く沈み込んでゆく。ジャイアント・アントはもがいたが、這い上ることはできなかった。
 だが、事態はさらに最悪だった。
「何だ、ありゃあ!?」
 ジョーが声を上げた。
 大きなすり鉢状になった流砂の中心から、巨大なニ本の角のようなものが突き出した。それは左右に広げられると、落ちてきたジャイアント・アントを咥え込む。
「アントリオンだわ!」
 ヴァルキリーの言う通り、それは巨大なアリジゴクであり、角と思えたものはハサミ状の口であった。
 アントリオンに捕獲されたジャイアント・アントは、もがきながらも砂の中へと没した。ああなっては逃れられないであろう。そして、ヴァルキリーたちも同じ運命を辿るのは時間の問題だった。
「くそっ! 止まれ! 止まれぇ!」
 穴の中心へと滑り落ちながらジョーが喚いたが、そんなことをしてもムダだった。まるで砂時計のように、流砂の流れは止まらない。
 もしも、この部屋の中で風の精霊が封じられていなければ、ヴァルキリーは飛行呪文を唱えて、この危機を易々と脱出できたであろう。この遺跡が作られた魔法王国時代、ヴァルキリーのように魔法を使えるのは当たり前だったはずで、それを見越した仕掛けの周到さには恐れ入った。
「これにつかまって!」
 壁際に立ち、アリ地獄の中に落ちなかったマーベラスがロープを取り出した。それをヴァルキリーたちへと投げる。ヴァルキリーはそれをつかむことができたが、ジョーとスカルキャップは無理だった。二人はまた徐々に落ちて行く。
「おいっ! どこを狙って投げてやがるんだ!?」
 身体が大きいせいか、一番落ちて行くスピードの速いジョーが文句を言った。地団駄を踏むように暴れかけたので、余計に沈み込んでしまう。
「こっちだって必死なのよ!」
 そう言い返しながら、マーベラス一人でヴァルキリーを引っ張り上げるのは困難だった。さすがにアルコラも手を貸すが、それでもヴァルキリーは流砂から脱出できない。空中を漂うザカリヤは、何もできずに見下ろすしかなった。
 再びアントリオンが姿を現した。ジョーはサーベルを振り回す。
「チクショウ! こうなったらやってやる! ただで食われてなんかやるものか!」
 穴の底のアントリオンは牙をガチガチと鳴らしながら、滑り落ちてくるジョーを待ち受けていた。


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