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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−9−

「ブライル!」
 マーベラスが投げてくれたロープの端をつかみながら、ヴァルキリーは獲物を待つアントリオンへ向けてファイヤー・ボルトを発射した。一直線に走った炎の矢の攻撃に、さしものアントリオンもひるんだ様子を見せる。ヴァルキリーはさらに二発目を撃った。
「よしっ!」
 大きなハサミ状の牙がぐらつくのを見て、ジョーは歓声をあげた。
 しかし、ヴァルキリーの魔法攻撃はアントリオンを仕留めるまでには至らなかった。忌々しいファイヤー・ボルトから逃れようと、アントリオンは砂の中へと潜ってしまう。
「助かったぜ、ヴァルキリー」
 ジョーは救いの女神に投げキスをせんばかりだった。それでもヴァルキリーの表情は硬い。
「安心するのはまだ早いわ。ここから脱出する方法をどうにか考えないと」
 アントリオンは砂の下に潜ったが、このアリ地獄から抜け出せないのでは危機を脱したとは言えない。このままだと、ロープをつかんでいるヴァルキリーはともかく、ジョーとスカルキャップの二人は、やがて穴の中心に引きずり込まれ、流砂の中に没してしまうだろう。そうなれば地中で待つアントリオンの餌食となるのは自明の理だ。
 ヴァルキリーは解決策を練った。このロープを魔法の安楽椅子<マジック・チェア>で宙に浮いているザカリヤを経由して垂らし、二人を引っ張り上げてもらうか。ただ、それだけの重量に魔法の安楽椅子<マジック・チェア>が耐えられるかは疑問だし、体格のいいジョーや鎖帷子<チェイン・メイル>を着込んだスカルキャップを上に残っているマーベラスやアルコラで引っ張り上げるのも骨が折れるだろう。実際、未だにヴァルキリーも引っ張り上げられないくらいなのだ。それに、どちらか一人ならばまだしも、二人を助けている時間的余裕はない。
 そうこうしている間にも、ジョーの身体は流砂の中心へと滑り落ちていた。覚悟を決めたわけでもあるまいが、もう喚くことはやめ、己に訪れる瞬間を待っているかのようだ。ヴァルキリーはさらに焦った。
 まるでそれを嘲笑うかのように、またしてもアントリオンが現れた。突然の出現に、さすがのジョーも慌てふためく。どうやら、ジッと獲物を待っていられなかったらしく、アントリオンは牙を荒々しく振り回した。今少しのところで、ジョーを捉えそうだ。
「ぬおぉぉぉぉぉっ!」
 いきなり、スカルキャップがアントリオンに飛びかかった。長大なハルバードの一撃を叩きつけようとする。だが、アントリオンの振り回した牙がドワーフの小さな身体を弾き飛ばしてしまった。
「おっさん!」
 スカルキャップは滑り落ちる砂の上に叩きつけられ、さらに転がり落ちていった。サラサラとした砂の上ではなかなか止まらない。ジョーよりも早くアントリオンの餌食になりそうだった。
 そうはさせじと、ジョーも自ら斬りかかって行った。足を半ば埋もれさせながら、愛刀のサーベルを振るう。刃はアントリオンの牙と火花を散らすが、思うように戦えない。せめて、しっかりとした足場があれば苦戦しないであろうに。
「――っ!」
 その刹那、ヴァルキリーは起死回生の魔法を思いついた。うまく行ってくれることを祈る。
「ガッツァ!」
 このアリ地獄の部屋では風の精霊が封じられているが、ファイヤー・ボルトが撃てたように、他の白魔術<サモン・エレメンタル>ならば使える。ヴァルキリーが選んだのは、地の精霊の魔法であった。
 魔法は正常に発動した。ジョーの足下がいきなり持ちあがる。当人は突然のことに驚くが、そんな彼にヴァルキリーの指示が飛んだ。
「こちらで足場を作るわ! 思う存分、戦って!」
「よっしゃ!」
 最初、バランスを崩し気味ではあったが、ジョーは盛り上がる砂の上に立ちあがった。今まで足が砂の中に沈みかけていたのに、もうそんなことはない。まるで固い地面の上に立っているかのような感覚だった。
 ヴァルキリーは地の精霊に働きかけ、崩れやすかった砂を固め、その上に立てるようにしたのだった。これはアース・ウォールなどを作るときの応用である。砂を味方にした今、形勢は逆転した。
 さらなる魔法をかけた瞬間、すり鉢状だったはずの穴は見る間に元へと戻り、平らな床と変わりなくなった。その影響で意に反して砂の上に出てしまったアントリオンは、自分の巣がなくなったことに戸惑った様子だ。すぐさま砂の中に隠れようとしたが、ヴァルキリーの魔法のせいで砂が固められていたため、掘ることはできない。ハサミ状の牙が悔しそうにわなないた。
「足場があれば、こっちのもんだ! やるぜ、おっさん!」
 スカルキャップも立ちあがると、ジョーと挟み撃ちする格好になった。全身をさらすことになったアントリオンは想像していたよりも大きかったが、その特長である牙以外に武器はない。こうして平らな砂の上で戦う以上、名うての傭兵である二人が遅れを取ることなどありえなかった。
 まずジョーが仕掛けた。それに反応してアントリオンは牙を向ける。だが、ジョーは最初からそのつもりだったかのように、あっさりと飛び退いた。
 すると、アントリオンの死角でスカルキャップが動いた。ジョーが仕掛けたのはアントリオンへの牽制だったのだ。そして、それは見事にうまくいった。
「ふんっ!」
 スカルキャップのハルバードが振り下ろされた。重い斧の一撃がアントリオンの脚を苦もなく切断する。続けてもう一本。アントリオンは大きな体を支えられなくなり、バランスを崩した。
「グレイル!」
 ヴァルキリーもフリーズ・アローで援護した。氷の矢が顔の部分に直撃し、ハサミ状の牙を凍りつかせる。ほぼ無防備状態になったところへ、ジョーのサーベルがアントリオンの腹を切り裂いた。
「おっさん、トドメだ!」
 言われるまでもなく、スカルキャップはすでに振りかぶっていた。瀕死に等しいアントリオンの頭をハルバードで叩き潰す。その一撃は完全にアントリオンの息の根を止めた。
 この部屋の主をようやく退治できて、一同、ホッと胸を撫で下ろすことができた。ジョーがアントリオンの死骸を蹴飛ばす。
「やれやれ、一時はどうなるかとヒヤヒヤしたが、どうにか命拾いできたぜ」
「うかつに部屋へ飛び込むから、こういうことになるのよ」
 アリ地獄に落ちなかったマーベラスがジョーをたしなめた。もちろん、うまく逃げたマーベラスのことを危機に陥ったジョーが快く思うはずがない。
「うるせえ! 後ろからジャイアント・アントが迫って来てたんだぜ。あの状況でどうしろってんだ!?」
「私みたいに、壁際に避ければよかったのよ。この部屋は、壁際にだけちゃんとした床があって、中央にアリ地獄が作られていたってわけ。砂で覆われていたけど、しっかりと観察ができていれば、見極められたはずよ。だから、この部屋を通るには、壁際に移動すれば安全だったのに」
 マーベラスは砂に隠れた床石を示すように足踏みをした。ジョーは、益々、不機嫌になる。
「お前がもっと早く、そういうことを教えておいてくれりゃあ、こんな目に遭わずにすんだんだろうが!」
「何、それ!? 私のせい!?」
「おおよ! ――おい、ヴァルキリーもこの薄情者に何か言ってやれよ!」
 ジョーは同じアリ地獄に落ちた仲間としてヴァルキリーを味方につけようと思ったが、その当人はすでに部屋の反対側にある通路を調べていた。
「ここも遺跡の入口と同じルーン文字が刻まれているわね。どうやら、ここまでがジャイアント・アントが徘徊できる範囲みたい。多分、このアントリオンにエサを供給するため、この部屋とジャイアント・アントの巣をつなげておいたのね」
 すっかり遺跡調査に熱心なヴァルキリーを見て、ジョーは言葉がなかった。もっと親しい関係になるには並大抵ではない苦労が必要なようだ。
 とはいえ、一行の目的はこの遺跡のさらなる奥である。いつまでもアントリオンの死骸が転がった部屋に用はない。
「この先、風の精霊は?」
「風の精霊が封じられていたのは、この部屋の中だけのようです。この先には、とりあえず魔法による制限はないようですが」
 ザカリヤの質問にヴァルキリーは答えた。魔法が使えるのはいいが、さらにどんな仕掛けが隠されているかは分からない。また、マーベラスを先頭にした隊列に戻り、一行は席へ進むことに決めた。
「誰かこの奥へ足を踏み入れた人はいるのかしら?」
 ほぼ真っ直ぐな通路を進みながら、ヴァルキリーは誰にともなく言った。それに答えたのは、ザカリヤだ。
「おそらく、ほとんどの者があの複雑なジャイアント・アントの巣を抜けられずにあきらめただろう。仮に抜けられた者がいたとしても、アントリオンの餌食になったと見るのが妥当ではないかな」
「では、この先は誰も入ったことのない、未知の領域だと?」
「いや。まだ我々の先を行くヤツがいる。――のう、アルコラ?」
 フード頭がうなずくように見えた。なぜ、そうと言えるのか、ヴァルキリーは怪しんだ。
「待って」
 先頭を歩いていたマーベラスが立ち止り、耳をすませた。他の者も無言でそれにならう。
「誰かいるわ」
 マーベラスは小声で囁いた。すると、前方に炎の明かりがゆらりと揺れる。
「誰だ、そこにいるのは!?」
 鋭い誰何の声に、ジョーとスカルキャップが身構えた。


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