←前頁]  [RED文庫]  [「吟遊詩人ウィル」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→


吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−11−

「マーク!」
 悲痛なタイラーの声が遺跡の通路に響いた。ジョーとの一騎討ちも切りあげ、倒れた弟に駆け寄る。ザックも同様だった。
「マーク! マーク!」
 タイラーは弟の名を呼び続けたが、それが届くことはなかった。スカルキャップのハルバードによって、上半身と下半身に千切れかかったマークがすでに死んでいるのは、誰の目にも明らかであったからである。
「よくも弟を!」
 泣きながらザックが手斧<ハンド・アックス>を振りかざし、弟の仇である、まだ目が見えないスカルキャップへと襲いかかった。スカルキャップは武器を大振りし、敵の襲撃に備えるが、ザックはそれを余裕で見切る。ハルバードが目の前を通り過ぎた瞬間を狙った。
「死ね!」
「させるか!」
 そのとき、誰よりも速く動いたのはジョーだった。湾曲したサーベルが一閃する。次の刹那、ザックは信じられないといった表情を凍りつかせながら、その場に固まった。
「ザック!」
 マークの遺体を抱えあげたタイラーがもう一人の弟の名を呼んだ。しかし、ザックはすでに事切れており、手斧<ハンド・アックス>を握ったまま床に倒れ込む。うつ伏せになったザックを中心に血の池が広がり、もう二度と起きあがることはなかった。
 瞬く間に二人の弟を亡くしたタイラーの慟哭は、とてもヴァルキリーには聞いていられないものだった。遺跡に眠ると思われるお宝を巡っての醜い争い。しかも、汚い手段を用いてタイラーたちを出し抜こうとしたのはこちらなのだ。ここで彼らに斬られるわけにはいかないが、だからといってこのような犠牲者を出すこともなかったはずだと、ヴァルキリーは悔恨の念に駆られた。
「おい、ドワーフのおっさん、大丈夫か? 目を見せてみろ」
 ジョーが目潰しを喰らったスカルキャップを引っ張って来た。これ以上、暴れられて、無益な戦いをしないためでもある。ジョーの顔にはヴァルキリーのような苦いものは読み取れなかったが、彼にしても不本意な戦いであったのかもしれない。
 スカルキャップの目は水筒の水を使って洗われた。まだ目が真っ赤になっているが、失明ということはないらしい。むしろ心配しなくてはならないのは、身体に刺さったマークの矢だろう。矢は四本刺さっていたが、鎖帷子<チェイン・メイル>を着ていたおかげか、どれも深手にはなっていないようだった。
「おっさんの治療が必要だな。――おい、今日のところはここで引き返すだろ?」
 自分の雇い主であるにもかかわらず、ジョーはぞんざいな口調でザカリヤに尋ねた。そのザカリヤもジョーの言葉遣いなど気にしていないのか、特に気分を害した様子もなくうなずく。こういうとき、聖魔術<ホーリー・マジック>が使える聖職者<クレリック>がいれば、これくらいの傷を簡単に直してくれるのだが、そんな者はいない。ラバンの村にもいるかどうかは分からなかった。
「おぶってやろうか?」
 ジョーが背中を貸してやろうとすると、スカルキャップはムッとしたようにそっぽを向いた。意地でも自分で歩こうとする。ジョーは「勝手にしろ」と唾を吐いた。
「待て!」
 立ち去ろうとした一行の背を、タイラーの声が呼び止めた。振り向くと、タイラーが二本の短剣<ショート・ソード>を構え、涙を流しながらこちらを睨んでいる。
「よくも弟たちを殺ってくれたな! このまま帰すと思うなよ!」
 まだ戦えるジョーが一行の前に出た。
「よせ。お前一人でオレたちに敵うわけねえだろ。命を粗末にするな」
「うるさい! ――ザカリヤ! このオレの命と引き換えにしても、貴様だけは生かしておかぬ!」
 名指しされ、ザカリヤは挑発するように宙を漂った。
「このワシを殺すと言うか、三下め。ワシを誰だと思っている? 盗掘王ザカリヤだぞ」
「そう威張っていられるのも今日までだ!」
 タイラーはザカリヤのみを標的として走った。そのザカリヤを守らなくてはならないジョーも、剣の柄に手をかけたまま、一瞬、抜くのをためらう。近くにいたヴァルキリー同様、タイラーの怒りは当然という同情があった証拠だが、その迷いがタイラーに決定的な瞬間をもたらす。
「義父上!」
 護衛役であるはずのジョーが動かないと見て、養女であるマーベラスは焦った。とっさに駆け寄ろうとする。
 しかし、不敵なのはザカリヤであった。無防備な自分に凶刃が迫ろうというのに、魔法の安楽椅子<マジック・チェア>に座ったまま、悠然と待ち構える。その顔には薄らと笑みさえ浮かんでいた。
 次の刹那、空気を切り裂く音がした。あっ、と声をあげたのはザカリヤにあらず。
 気がつくと、猛然と斬りかかっていったはずのタイラーがひざまずいていた。見れば左の大腿部に小さくも太い矢が突き刺さっている。それを見て、ザカリヤが堪えられぬといった様子で笑い声を漏らした。
「バカめ! 老いたとは申せ、このザカリヤ、易々と討ち取られるものか!」
 ザカリヤは得意げに、人差し指でトントンと魔法の安楽椅子<マジック・チェア>の肘かけを叩く。その下には小さな射出口があった。矢がそこから放たれたものであろうとは。
「ワシもようやくこれを使う日が訪れて嬉しいぞ。これはこの椅子を発見してから、後日、細工師に作らせた仕掛けじゃ。このワシが無防備のまま外を出歩くと思うたか? くっくっ、何しろあちこちで恨みを買っておるからな、備えは万全じゃて」
 悪党の勝ち誇った笑いに、タイラーは顔を歪めるほど悔しそうだった。何とか短剣<ショート・ソード>を支えに立ちあがるが、その足ではもうザカリヤに飛びかかることはできない。
「どれ。弟を亡くして独りになってしまったお前をここで楽にしてやろうか。もう生きていても意味はないじゃろう」
「お、おい!」
 この非情な死刑宣告に、さすがのジョーも顔色を変えた。ザカリヤを睨み、やめさせようとするが、この年老いた盗掘王に人間らしい温かい血など通っていない。魔法の安楽椅子<マジック・チェア>は狙いを微調整して漂う。一方、タイラーも無念の歯ぎしりをしているが、そのまま堂々と立ち尽くしていた。逃げないつもりだ。
「さらばだ」
「やめ――」
 ジョーの制止は間に合わなかった。魔法の安楽椅子<マジック・チェア>から二本目の矢が射出される。それはザカリヤの狙い通り、タイラーの心の臓へ一直線に――
 だが、ここで神風が吹いた。それは通路を吹き抜け、ザカリヤの矢をあらぬ方向へ逸らせ、叩き落とす。瞬間、ザカリヤは烈火のごとき怒りをたたえ、傍らの仮面の魔女を睨みつけた。
 しかし、さっきスカルキャップも救った、この風の精霊の守りは、ヴァルキリーがかけたものではなかった。その証拠に、ヴァルキリー自身もこの奇跡に驚いている。ザカリヤは素早く血走らせた目を周囲に向けた。
「誰だ!? 誰かいるのか!?」
「もう、その男は戦えぬ。命を奪わずともいいだろう」
 それは通路の奥から、流麗な響きを持って聞こえてきた。通路の先に凝り固まっている闇に目を凝らす。すると暗闇より夜の化身ともいうべきものが現れた。
 最初、それはこの遺跡をさまよっている幽霊なのではないかと、誰もが疑った。ただ、このように妖しくも美しい幽霊がこの世に存在するならば、だが。
 それは頭から爪先まで、黒一色をまとった人物であった。鍔の広い旅帽子<トラベラーズ・ハット>に膝下までの長いマント姿。肩口まで伸ばされた長髪も黒く、顔だけがやけに白く見える。そのほっそりとした顔立ちは、一見、女性かと見紛うような美しさで、一瞬にして男女の隔てなく陶然とさせてしまう魅力が備わっていた。
 しばらく、誰からも声が出なかった。この人物に魅了され、時間というものを忘れてしまったからだ。海千山千のザカリヤでさえも。
 皆がハッと我に返ったとき、黒ずくめの人物はいつの間にかタイラーの足から矢を抜き、止血のために布で縛ったあとだった。誰もが眠ってでもいたのではないかと思い込む。しかし、目の前に現れた人物は確かに存在していた。
「な、何者だ……?」
 ようやくザカリヤは喋ることができた。最年長者である彼でさえ、これまでに過ごしてきた人生の中で、美女と評判だった女を何人も抱いてきたが、こんな非現実的な美貌を持つ人間にお目にかかったことはない。それはザカリヤにとって衝撃ですらあった。
 旅帽子<トラベラーズ・ハット>の下から覗いた目が、魔法の安楽椅子<マジック・チェア>に座ったザカリヤを鋭く射た。もしもザカリヤが自分の足で立っていたのなら、腰を抜かしてしまったかもしれない。
「オレの名はウィル」
 どうやら正真正銘の人間らしかった。それも女ではなく男。もっとも、それで彼の持つ美しさが損なわれることはない。むしろ、見れば見るほど、目を逸らすことのできぬ妖しさを認識せずにはいられなかった。
 それを無理矢理にでもザカリヤは忘れようとする。
「な、名前など聞いておらぬ……。どうしてお主がこんなところにいるのか、それを尋ねておるのじゃ」
「オレは吟遊詩人だ。ここに遺跡があると聞いてやって来た。何か新たな物語を紡ぐよすがを求めてな」
「吟遊詩人だと? お主、一人でここへ?」
「そうだ」
 にわかには信じられなかった。ジャイアント・アントや他にも危険な罠が仕掛けられた迷路のような遺跡をたった一人で探索しようとは、狂気の沙汰ではない。しかも、このウィルという男は、ザカリヤやタイラーたちがこれから進もうとしていた方角から戻ってきたのだ。それはつまり、この中の誰よりも遺跡の深奥部へ進んでいたということになる。
 ザカリヤはこのウィルという得体の知れぬ吟遊詩人に恐れを抱いた。盗掘王ザカリヤともあろう者が――
「何が原因で争いになったかは知らないが、こうして通りかかった以上、戦えぬ者が殺されるのを見過ごしてはおけぬ。まだ、この男を殺すつもりなら、オレが相手になるぞ」
 吟遊詩人風情の割に大言壮語を吐き、普通ならば一笑に付して一緒に始末するだけだが、なぜかザカリヤは動けなかった。ウィルがまとう鬼気のようなものに気圧されて。死の病にかかってから、まったくかくことのなかった汗がこめかみを伝った。
「オレも無抵抗な男を殺るってんなら、この仕事、降ろさせてもらうぜ。もちろん、そのときはあんたの敵に回るってことさ」
 ジョーは雇い主に反抗した。言葉にはしなかったが、ヴァルキリーも同じ思いだ。負傷したスカルキャップは無言のまま。マーベラスは青ざめ、アルコラは沈黙を貫いている。こちらは何を考えているのか、一切、分からない。
「分かった。とりあえず、スカルキャップの治療もある。村に戻るぞ」
 ザカリヤは折れるしかなかった。


<次頁へ>


←前頁]  [RED文庫]  [「吟遊詩人ウィル」TOP]  [新・読書感想文]  [次頁→