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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−12−

 負傷したスカルキャップの治療のため、ラバンの村へ戻ったヴァルキリーが自分の宿屋へ帰りついたのは、結構、遅くなってからだった。
 結局、聖魔術<ホーリー・マジック>が使える者はこの村におらず、応急処置くらいしかできない治療院に運ぶことしかできなかった。ドワーフの生命力からすれば、すぐ命にかかわるようなケガではなかったものの、動けるまでに回復するには時間がかかる見通しだ。
 そこでザカリヤは、誰か聖魔術<ホーリー・マジック>を使える僧侶<プリースト>を連れて来ようと考えた。金で雇った人間を隣村やクリピスへ走らせ、スカルキャップを治す手筈だ。ただ、ルッツ王国は山国で、町や村は点在してしまっている。一番近くから僧侶<プリースト>を連れて来るにしても三日はかかる見込みだった。
 それまでは遺跡に潜ることも出来ないので、宿屋で待機ということになったのだが、誰よりもそれに我慢ならなかったのが、安静であらねばならぬはずのスカルキャップだった。このドワーフはジッとベッドに寝ていられず、身体に障るのも構わず、酒を飲みたがったのである。治療院に連れ込んだヴァルキリーとジョーは、このアル中を大人しくさせるのに苦労した。最後はヴァルキリーが魔法まで使って眠らせたのである。
 そんなわけで、ヴァルキリーは疲れ果てた状態で宿屋へ帰った。これまた、いつものようにジョーがくっついて来ている。もう、それをどうこう言う気力さえなかった。
「いい? 着替えてくるから、ここで動かずに待っていて」
 飼い犬をしつけるように言い捨ててから、ヴァルキリーは二階で着替えた。本当は身体を洗いたいところだが、ジョーを長い時間待たせたら、またよからぬ考えを抱くかもしれない。今夜はドレスでなく、マントと胸当てだけを外した、日常と変わらない軽装にしておいた。
「お待たせ。どうしたの?」
 ジョーは言いつけ通りに待っていたが、どこか一点を見据えたままだった。ヴァルキリーが来て、慌てた様子で何もなかったように装う。
「い、いや、別に……」
「あら、あの人……」
 ジョーが何を見ていたのか気になって、そちらへ視線を移してみると、黒い旅装束の姿が見えた。あの遺跡の中で出会った、ウィルという男だ。宿屋の主人と何やら交渉しているらしい。
 ヴァルキリーがウィルに気づいてしまい、ジョーは聞こえないように舌打ちした。女を虜にしてしまう美形など、モテない男の敵でしかない。
 ウィルは主人との話し合いがまとまったのか、軽く会釈すると、酒場の奥の方へと進んだ。そして、黒いマントの下から銀色の竪琴を取り出す。ヴァルキリーたちは、彼が吟遊詩人だと名乗っていたことを思い出した。
 まるで女性のような指を滑らせ、ウィルは《銀の竪琴》を爪弾いた。美しい音色。喧騒に満ちていた酒場が、引き潮のように静かになって行く。ウィルは観衆に一礼すると、歌声を披露し始めた。
 娯楽が少ない田舎において、諸国を巡り歩く吟遊詩人の歌と演奏は大いに歓迎されているが、このウィルが吟じるものは初めて聴くような鮮烈さと魅力があった。女性のような外見同様、男のものとは思えぬ中性的な声の響きに、《銀の竪琴》の繊細な旋律が夢の世界へと誘う。観客たちは聴き惚れながら、その情景を脳裏に浮かべていた。
 それは行ったこともない風景。
 それはおとぎ話のような物語。
 にもかかわらず、皆が同じイメージを共有することができた。まるで魔法のように。その後、彼らは何日もそのときの話をしただろう。
 ウィルは続けて、三曲歌った。英雄譚に恋物語、そして諧謔詩。誰もがそれに聴き入りながら、奮い立ち、涙し、大声で笑った。こんなに心躍らせたのは何年ぶりだろう。ひょっとすると、人生初めてのことかもしれない。それほどに、この美しき吟遊詩人の歌に酔いしれた。
 演奏が終わると、惜しみない拍手と銀貨が飛び交った。ウィルは頭を下げて、感謝の意を顕わす。あちこちからアンコールの要望が殺到したが、宿屋の主人がそれを必死に制した。この素晴らしい吟遊詩人に喉を潤す時間を与えようと。今宵はまだ始まったばかりなのだから。
 やっとウィルが観衆から解放されると、ヴァルキリーは手をあげて、自分たちの存在を教えた。それに気づいたのであろう、ウィルも《銀の竪琴》を抱えながら、そちらへ近づく。
「昼間はどうも」
 ヴァルキリーは吟遊詩人に椅子を勧めた。ウィルは同席することに決める。
「ここへ逗留していたのか」
「ええ。私だけは、ね」
 ヴァルキリーは微笑んだ。その隣ではジョーがむっつりとしている。せっかく二人で夕食を楽しもうとしていたのに、いらぬ邪魔が入って面白くないのだ。
「どう? 素敵な歌声のお礼にワインでも一杯」
「いただこう」
 それは一種独特な面子が集ったテーブルであったと言わなくてはならないだろう。その証拠に周りからは好奇と奇異に満ちた視線が向けられてきている。ジョーのような傭兵はすっかり見飽きたのでともかく、男のくせにえらくべっぴんな吟遊詩人と仮面で素顔を隠した女魔術師の取り合わせは、一生に一度、見られるか見られないかに違いない。
 しかし、ウィルもヴァルキリーも、日頃から物珍しそうな人々の目に慣れているせいか、まったく気にした素振りはなかった。ジョーだけが仏頂面をしているが、これは原因が別にある。
「まずは自己紹介と行きましょう。私はヴァルキリー」
「ヴァルキリー? 勇者を導くという精霊の名か」
「今は誰も導いていないけどね」
 隣でジョーが自分のことを指差していたが、言うまでもなく黙殺された。仕方なく、自分の名を名乗る。
「オレはジョー」
「ウィルだ」
「今日は助かったわ」
 ウィルへワインを注ぎながら、ヴァルキリーは言った。何のことか、とウィルはヴァルキリーを見る。この仮面の魔女ですら、美しき吟遊詩人の眼差しを正面からまともに受け止めることは至難のわざだった。まだ飲んでもいないのに、頬の辺りが赤らみかける。大きな仮面がなければ、それは簡単に分かっただろう。
「あそこにあなたが現れなければ、もう少しで、あのタイラーという人も死ぬところだった。ムダな血を流すことなんてなかったのに」
 そのうちの一人、ザックを殺しているジョーにとっては耳が痛かった。そっぽを向いて、水を飲む。
「そう思うなら、お前が止めればよかったろう。もっとムダな血が流れる必要もなかったのではないか?」
「きれいな顔して、意外と辛辣なことを言うのね」
 ワインを注ぎ終えたヴァルキリーは、軽くウィルを睨んだ。今度はウィルがヴァルキリーの手からワインのボトルを取りあげ、彼女のグラスに注いでやる。
「事実を言ったまでだ」
「ホント、あれだけ人を感動させる歌を唄った同じ人とは思えないわ」
 二人はグラスを掲げると、静かに乾杯した。両者の視線が、一瞬だけ絡む。ジョーは我知らず、床を踏み鳴らしていた。
「確かに、あの人たちが剣を抜いたのは、こちらが汚い手口を使って、彼らの功績を横取りするようなことをしたからよ。非はこちらにあるわ。でも、私もジョーも、ザカリヤと組んだ立場としては、彼らに味方するわけにはいかなかった。あんなところで仲間割れをしたら、命にすら関わるわ」
「盗掘王ザカリヤか」
「知っているの?」
 愚問だった。ウィルは吟遊詩人なのだ。諸国を旅している彼らは、情報収集能力に長けている。
「噂くらいは聞いている。確か、滅びの都レムリアから貴重な魔法の品々を持ち帰り、巨万の富を得たとか。しかし、そのとき、一緒に潜ったはずの仲間は一人も帰って来なかったため、陰ではいろいろと言われている。宝を一人占めするために、仲間を皆殺しにしたとか。もっとも、レムリアで本当に何があったのか、それを知っているのはザカリヤだけだがな」
「まあ、その噂っていうのを裏づけるくらい腹黒いのは確かなようだわ。彼の技と知識を受け継いだというマーベラスはともかく、ザカリヤの主治医だというアルコラは仲間であるはずの私たちにも正体を隠し、何かを企んでいる。それに医師か薬師であるなら、負傷したスカルキャップを真っ先に診てもいいはずでしょ。それをしなかったところからも、あの男が何かを隠しているのは間違いないわね」
「そうと知っていて、一緒に行動しているではないか。目当ては金か?」
「こっちにいるジョーはね」
 いきなり話を振られ、ジョーは慌てた。
「おいおい、自分だけ善人ぶるつもりか?」
「言っておくけど、私は金で雇われたわけじゃないのよ」
「分け前をもらうんだろ? 同じじゃねえか」
「それは当然の報酬よ。あくまでも私は、遺跡の調査が目的なんだから。五大王国には古代魔法王国時代の遺跡がいろいろと残っているけど、こんなに小規模な、造られた目的も不明なものは初めてよ。この遺跡が一体何なのか、それを解明するのが何よりも優先するわ。私がザカリヤと手を組んだのは、彼の遺跡探索に関する知識が有用だと判断したから。だから、あなたと一緒にしないでほしいわ、ジョー」
 ヴァルキリーにしっかりと線引きされ、ジョーはなおさら不貞腐れた。本当なら椅子を蹴って出て行きたいところだが、ここでヴァルキリーとウィルを二人きりにしては何が起きるか分かったものではない。ヴァルキリーも女だ。アタックをかけるジョーを軽くあしらってはいるが、美形のウィルにはコロッと行ってしまう可能性だってある。絶対に目を離すわけにはいかなかった。
「――ところでウィル、あなたはどうしてこの村へ? 遺跡のことを知って来たみたいだけど」
「この地方には古い言い伝えが残っている。二人の若い男女が家柄を捨て、駆け落ちをしたという話だ」
「駆け落ち? よくある話だと思うけど」
「《銀黎の時代》、身分や戒律は今よりずっと厳しかった。その二人が逃げ込んだというのが、あの遺跡らしい。しかもあれは、男が女と逃げるために造ったものだそうだ」
「でも、あんなところに逃げ込んだって、他に逃げようがないんじゃ……」
「その後、二人の姿を見た者はいない。娘の父親は怒りのあまり、あの遺跡の入口を埋めてしまったという。オレはその二人がどうなったのか知りたい。ロイという若い男とタレリアという若い女がどうなったのかを。生き埋めにされて、生涯を終えたのか。それとも、無事、どこかへ逃れたのか。そこに知られていない物語があるような気がする」


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