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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−13−

 タレリアという名前を聞いて、ヴァルキリーは思い出した。遺跡の入口に刻まれていたルーン文字。そして、不自然に削り取られた箇所。
「あそこの入口で消されていたのは……」
「そう。駆け落ちした相手の男、ロイという名が書かれていたはずだ。多分、本人が記したものだろう。消したのはタレリアの父。この地方の名門貴族だったと思われる」
「よく、そこまで調べたものね」
 ヴァルキリーはウィルが披露した知識に感服した。
 現在の《鋼鉄の時代》になる前、今よりも強大な魔法を用いて一大版図を築いた魔法王国期――いわゆる《銀黎の時代》のことは、《大変動》という未曽有の災厄のために、ほとんど記録らしい記録が残っておらず、分からないことだらけだ。魔術師たちが各地の古代遺跡を調査し続けているのも、当時のことを少しでもつまびらかにするためである。
 そのため、魔法王国時代は単なる辺境に過ぎなかった、この地方の一貴族のことを知っているとは、実に驚くべきことであった。そんな資料となるべきものがどこに存在するのか、ヴァルキリーは訝しく思う。
 その疑問を察したものか、ウィルはマントの下から商売道具である《銀の竪琴》を取り出して見せた。こうして間近で見ると、女神が竪琴を弾いている細やかな意匠を確認することができて、楽器というよりも美術品としての価値がありそうだと思える。もちろん、これまで魔法王国時代のことを調べてきたヴァルキリーには、この《銀の竪琴》がただならぬマジック・アイテムであることは一目瞭然だった。
「たとえ正式な記録には残っていないことも、人伝に語り継がれる歌や伝承にヒントがあるものだ。オレは吟遊詩人として、それらの物語に興味がある。ここで新しい遺跡が発見されたと聞いたときも、もしやカルレラ家の醜聞と関係があるかもしれないと結びつけて考えたまでだ」
「なるほど、吟遊詩人ならではの観点ということね」
 ヴァルキリーはうなずいた。
「この地方の領主でもあったクロム・カルレラは何よりも家柄を重んじる厳格な男であったらしい。カルレラ家に比べると、ロイのバークレー家は数段落ち、いくら娘と好き合っていても、結婚させるつもりはなかったのだろう。娘には別の男との政略結婚をさせようとし、ロイを追い払おうとした」
「でも、ロイはあきらめなかったのね。タレリアも」
「ロイは研究者であったようだ。その頭脳を生かして、あのような仕掛けを施した遺跡を造ったのだろう。タレリアと一緒になるために」
「ロマンチックな話ね。いかにも吟遊詩人が題材に選びそうな物語だわ。でも――」
 そこでヴァルキリーは言葉を区切り、美貌の吟遊詩人を見つめた。油断のない目つきで。
「あなたは遺跡の奥から現れたわよね? つまり、私たちよりも先に遺跡へ潜っていた……。ウィル、あなたはもう、あの遺跡を調べ尽くしたの?」
 このときにはジョーの目も鋭く光っていた。先を越されたことへの警戒心だ。
 しかし、ウィルはまったく平静であった。そんなことなど些細なものだとでも言いたげに。
「まだ、最後までは辿り着いていない。何しろ、この村へ着く前に、ちょっと覗いておこうと思っただけだからな」
 何気ない言葉であったが、二人を戦慄させるには充分であった。ウィルは今日来たばかりだと言う。にもかかわらず、一人で遺跡に入り、ヴァルキリーたちよりも奥まで探索していたのだ。あの複雑なジャイアント・アントの巣を突破し、アントリオンの罠を回避して。
「ど、どこまで行ったんだ?」
 ジョーはつい尋ねずにはいられなかった。
「遺跡がどこまで続いているかなど、造った本人でもなければ分からん。だが、かなり奥まで行けたと思う。あの遺跡は、ほぼ一本道だからな」
 さらりとウィルが言うので、ジョーは怒るよりも呆れた。たった一人、たった一日で、そこまでしてしまうとは。それに一本道という譬えがあの遺跡に対してふさわしいと思えない。あんなに複雑に入り組んだジャイアント・アントの巣が一本道などであるわけがないし、半年も前から遺跡に入っていたタイラーたち兄弟だって、その攻略に手間取ったのだ。ジョーたちがわずか二日目で抜けられたのも、アルコラが講じた何らかの手管があってこそである。
 ヴァルキリーも驚きを隠せなかった。このウィルという男、見た目ばかりでなく、やることなすこと人間離れし過ぎている。
「じゃあ、私たちの案内人になってくれないかしら? あなたも一人よりは危険が減ると思うけど」
 ある程度、答えを予想しながら、ヴァルキリーは提案した。ジョーがハッとして、ヴァルキリーを見る。本気かどうか、窺ったのだ。もちろん、仮面の下に隠された真意は読み取れない。
 ウィルは答えた。
「断る」
 やはりね、とヴァルキリーは心の中でひとりごちた。しかし、それは表に出さず、もう少し粘ってみる。
「どうして? まだ遺跡には、ジャイアント・アントみたいな――いいえ、それよりも恐ろしいモンスターが潜んでいるかもしれないのよ?」
「そうかもしれないな」
「だったら、あなた一人よりも、私やジョーたちと一緒の方が安全でしょ? 私は白魔術<サモン・エレメンタル>を、ジョーやスカルキャップは傭兵として戦ってくれるわ。それにザカリヤやマーベラスは、こういった探索に慣れていて、事前に罠を回避することだってできるはずよ」
 そうは言っても、アリ地獄には落ちてしまったけれどもな、とは思ったが、さすがにジョーは黙っておいた。自虐的にでもそんなことを口にしたら、ヴァルキリーに睨まれるどころか、蹴飛ばされかねない。
 だが、ウィルはまったく心が動かされていない様子だった。いや、この美しいが無表情の吟遊詩人に、人間らしい豊かな感情など通っているのだろうか。
「悪いが、オレは一人が性に合っている。何より、余計なことにわずらわされず、気が楽だ。自分の身くらいは守れる」
 ウィルはにべもなく言った。ヴァルキリーの目には疑念と警戒が入り混じる。
「ああいう遺跡には何度も潜っているのね? だから自信があるというわけ?」
「………」
「そう言えば、昨年だったか、ブリトン王国のセルモアで、ずっとあると信じられて見つからなかった天空人の遺跡が、ある魔術師によって発見されたという話を聞いたことがあるわ。ブリトン王国では、かなりのニュースになっているようね」
「そうだな」
「その発見には黒衣の魔術師が関わったって……」
 ヴァルキリーはウィルの黒装束を見ながら言った。しかし、その美しい相貌に少しの変化もない。
「その魔術師かどうかは知らないが、遺跡を発見した男は死んだ。これも広く知れ渡っているぞ」
「………」
 しばらく、ウィルとヴァルキリーはじっと見つめあったまま動かなかった。まるで腹の探り合いをするかのように。ジョーはこの沈黙に息苦しさを覚えたが、ただ二人の顔を交互に見やることしかできなかった。
「……ウィル、あなた、何者?」
「見ての通り、ただの吟遊詩人だ」
 ウィルの答えはあまりにも簡潔明瞭だった。この手のタイプは、決して自分のことを語ろうとはしない。聞くだけムダというものだ。
「そう言うお前とて、“ヴァルキリー”という名で偽り、素顔を仮面で隠している。オレよりも知られたくないことが多そうだな」
「………」
 目こそ逸らさなかったものの、ヴァルキリーは黙り込んだ。このウィルという男、千里眼でも持つのか。そんなことがあるわけがないが、まるで自分の素性がばれているような不安感にヴァルキリーは駆られた。
「――さて、そろそろ演奏を再開するとしようか。聴衆がお待ちかねのようだ」
 ウィルがこのテーブル席に着いてからというもの、他の客たちはこの美しい吟遊詩人が、もう一度、唄うのを待ちかねていた。ウィルはそれに応えるため、《銀の竪琴》を手に席を立つ。酒場の客たちの顔が期待に輝いた。
「待って」
 行こうとするウィルをヴァルキリーは引き留めた。上目づかいで、もう一回、先程の提案を繰り返す。
「本当に私たちの仲間になるつもりはないの?」
「ああ」
 ウィルのいらえは揺るがなかった。しかし、突っ張るだけでは世の中を渡って行くことは難しい。あの悲劇に見舞われたタイラーたち兄弟がそうだ。だから、ヴァルキリーはあきらめようとはしなかった。今度こそ救うために。
「ザカリヤは目的のためなら手段を選ばない男よ。あなたが一人で遺跡に潜ると知ったら、場合によっては始末しようとするかもしれないわ。これからあなたは、遺跡の罠やモンスターだけでなく、ザカリヤにも気をつけなくてはいけなくなるのよ」
「無益な争いは好まないが、そちらから仕掛けてくるのなら、こちらは自分の身を守るのみ。それ相応の報いを受けてもらうことになるだろう」
「面白え!」
 不敵に応じたのはジョーだった。彼にとっては、ウィルが味方にならない方が好ましい。これ以上、ヴァルキリーと親しくされては、こちらが敵いようもない絶世の美男子だけに許せないからである。
「そのときは敵同士ってわけだ。いいだろう。オレも遠慮はしねえぜ。できれば、オレがあんたを始末できるよう、ザカリヤに命じて欲しいものだぜ」
「ジョー」
 ヴァルキリーはこの傭兵の挑発行為をやめさせようとしたが、ジョーは意に介さなかった。今から腕が鳴る、といったところだろう。
「憶えておこう」
 ウィルは眉ひとつ動かさずに一言だけ残すと、聴衆のリクエストを聞きに行ってしまった。


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