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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−14−

 それは思い出したくもない過去であった。
 漆黒の闇の中で、己に待ち受ける運命をただひたすらに呪った。
 周りの者すべてが敵となった。どれも見知った顔であり、親しかったはずの同胞だ。しかし、いくら無実を訴えてみても、誰も耳を貸そうとはしてくれない。それは不当な断罪だった。
 闇の中で灯された炎が、あまねく人々の顔を照らす。自分に向けられる冷やかな視線。浴びせられる罵詈雑言。それを避けるため、目も耳も塞いでしまいたかった。
 そして――
 友の裏切りを知った。唯一、自分の味方だと信じていた友。その口から吐き出されたウソ。それがどれほどの絶望をもたらしたか。そのとき、初めて分かった。何もかもが仕組まれたものであり、自分が陥れられたことを。
 目の前が真っ暗になり、同時に、今までのものすべてを失ったことを思い知った。
 死の宣告が無情にも下されたとき、自分が何かを必死になって叫んでいたのは憶えている。だが、そのあとの記憶はない。目に映るものは、まるで嵐の中の出来事か、時間が早回しにでもなったかのように、凄まじい勢いで物が飛んで行くように消え去った。
 やがて――
 気がつくと、さっきよりも炎が小さくなって燃えていた。そのそばに様々な格好で横たわる同胞たち。近づいてみると、どれも死の形相をこびりつかせていた。炎の赤々とした明かりのせいでハッキリとは分からなかったが、むせかえるような臭いが漂っている。おびただしい血が辺り一面に四散しているのは確かなようだった。
 右手には、いつの間にかハルバードを握っていた。刃は濡れており、血が滴り落ちている。そして、左手には――
「ひっ!」
 指に毛髪が絡みつくようにして、自分を裏切った友の生首が、恨めしそうにこちらを見つめていた……。



「おう、おっさん。具合はどうだい?」
 なるべく陽気に振る舞いながら、ジョーは病室へと入ってきた。どうも見舞いというのは柄ではない。できれば来ないで済ませたいところだった。彼の他にヴァルキリーも同行している。だが、その二人の顔は途端にしかめられた。
 ラバンにひとつしかない治療院のベッドの上で安静にしているはずのスカルキャップは、大きな酒瓶を逆さまに立てるようにして、昼間から酒を掻喰らっていた。一体どこから調達したものか。さすがにトレードマークであるシャレコウベは頭の上ではなく、ベッドの脇に置かれていたが、すっかり元通りといった感じだ。ジョーとヴァルキリーは、この重度のアル中ドワーフの行動にほとほと呆れ果てた。
「ケガ人がなんつーことをしてやがるんだ!」
 ジョーは噛みつくように言うと、スカルキャップの手から酒瓶をひったくろうとした。ところが、酒を飲んでいても反射神経に影響はないらしく、スカルキャップはそれをひょいと躱す。そして、ジョーを嘲笑うかの如く、これ見よがしに、またラッパ飲みを再開した。
「くううううっ、このうわばみドワーフめ! こんなことして、その傷に障っても知らねえぞ!」
 ジョーは、やっぱり見舞いなどに来るべきではなかったと後悔した。どうせ、このスカルキャップが簡単にくたばるとは思えない。
 ザカリヤが手配した聖魔術<ホーリー・マジック>の使い手は、一応、今日にも到着する予定になっている。マークから受けた矢の傷は、一発、魔法さえかけてもらえれば完治すると思われるが、どうもスカルキャップはそれまで待てなかったらしい。結局、止める間もなく、全部飲み干してしまった。
 久しぶりの酒が回ったものか、ほんの少し瞼を重たげにしながら、スカルキャップは空になった酒瓶をジョーへ放った。ジョーは慌ててキャッチする。
「『酒は百薬の長』という言葉を知らんのか? 酒さえ飲んでおれば、こんな傷などすぐに治るわ」
 そううそぶくスカルキャップに、ジョーはもう返す言葉もない。
 一方、そんなスカルキャップを見て、ヴァルキリーは微笑んだ。
「さすがに生命力の強いドワーフね。もうすっかり元気になったみたい」
「当然じゃ。やわな人間などと一緒にしてもらっちゃ困る。元々、大騒ぎするようなケガではなかったのだ」
「そのようね。それに今日は随分と機嫌もよさそうじゃなくて? こうして私たちとまともに口をきいてくれたのも初めてだもの」
 スカルキャップは、思わずヴァルキリーを見返した。いつものように、むっつりと口を閉じる。
 ヴァルキリーは笑みをたたえたまま、ベッド脇に置かれたイスに座った。その後ろにジョーが立つ。
「とりあえず今日中には、聖魔術<ホーリー・マジック>を使える人をここへ呼んできて、あなたを治療させる手筈になっているわ。そうしたら、明日からでも遺跡探索を再開するつもりよ」
「ふん。ワシならば、今からでも構わんぞ」
「ムチャ言わないで。――と言っても、ザカリヤは一刻も早く、遺跡へ戻りたいでしょうね」
「だな。あいつ、かなりイライラしているみたいだぜ」
 同宿のジョーがうなずいた。原因は明らかだ。
「ザカリヤはあの吟遊詩人に先を越されやしないか、居ても立ってもいられねえんだろうぜ。そりゃ、無理ないわな。ヤツはオレたちよりも深く遺跡に潜っていた。それも聞けば、あれが初日だったって言うじゃねえか。三日もあれば、遺跡の隅々まで調べ尽くしていそうだぜ」
 肩をそびやかしながらジョーは言った。そんなことになれば、ジョーの契約は即座に打ち切られるかもしれない。それとも、ウィルの収穫を横取りしようと、新たな契約事項が付け加えられるか。どちらにせよ、ジョーとしてもこのままウィルにしてやられるのは我慢がならない。負けるのは見てくれの容姿だけでたくさんだ。
「私にも出来るだけ彼を見張るよう、ザカリヤから言われているけど、今のところ、何の動きもないわ。昼間から夜にかけて、ラバンのあちこちで歌を披露しているだけ。もちろん、吟遊詩人なのだから、それが仕事には違いないのだけれど、あれから遺跡に行く素振りをちっとも見せやしないわね」
 ヴァルキリーはこの三日ほど、同じ宿に宿泊していることもあって、それとなくウィルの行動を観察していたが、何を意図しているものやら、すっかり分からなくなっていた。遺跡の調査が目的ならば、さっさと行けばよさそうなものだが、ウィルは村から一歩も外へ出ようとしない。まるで、そんなことはさして重要ではないとでも思っているようだ。それならば同じ遺跡を探索する者として、それに越したことはないのだが、当然のことながらザカリヤの目は疑い深く、常に光っている。同宿のヴァルキリーとは別に、子飼いのマーベラスを影のように張りつかせているのが何よりの証拠だ。
 動きが何もないからこそ、ジッとしているしかないザカリヤは苛立っているのかもしれない。おそらく、ウィルの不可解な行動が薄気味悪いのだ。
「ヤツがどう動こうと、こちらの邪魔さえしてくれなければ放っておくさ。お宝さえ手に入ればいいんだからよ」
 ジョーはそう言ったが、ヴァルキリーは遺跡に財宝の類があるかどうか、実は懐疑的だった。ウィルが話していたように、あの遺跡の造られた目的が駆け落ちの避難所ということであれば、金銀財宝など望み薄に思える。そんなものは社会から隔絶されたところで、二人でひっそりと暮らすのに必要ないからだ。
 もっとも、何らかのマジック・アイテムが残されていれば、それが莫大な富に変わる可能性もある。過去にもそういった例は多い。ヴァルキリーとしても学術的な意味合いで、貴重なマジック・アイテムが見つかれば、わざわざルッツ王国まで足を運んだ甲斐があるというものだ。
「それじゃあ、私たちはそろそろ行きましょうか」
「そうだな。オレたちが見舞いに来たところで歓迎されていねえみたいだし」
 そう言ってジョーは、空の酒瓶をシャレコウベの隣に置いた。
「じゃあ、また明日。ちゃんと傷を治してもらうのよ」
「もちろん、治療費は報酬から差っ引かれるだろうがな」
 ヴァルキリーは手を振り、ジョーは皮肉っぽくウインクしながら、スカルキャップの病室を辞した。出口へ向かいかけて、ヴァルキリーが立ち止る。
「そう言えば、あのタイラーという男もここに入院しているんだったわね」
 三日前、ジョーと刃を交えたタイラーは、間一髪のところをウィルに助けられ、スカルキャップと同じく、ここへ運ばれた。何しろ、他に治療院がないのだ。敵だ、味方だと言っていられぬ。
 ザカリヤからの矢を左大腿部に受けたタイラーは、スカルキャップよりも傷が深く、また普通に歩けるようになれるか分からなかった。それでも遺跡から二人の弟の遺体を運び出し、埋葬まで済ませたのである。いくらジャイアント・アントの巣を突破するためとはいえ、ザカリヤたちが勝手に利用したという負い目もあり、ヴァルキリーはすべてを失ったタイラーが気の毒でならなかった。
「ちょっと様子を見て行かない?」
「マジかよ? オレたちが顔を出したりしたら、奴さん、弟の仇とか言い出すんじゃないか?」
 ヴァルキリーの提案に対し、ジョーは渋面を作った。しかし、ヴァルキリーは耳を貸さない。
「あ、そう。怖いんなら、私一人で行くわ。ジョーは帰ってもいいのよ」
「ちっ! そう言えば、オレが帰らねえことを分かってて抜かしやがったな。この魔女め! 分かったよ! 行くよ! 行けばいいんだろ!」
 所詮、ジョーが敵うはずもなく、ヴァルキリーの言うがままにされた。
「失礼します」
 二人がタイラーの病室へ入ると、黒いマント姿の背中があった。一瞬、死神かと見紛う。だが、それは魂を狩る大鎌など持っておらず、全身黒ずくめの人に過ぎなかった。
 病室の窓は開け放たれ、白いカーテンが風にそよいでいる。日射しが差し込んでいて、眩しかった。
「ウィル」
 意外な人物がいて、ヴァルキリーとジョーは驚いた。美しき吟遊詩人はゆっくりと振り返る。
「お前たちか」
「どうして、ここへ?」
「見舞いだ。しかし、ムダ足だったようだ」
 ウィルは踵を返すと、ヴァルキリーたちの脇を抜けて出て行った。まるで、この部屋は明るすぎる、とでもいうように。
「あっ」
 そして気がついた。タイラーのベッドがもぬけの殻になっていることに。


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