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ザカリヤは全裸でベッドに横臥していた。その老いさらばえ、それでいて醜悪なほどに腹が膨れ上がった病身の上では、白く艶めかしい肉体が躍っている。ザカリヤの養女マーベラスだ。彼女も養父と同じく、一糸まとわぬ姿だった。腰を煽情的に動かし、隣の部屋に聞こえそうなほど、淫靡な喘ぎ声を押し殺そうともしない。
マーベラスが十歳のとき、ザカリヤは養女として彼女を引き取った。以来、自分の後継者として一流の知識と技術を習得させると同時に、女としても、ありとあらゆることを仕込んだ。
もちろん、何も知らない少女に過ぎなかったマーベラスは、性奴としての淫猥でおぞましい調教を嫌がったが、それも日が経つにつれ、受け入れざるを得なくなった。両親はもちろん、頼る親戚もいない彼女の居場所は、身柄を引き取ってくれたザカリヤが与えてくれるものしかなかったからである。やがて、逆らわなければ自分は大切にされることを憶え、以後、ザカリヤを師として、時には父として、あるいは男として愛するようになっていった。
マーベラスという名も、ザカリヤがつけてやったものだ。
今やマーベラスは、ザカリヤが理想とする情婦となっている。リルムンド王国の王都ベギラで高級娼館として名高い《堕楽館》の女たちにも、決して引けを取らないであろう。マーベラスはザカリヤが見込んだ通り、とても物覚えがよく、しかも淫蕩な女だった。
ザカリヤはそんな彼女を可愛がり、毎晩のように抱いた。いくら抱いても、飽きるということがない。こんな身体になって自由に外へ出歩くことができなくなったせいもあるが、もう他の女では満足できなくなっていた。
そうやって、ここまで育て上げたマーベラスであったが、今日は少し違っているようにザカリヤには思えた。いや、今日だけでなく、ここ何日か、だ。マーベラスの腰使いはいつもよりも激しい。まるで早く絶頂を迎えようとしているかのように。普段であれば、あくまでもザカリヤに合わせるのだが、そんな配慮など失念しているかのように、ただ性欲を満たすために動いていた。
何となく、ザカリヤにはその理由について察しがついていた。きっと、あの男のせいに違いない。あのウィルという吟遊詩人の。
スカルキャップの治療が済むまで、村での待機を決めたザカリヤであったが、あの遺跡に居合わせたウィルの動向が気にならぬはずがなかった。あの得体の知れぬ男は、恐るべきことにザカリヤたちよりも遺跡の奥まで進んでいたのだ。こうしている間にも、いつ抜け駆けせぬとも限らず、当面、同じ遺跡に潜る者として、ザカリヤたちが最も警戒せねばならぬ人物だった。
そこでザカリヤは同じ宿屋に泊っているヴァルキリーに動きを見張るよう命じたし、同様に昼間はマーベラス、夜はアルコラを張りつけることにした。ところが、あれからウィルはまったく遺跡へ近づく素振りを見せず、吟遊詩人という本来の仕事をしているだけだという。実に不可解な行動であった。もう、あの男は遺跡への興味を失ってしまったのだろうか。それとも、すでに何らかの目的を達したのか。
そうやってマーベラスたちを使って見張らせて三日。明らかにマーベラスの様子に少し変化が見られた。帰って来ると、まるで常に欲情しているかのように瞳が潤み、どこかぼーっとしているのだ。それも無理はあるまい。何しろ、あの魔性めいた美貌の持ち主のそばに半日いるのだ。どのような女であろうと、あの毒気とも呼ぶべきものに当てられぬわけがない。
男のザカリヤとて、一度しか会っていないにもかかわらず、ウィルの美しさには、よからぬ妄想を掻き立てられる。ザカリヤに男色の気などさらさらないが、自分でも知らないうちに、ウィルの美しい顔を歪めさせ、責め立てている場面を想像していることがままあった。こうしてマーベラスと肌を合わせているときさえも、時折、あの忌々しくも惹かれる吟遊詩人を重ね合わせ、性的興奮を高めてしまうのだ。
そのようなわけで、きっとマーベラスも同じであったに違いない。ザカリヤが知る限り、この忠実な養女は他の男に抱かれたことなどないはずだ。これまで、ただひたすらにザカリヤだけを愛してきた。それが今、あのウィルという男のことを思い浮かべながら、淫らに腰を使っている。そう見抜いたとき、ザカリヤは激しい嫉妬を覚えたし、同時にかつてない興奮も味わっていた。
ようやくザカリヤが精を放つと、マーベラスも一緒に絶頂を迎え、二人は汗みどろになりながらベッドに横たわった。マーベラスは最高の女だと信じているが、ザカリヤ自身、ここまで快楽におぼれたのも久しぶりだ。荒い呼吸に上下する、なめらかな柔肌の感触を指先で楽しみながら、美しい吟遊詩人を殺すとき、同じような快感を得られるだろうかと考えた。
そのザカリヤの手が、ふと止まった。マーベラスもまた顔を起こす。しかし、気づいたのは弟子よりも師であるザカリヤの方が一瞬早かった。
「マーベラス、アルコラを呼んで来い」
ザカリヤはほとんど囁くような声で命じた。
「でも……」
マーベラスは躊躇する。しかし、ザカリヤは差し出口を許さなかった。この女に教え込んだのは従順さだ。
「早くしろ」
ザカリヤはマーベラスの尻を軽く叩き、行動を促した。
マーベラスは素早く自分の服を掻き集めると、裸のままザカリヤに部屋から出て行った。あとには真っ裸でベッドの上に大の字になったザカリヤだけが残される。そのままザカリヤは待った。
やがて――
部屋のドアが開くと、ぬっと黒い影が入り込んできた。呼びに行かせたアルコラではない。だが、その人物のことをザカリヤは知っていた。
「やはりここへ来たか」
「ああ。貴様の息の根を止めないうちは、おちおち寝ていられなくてな」
黒い影の人物はドアを閉めて、なるべく声を押し殺しながら言った。しかし、それはわずかに震えている。恐怖からではない。怒りからだ。
真夜中の訪問者の正体はタイラーであった。弟たちを失った落とし前を着けに来たのだ。すでに二本の短剣<ショート・ソード>が抜かれていた。
一方のザカリヤは醜い裸身をさらし、ベッドで仰向けになったままだ。陰部を隠そうともしない――というより、病身の盗掘王は一人では動けなかった。先程までの情事にしても、もっぱら上になって動いていたのはマーベラスである。
武器どころか、身を守るものとてないザカリヤに対し、まだ足の負傷は癒えず、びっこを引くしかないとはいえ、その二本の短剣<ショート・ソード>を振り下ろせばいいだけのタイラーが圧倒的に優位であった。にもかかわらず、ザカリヤは盗掘王の矜持がそうさせるのか、少しも臆するような態度を見せない。タイラーは短剣<ショート・ソード>をザカリヤへ向けた。
「今夜、ここで貴様は一生を終える。女は出て行った。あの手強い剣士とローブの男がいないのも分かっている。それに――」
タイラーはちらりと、部屋の隅にある魔法の安楽椅子<マジック・チェア>を見た。あれに仕掛けられた武器で、タイラーは不覚にも左足を負傷したのだ。しかし、今のザカリヤは正真正銘の無防備状態である。
タイラーの言う通り、マーベラスが出て行った今、宿屋にはザカリヤだけが残っていた。ジョーは相変わらずヴァルキリーのところへ行って、多分、彼女の気を惹こうと躍起になっているだろう。アルコラには、朝までウィルを見張るよう言いつけてある。ヴァルキリーたちの宿屋の近くで息をひそめて待機しているに違いない。
「さあ、年貢の納め時だ。これまで数々の悪行を悔いるがいい。貴様が裏切り、命を奪ったヤツらが冥界で待っているぞ」
「よくぞ、単身で乗り込んできた。その勇気、褒めてやろう」
絶体絶命だというのに、ザカリヤの不遜な態度は、いささかも崩れなかった。病のせいで死にそうな顔をしてはいるが、その目に絶望も悲嘆もない。予想を裏切ったザカリヤの鈍い反応に、タイラーはなおも激しく怒りを燃え上がらせた。
このタイラーが治療院から抜け出したことは、昼間、ジョーからの報告でザカリヤにも届いていた。ここへ現れるであろうことは百も承知であったが、特別、ジョーに護衛を命じてはいない。ザカリヤはあくまでも不敵だった。
「しかしな、若造。せっかく助かった命をそうやって捨てに来るとは、感心せんぞ。このまま村を出、故郷にでも帰っておれば、それなりの幸せをつかめたかもしれぬというのにのう」
「黙れ! 弟たちを死なせて、おめおめと故郷へなど帰れるか! 貴様は弟たちの仇だ! 絶対に許しておけぬ!」
「愚かな」
ザカリヤはそっと呟いた。タイラーの目が鋭く光る。
「愚か、だと? そういう貴様こそ、そんな有様で何が出来るというのだ!? どれ、その腹に剣を突き立ててやろうか? それとも喉を切り裂いて、死の苦しみを味わわせてやろうか? 手足を一本ずつもぎ取ってから、というのもいいぞ。オレは貴様に対しての慈悲など、これっぽっちも持ち合わせていないからな!」
タイラーは剣をかざし、ザカリヤへと近づいた。それでもザカリヤは冷笑を浮かべる。
「ワシには、まだやらねばならぬことがあるのだ。そのために、こんな身体になっても、ここへこうしてやって来たのだからな。ワシは盗掘王ザカリヤじゃ。お主ごときにワシが殺せるものか」
「言ったな! いいだろう! その命、オレが貰い受ける! 覚悟!」
タイラーは短剣<ショート・ソード>を振り上げた。簡単には殺さない。充分に苦しませてから殺すつもりだ。それだけの大罪をこの老人は犯している。
しかし、次の刹那、タイラーの目は驚愕に見開かれた。一瞬、何事が起きたのか分からない。振り下ろされるべき剣は動きを止めた。
「な、何だ、これは――!?」
「ふはははははははっ! ふはははははははははっ!」
ザカリヤの哄笑が暗い寝室の中でこだました。まるで悪魔の笑い声。
次にタイラーの断末魔が闇をつんざいた。
その後、タイラーの姿を見た者はいない。
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