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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−16−

「これでよし」
 スカルキャップは酒瓶いっぱいに火酒を補充すると、それを愛おしむように撫で、ひょいっと肩に担ぎあげた。すでに、こちらも修繕が終わった鎖帷子<チェイン・メイル>を身につけ、ハルバードを手にしている。これで出発の準備は万全であった。
「まったく、大切な準備がまだ残っているって言うから何かと思えば、結局は酒かよ」
 予想はついていたものの、あまりにも期待を裏切らなかったので、ジョーはどうしても言わずにいられなかった。隣でヴァルキリーがくすりと笑う。
「まあ、酒を飲むくらいの元気があるということでしょう。スカルキャップらしくていいじゃないの」
「そうは言うけどなあ」
「おい、ぐずぐずしておらんで、早く行くぞ。それでなくとも遅れているのだからな」
 自分の用事が済んだスカルキャップは、相変わらずむっつりとした表情のまま、とっとと歩き出した。誰のせいで寄り道をすることになったのか文句を言いかけたが、どうせムダだろうとあきらめ、ジョーは歯を剥き出す。
「へいへい。そっちこそ、その短い足を一生懸命に動かせよ。でないと、置いて行っちまうぞ」
「それじゃあ、ご主人、行ってきます」
 ヴァルキリーは世話になっている宿屋の主人ベンを振り返って、酒を売ってくれた礼をした。ベンは、この素性も顔も分からぬ客に対し、いつも親切に接してくれる。それは宿賃を弾んでくれるから、という理由だけではないだろう。なぜなら、彼女が悪名高いザカリヤと一緒だと知ってからも、他の客たちからの視線が痛い中、その態度は変わっていない。ヴァルキリーにとっては、とても有り難かった。
「気をつけてな。無事に帰って来なされよ」
 ベンはいつものようにヴァルキリーたちを見送ってくれた。
 すっかりとスカルキャップのおかげで遅れてしまい、三人は遺跡へと急いだ。多分、遺跡の入口では、すでにザカリヤたちが今や遅しと待っているはずである。何しろ、四日ぶりの遺跡探索なのだ。
 負傷したスカルキャップの傷は、金で雇われた僧侶<プリースト>がここラバンまで出向いてくれたので、もうすっかりと完治していた。念のために、ということで、スカルキャップの出迎えにはヴァルキリーとジョーが選ばれたのだが、そんな心配など必要ないことは、この意気軒昂なドワーフを見ていれば分かる。むしろ治療院で寝ていた間、酒を控えていたおかげで、ケガをする前よりも調子がいいのではないかと思われた。
 かくして、三人はラバンの村から山道へ入り、遺跡を目指した。
 道中、ヴァルキリーは先を急ぎながらも、ジョーに尋ねてみたいことがあった。ザカリヤたちと合流してからでははばかられる内容だ。今、ジョーの他にスカルキャップもいるが、このドワーフはこれから話すことに関心など持たないだろうし、それをザカリヤに告げることもしないだろう。
「ジョー、タイラーはザカリヤのところへ現れなかったの?」
 それは治療院から姿を消したタイラーのことであった。あれからタイラーの消息は杳として知れない。ヴァルキリーには、タイラーがザカリヤへ復讐を遂げるのではないかという懸念があった。これを尋ねてみたのは、ザカリヤを気にかけていたからではなく、タイラーの身が案じられたからだ。
 ジョーも、ずっと宿屋にいたわけではないが、
「そうみたいだぜ。特に異変があったような様子はなかった」
 と、今朝、ザカリヤたちと顔を合わせたときのことを思い出しながら言った。
 もっとも、あの連中ときたら、ザカリヤもアルコラも普段から何を考えているのか分からないところがある。だから、仮に何かあったとしても、ジョーがそれを見抜けるかどうかは疑問だった。あと残るのはマーベラスであるが、彼女にしてもザカリヤに育て上げられた以上、ポーカーフェイスを装うのはお手の物だろう。
「復讐などと愚かなことを考えてくれなければいいのだけれど」
 ヴァルキリーはタイラーが村を出て行って、無事でいてくれていることを祈った。
 弟たちを殺され、長兄であるタイラーが憎しみを持たぬはずがないであろうが、悪いことに相手はかの盗掘王ザカリヤだ。いくら老い衰えたとはいえ、そこは数々の修羅場をくぐり抜けてきた老獪さの持ち主。体力などで勝っていようとも、それだけで仕留められるとは限らない。これ以上、ムダな血を流したくなかった。
 だが、これまで傭兵として、いろいろな人間の生き死にを目にしてきたジョーは、そんなに甘くない見通しを立てていた。
「まあ、無理じゃねえか。あの様子じゃあよ、そう簡単に引き下がるとは思えねえ。ひょっとすると、この先で待ち伏せていやがるかもしれねえぞ」
「まさか」
「宿屋に現れなかったとすれば、遺跡の中か、途中の道だろうぜ。オレも気をつけなくちゃな。なんたって、ヤツの弟の一人を殺したのはオレなんだから」
 といっても、ジョーはタイラーのことなど、少しも気にかけてなどいなかった。もしも復讐に来るなら、返り討ちにしてやるまでだ、くらいにしか思っていない。それよりも重要な人物が他にいた。
「――ところで、あの吟遊詩人はどうしている?」
 もちろん、ウィルのことだった。あれからずっと、ウィルは村に滞在し、遺跡へ近づこうとしていない。だが、ジョーたちが最も警戒すべき人物には違いなかったし、何よりヴァルキリーがあの男に惹かれているのではないか、という懸念があった。顔の作りという点では逆立ちしたって勝ち目のないジョーとしては、なるべくヴァルキリーに近づいて欲しくない。
 そんなジョーの嫉妬心を知ってか知らずか、その鉄の仮面から表情を読み取ることはできないが、ヴァルキリーは気乗りしない感じで肩をすくめた。
「さあ、相変わらずってところね。昨日もあちこちで唄っていたらしいけど、村からは出ていないみたい。彼がいるところ、必ず村の娘たちが集まっているし――まあ、あの美貌と美声じゃ当然だろうけど――、姿を消したら、それこそみんなで走り回って、大騒ぎで捜すんじゃないかしら。ちなみに、今朝は顔を見ていないわよ。第一、こっちは朝早かったし、向こうは遅くまで商売していて、昼近くまで寝ているようだから。どうせ、彼のことはマーベラスやアルコラが交替で見張っているわ。昨夜までに動きがあったら、真っ先にザカリヤへ報告が行っているわよ」
 ヴァルキリーとしてみれば、ただの吟遊詩人にしか過ぎないウィルを見込み違いだったと、幻滅でもしたのだろうか。そう思ってくれているのなら、ジョーとしても気を揉まずに済みそうだ。
「だろうな。もっとも、今日からやっと探索再開だ。ヤツより先に、こっちが目的を達しちまえば関係ねえ」
 ジョーは自分に言い聞かせるように言った。それに――と、こちらはさすがに口には出さないでおくが、ウィルが障害になるようなら斬るまでである。多分、そのときが訪れたら、ザカリヤはそう命じてくるだろう。ザカリヤがウィルを敵と見なしたとき、ヴァルキリーがどう反応するかは分からないが、少なくともジョーに否はない。むしろ、望むところだ。
 不思議なことに、ジョーはあの吟遊詩人と出会って以来、何か仇敵を見つけたかのごとく腕がうずいた。ウィルと真剣を交えてみたくて仕方がないのだ。
 それはヴァルキリー絡みの、単なる妬みからではない。ジョーの直感的が教えてくれるのだ。あの吟遊詩人はとてつもなく強いと。あの女のように華奢な身体つきからすれば、とても馬鹿げた見立てだと自分でも思うのだが、どうしてもその考えを拭いきれない。
 これまで、ジョーが本能的に察知したことに間違いはなかった。それを信じてきたからこそ、ここまで生き延びてきたのだと言ってもいい。ジョーはいつかウィルと戦う宿命にあるのだという予感を持っていた。
 やがて三人は、遺跡の入口で待っていたザカリヤたちと合流した。六人がこうしてそろうのは四日ぶりだ。他の遺跡探索者たちは、ザカリヤの姿を見て恐れを為したのか、今日は誰も遺跡の前にいない。タイラーの弟たちが殺された話は、同業者たちを震撼させていたに違いなかった。
「遅かったな」
 いつものように魔法の安楽椅子<マジック・チェア>に身を沈めながら、ザカリヤが静かに言った。わざと感情を押し殺しているのだろう。本当は早く遺跡の中に入りたくて、イライラしていたはずだ。
「おっさんの酒を買うのに付き合わされちまってよ。まあ、ご覧の通り、体調は万全のようだぜ」
 すでにスカルキャップは、ここまでの道程も我慢できなかったらしく、酒瓶の火酒をあおっていた。誰のおかげで治療を受けられたのか、感謝を述べる素振りもない。マーベラスがこれみよがしに舌打ちする。しかし、ザカリヤは咎めなかった。
「行くぞ。できれば今日中に最奥部へ辿り着きたい」
「おお、いいねえ。そう願いたいものだ」
 ジョーもザカリヤの言葉にうなずいた。
 一行は、これまでと同じくマーベラスを先頭にして、遺跡へと入って行った。最後方になったヴァルキリーは、遺跡に入る前、何気なく後ろを振り返ってみる。ふと、ウィルが一緒に来ているような気がしたのだ。もちろん、それらしき黒い影は認められず、すぐにヴァルキリーも気を引き締め、遺跡に足を踏み入れた。
 複雑なジャイアント・アントの巣をいかにして通り抜けるかは、すでにマーベラスの頭の中に記憶されていた。地図を見るまでもない。まるで自分の家の中を歩くみたいに進んだ。
 とはいえ、それは遺跡の奥へと通じている最短ルートという意味でしかない。巣の中を徘徊するジャイアント・アントは、まだ数多くいるのだ。警戒はしておく必要がある。
「どうやら、早速、お出ましのようだな」
 いくらも進まぬうちに、ジョーがすらりと腰のサーベルを抜いた。スカルキャップもハルバードを両手で握る。マーベラスは二人に戦闘を任せるべく、後ろに下がった。
 気配を察した通り、一行の前にジャイアント・アントが現れた。巣の中に入り込んだ異物を排除すべく、触角を立てて威嚇し、突進を開始する。
「どれ、久しぶりに暴れるとするか!」
「よかろう!」
 ジョーとスカルキャップは、戦うことを喜びとするかのように立ち向かっていった。


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