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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−18−

「スー・アグーラ!」
 ヴァルキリーが呪文を唱えるや否や、膝にまで達しようとしていた水が瞬時にして退いた。まるでヴァルキリーを中心として、六人の周りに目に見えない壁が立ち塞がり、遮ったかのようだ。足下の水がなくなったことによって、一同のパニックも収まった。
「水が……」
「白魔術<サモン・エレメンタル>か」
「さすがはヴァルキリー殿」
 どうやら危機を脱することができたと分かり、誰もが安堵の吐息を漏らした。
「これで、たとえ水がこの部屋一杯になっても、溺れ死ぬことはなくなったわ。とは言え、ここから出られないのでは意味がないけれど」
 ヴァルキリーの言う通り、魔法は根本的な解決に至らなかった。この部屋に閉じ込められた状況をどう打開するかが肝要である。水はなおも部屋に注いで止まる気配はなく、逃げるべき道もないのだ。ヴァルキリーの魔法とて、永遠には持続しないだろう。
「どうするよ?」
 ジョーは一行のリーダーであるザカリヤに訴えかけた。そのザカリヤは、マーベラスにうなずきかける。最愛の養女に任せるという意思表示だ。
 マーベラスは、スッと息を吐いた。
「これを廻すわ」
 彼女が示したのは、この部屋の仕掛けを作動させた元凶たるシャフトであった。
 当然のことながら、ジョーの口から反論が出た。
「またかよ! バカ言うな! こいつを廻したせいで、オレたちは水攻めにあったんだぜ! しかも逆方向に廻らないのは、さっきも試してみたじゃねえか! これ以上やったって、ただ水量が増えるだけのこった!」
 しかし、マーベラスの決断は固かった。
「これを廻す前に、私はこの部屋の中を徹底的に調べてみたわ。その結果、これ以外に仕掛けを動かす装置はないのよ」
「だから、それが罠だってんだろ!」
「いいえ! これこそが先へ進むためのカギなのよ!」
 主張が正しいことを証明するために、マーベラスは再びシャフトをつかんだ。ジョーは、もう一度、それをやめさせようとする。
「おい、やめろ!」
「待って、ジョー」
 そのジョーを止めたのはヴァルキリーだった。ジョーは目を見張る。
「何だよ、ヴァルキリー。まさか、こいつの言うことを信じるってのか?」
「そうよ。私もマーベラスの意見に賛成するわ」
 そう言うと、ヴァルキリーもシャフトに手を添えた。ジョーには、二人とも頭がどうかしてしまったのではないかと思えてならない。
「どうして、そんな自殺行為を!? もう助かりっこないからか!?」
「いいえ。助かるための論理的な結論よ。信じて。――マーベラス」
「ええ」
 二人はジョーの反対も聞かず、シャフトを左回りに廻した。予想通り、水はさらに落ちて来て、部屋いっぱいに満たそうとする。魔法のおかげで、直接に触れることはないが、すでに腰の高さにまで達していた。背の低いドワーフのスカルキャップなら、ほぼ頭の高さだ。ジョーは、言わんこっちゃない、と顔を覆いたくなる。
 ところが間もなくして、変化が生じた。
 まずは天井。落ちてくる水の量が次第に減り、やがて止まった。その後、天井の穴が塞がる。次にどこかでカラクリの音がしたかと思うと、今度は部屋の隅の床が沈み、そこへ水が吸い込まれ始めた。水はどんどん排水され、部屋の水かさも低くなっていく。最後にはすべての水が排出された。その間、ヴァルキリーとマーベラスは、休むことなくシャフトを廻し続けていた。
 それを呆然と眺めていたのはジョーだ。もはや言葉もない。
 床の排水口が閉じられると、奥へ進む扉が自動的に開いた。それを見て、ヴァルキリーとマーベラスは互いの顔を見交わし、微笑みを浮かべる。シャフトを廻していた手を止め、ハイタッチした。
「やったわね」
「当然の結果でしょ」
 こうして二人の女同士が仲間意識を持てたのは、おそらく初めてであっただろう。
「ど、どういうことなんだ? これは一体……?」‬
 ジョーには、まだ信じられないようだった。二人の女たちは説明してやることにする。
「いい? さっきも言ったように、私はこの部屋のすべてを調べた。天井を調べて、水が流れ落ちてくる穴も見つけていたし、床に排水口が隠してあるのも気がついた。しかもこの床、ご丁寧に排水口へ向かって緩やかな傾斜がついているのよ。まあ、鈍感なあなたでは分からなかったでしょうけれど」
 そうマーベラスにバカにされても、ジョーは言い返せなかった。実際、気がついていなかったのだから。
 次を引き取ったのはヴァルキリーだった。
「部屋の中央にある、このシャフト以外に仕掛けを作動させる装置が見つからない以上、扉を開けるスイッチはやはりこれしかないという結論に至るわ。でも、実際にこれを廻してみると、天井から水が落ちてくる。きっと廻した人は驚くでしょうね。あなたみたいに」
「そうすると、人間は身の安全を図ろうして、これ以上、シャフトを廻さなくなる。シャフトは罠だったのか、と考えるから」
「でも、それこそが心理的な罠だったら? この遺跡はこれまでの罠を見ても、他者の侵入を猛烈に拒む造りになっている。この水の仕掛けも、ここから先へ進むのを断念させるためのものと見るべきね。普通の人は、こんな罠が仕掛けられていたら、シャフトが扉を開けるためのものではなく、罠を作動させるものだったと思い込むわ。それこそが遺跡を造った人間の狙いだったのよ」
「つまり、水が落ちてくる仕掛けは単なるブラフで、シャフトさえちゃんと廻し続ければ、排水はされるし、最終的に扉も開くように出来ていたってわけ。本当に頭がいいわ、この遺跡の製作者は。仕掛けを知らない人は、まず引っかかって、手も足も出せないうちに溺れ死ぬでしょうね」
 二人の説明に、ジョーは唖然とした。そんな仕掛けが有り得ようか。だが、それを否定するわけにはいかない。現実として、目の前にあるのだから。
「よし、先に進むぞ」
 期待通りの結果を出したマーベラスの働きに満足し、ザカリヤは魔法の安楽椅子<マジック・チェア>で宙を漂いながら、一行を促した。
 水牢の部屋を出ると、また石造りの通路になっていた。一行はマーベラスを先頭にした隊列で慎重に進み、罠を警戒する。平気で酒を飲んでいるスカルキャップ以外の全員が、先程よりも集中力を高めていた。何しろ、あんな罠で死にかけたばかりである。警戒心が強くなるのも当然であった。
 通路は真っ直ぐに伸び、また大きな扉で終わっていた。ふと、ヴァルキリーはウィルの言葉を思い出す。
『あの遺跡は、ほぼ一本道だからな』
 確かウィルは、そう言っていた。曲がりくねり、あらゆる方向に枝分かれしていたジャイアント・アントの巣を別とすれば、アントリオンの部屋からここまでは、ウィルの言う通り一本道だ。おぼろげに、この遺跡の意図が読めてくる。
 ヴァルキリーが考え事をしているうちに、マーベラスは新しい扉の前まで辿り着き、それすらも調べ終わっていた。
「罠はなし。開けても大丈夫よ」
 ジョーとスカルキャップは、無言で扉を開けた。
 扉の向こうは、また部屋になっていた。一見したところ、さっきの水牢と同じくらいの広さだ。ただ違うのは、シャフトのようなカラクリめいた機械はなく、扉から覗いた正面の壁には大きな絵画が飾られている点だろう。人物画だ。他に目立つものはない。
 扉を開けたジョーとスカルキャップは、飛び退くようにして通路に戻った。部屋の中にどんな仕掛けがあるか分からないからである。あとはマーベラスに任せることにした。
 二人に代わり、マーベラスは、そっと部屋の中に首だけを突っ込んだが、何に反応したのか、すぐさま引っ込められた。その急激な動作と緊張した表情に、全員がぎくりとする。
「どうした!?」
「左右の壁に扉がひとつずつ。でも、部屋の両側――入口から死角になっている扉の陰に大きな彫像があったわ。多分、ゴーレムだと思う」
 ゴーレムは古代遺跡などではよく散見されるモンスターだ。魔法によって動く人形で、自らの意思はないが、授けられた命令を忠実に守る。主な役割は、番兵として遺跡への侵入者を排除することだ。
 そのゴーレムも形作る素材によって様々な種類がある。死肉を継ぎ合わせたものはフレッシュ・ゴーレム、土の塊から出来ていればクレイ・ゴーレム、石ならばストーン・ゴーレムといった具合だ。
 ヴァルキリーはマーベラスの言ったことを確かめようと、同じように一瞬だけ首を突っ込んでみた。一同から物言いたげな視線が向けられる。ヴァルキリーはかぶりを振った。
「あれはアイアン・ゴーレムだわ。かなりの強敵だと思う」
「ということは、オレたちが部屋の中に入った途端、そいつが襲ってくる寸法ってわけか?」
「ええ、多分」
 一行は思案した。しかし、すぐに結論は出される。
「我々の目的地がこの先にある以上、ここを避けて通るわけにはいかない。戦うしかないだろう」
 ザカリヤの決断に一同はうなずいた。
「任せろ。どんな敵だろうと、ぶっ倒すまでだ。――なあ、おっさん」
「うむ」
 ジョーに同意を求められたスカルキャップは、むっつりと答えた。互いの得物を手にする。鉄の塊に対し、どこまで刃物が通用するかは疑問だが。
「私もなるべく魔法で援護するわ」
「相手は二体だ。抜かるなよ」
 一行は突入することに決めた。息を殺し、タイミングを計る。
 ところが――
「待て」
 不意に部屋の中から重々しい男の声がし、突入は中止された。ヴァルキリーたちは誰の声かと、恐る恐る部屋の中を窺う。しかし、部屋には誰の姿もなかった。
「そう警戒せずともよい。入って参れ。部屋のゴーレムには、その方らを攻撃させぬゆえ」
 再び、声だけがした。
 そんなことを言われても、はい、そうですか、と鵜呑みにはできなかった。これも罠の可能性がある。油断して入った途端に、アイアン・ゴーレムが襲いかかるかもしれない。
 しかし、ヴァルキリーは素直に従おうとでもいうのか、おもむろに中へ入ろうとした。ジョーが慌てる。
「おい! やめろ、ヴァルキリー!」
「行かせて。私は罠じゃないと思う」
「そんなの分かんねえだろ!」
「やれやれ。罠ではないと申しておろうに」
「うるさいっ!」
 部屋からの声に対し、ジョーは怒鳴った。そちらへ気が逸れた隙に、ヴァルキリーは思い切って一歩踏み出してしまう。
「あっ!」
 仮面の魔女は部屋の中に立った。しかし、謎の声が保証した通り、部屋の隅に鎮座したアイアン・ゴーレムたちに動く気配はない。ヴァルキリーは、さらに進んだ。
「よくぞ参った。久しぶりの客人だ」
 声が女魔術師を出迎えた。ヴァルキリーは大きな絵画を見上げる。
「あなたがこの部屋の主?」
「左様。“キング”と呼んでくれ」
 絵画に描かれた王様の肖像画が喋り、ヴァルキリーにウインクした。


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