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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−22−

 暗闇の部屋をどうにか通り抜けることに成功したザカリヤとその一行たちであったが、お互いの無事を喜ぶことも出来ず、ただ犠牲者を出してしまったことに意気消沈していた。誰も言葉を発せられない。特にヴァルキリーの面持ちは沈痛だった。
「あのとき、私が……」
 ヴァルキリーは吐露するように言ったが、あとが続かない。彼女の前にいたアルコラが落ちたという、そのショックから立ち直れないのだ。
 だが、仮にあのときへ戻れたとして、完全な暗闇の中でどんなことができただろう。まったく目が見えず、しかも不慮の事故だったのだ。あれから何度も突風にさらされ、命が縮む思いをしたのも一度や二度ではない。ヴァルキリーは自問してみるが、答えは見つからなかった。
「先へ進むぞ」
 非情なる決断を下したのはザカリヤであった。アルコラのことを何とも思っていないのか。この盗掘王の表情は、まったく変わらなかった。
 ヴァルキリーとて、アルコラを好意的に見ていたわけではない。ザカリヤの主治医というような紹介であったが、これだけ行動を共にしても得体が知れず、どこか馴染めないものを感じずにはいられなかった。それどころか、むしろ忌避していたと言ってもいい。しかし、だからといって、死者に祈りすら捧げようとしないのは、いくらなんでも薄情に思えた。それにアルコラが落ちたのは、ザカリヤの魔法の安楽椅子<マジック・チェア>が大きく傾いたことが影響したからではなかったか。アルコラはザカリヤによって押されたのだ。
 しかし、この冷徹とも言える決定に対し、誰も異を唱える者はいなかった。仲間の死を悼んだところで、暗闇の底に落ちて行ったアルコラが戻って来るわけではない。冷酷かもしれないが、そのような割り切った考えが、頭の片隅にあった。それに、いつ運命の矛先が自分に翻り、命を落とす立場になるか分からない。これから先、どんな罠が待ち受けているか、それに備えた緊張の方がアルコラへの感傷を上回っていた。
 六人から五人になった一行は、一様に押し黙ったまま奥へと進んだ。相変わらずマーベラスは仕掛けを見落とすことのないよう、入念な観察を怠らなかったが、これまでの通路には罠がなかったことから、問題はやはり次の部屋だろうと思われた。とうとう犠牲者が出たことによって、皆、ナーバスになっているように感じられる。特に、さっきの暗闇の部屋では神経が擦り減らされたため、精神的な疲労感が顔に表れていた。
 通路はほどなく終わり、いくつか目の扉が立ち塞がっていた。すぐにマーベラスが調べ、安全が確認される。いつものように、ジョーとスカルキャップが扉を開けた。
「こ、これは……!?」
 扉の向こう側は、見事にヴァルキリーたちの予想を裏切ってくれた。またしても罠の仕掛けられた部屋が待ち受けていると思いきや、なぜかこれまでと同じ通路の続きになっており、しかもそれは真っ直ぐではなく、左へ折れ曲がっているのだ。一同が戸惑ったのも無理はない。
「どういうことだ?」
 誰しも、たくさんの疑問符が頭に浮かんだ。
「これまでのパターンからすれば、扉を開けたら何某かの部屋のはず。それが通路――しかも直線じゃないというのは……」
 もう、この遺跡は真っ直ぐな一本道だとばかり思い込んでいただけに、この構造の変化は予想外だった。まるで、この遺跡の製作者に、はぐらかされたような気分だ。
「マーベラス、どうだ?」
 ザカリヤに促され、マーベラスは早速、新たな通路を調べた。壁を叩いてみたり、耳を当ててみたりする。その表情は曇った。
「この壁、怪しい気がするんだけど、仕掛けを動かすようなものが見当たらないわ」
「怪しい? この壁が?」
 素人が一見したくらいでは、これまで目にしてきた壁と、まったく見分けがつかなかった。しかし、マーベラスの観察眼は、しっかりと違いを見抜いているのだろう。
 どうやら罠があるのは確実のようだった。あとはどういう罠が隠されているかだが、こればかりはあえて飛び込んでみなければ分かりそうもない。
 全員がザカリヤの顔を見た。決定権は、この男に委ねられている。
「行くしかあるまい。無論、充分に警戒してな」
 尋ねるまでもなかった。ザカリヤの直感は、お宝が近いことを嗅ぎつけているのだろうか。
 休む間もなく、一行は前進を再開した。隊列はこれまでと同じだ。
 左に曲がった通路は、すぐ右に折れ、さらに歩くとT字路になっていた。どうやら迷路のような造りになっているらしい。もちろん、先頭のマーベラスは頭の中で地図を描きながら探索を続行する。他の者は周囲の警戒を厳重にしていた。
「それにしても、どうして急に通路が入り組み始めたんだ? そりゃあ、ジャイアント・アントの巣に比べれば、こっちの迷路の方が優しそうだけどよ」
 ジョーは壁や天井をぐるりと見回しながら喋った。同様の疑問は誰もが抱いている。
「素直に考えるなら、私たちを罠にはめるために、この迷路そのものが何らかの役割を持っているってところね」
 マーベラスの説明に、ジョーは首をひねった。今ひとつ意味が分からないらしい。
 それを受けて、ヴァルキリーはもっと分かりやすくしてやる。
「さっきの部屋を思い出して。暗闇と幅の狭い一本橋という状況に、突然の横風という要素が加わって、私たちを死に追いやろうとしたでしょ? つまり、この場合、迷路という状況を利用して、何らかの罠を仕掛けようと――」
 ここでヴァルキリーは言葉を切った。ジョーが訝る。
「どうした?」
「もしかして、この迷路って――」
 しかし、ヴァルキリーは最後まで自分の考えを述べることができなかった。なぜならば――
 いきなり、迷路の中を駆け巡るように、機械じみた音が響いた。この異変に、一行は身構える。何か、あちこちで重いものが動いているような、そんな音だった。
「な、何だ!?」
「見て! 後ろ!」
 マーベラスに指摘されるまでもなく、全員が気づいた。後方の通路が降りてきた壁によって塞がれようとしている。さらに前方の通路も、同じように壁が降りようとしていた。
「閉じ込められるぞ!」
「これか! こいつが罠か!」
「走れ! あの向こうへ行くんだ!」
 ザカリヤの声に、ヴァルキリーたちは一目散に走った。ザカリヤが座る魔法の安楽椅子<マジック・チェア>はスピードをアップさせ、先頭のマーベラスさえ追い抜く。いざというときは、落伍者を見捨てるつもりのようだ。
 ザカリヤ、マーベラス、ジョーの順で閉鎖間際の壁をくぐり抜けた。次にヴァルキリー。が、ただ一人、スカルキャップが遅れた。
「おい、おっさん!」
 スカルキャップはドワーフの短い足を懸命に動かしていたが、その歩幅はいかんともし難かった。ジョーは這いつくばって手を伸ばそうとする。しかし、間に合いそうもない。
「ジョー、危ない!」
 腕が挟まれそうになり、ヴァルキリーはジョーを引っ張らねばならなかった。ズン、と鈍く重い音を残して、無情にも通路は分断される。ジョーは、もう一度、「おっさん!」とスカルキャップを呼んだが、厚い壁に阻まれて、声が届くことはなかった。
「チクショウ!」
 ジョーは座り込みながら、右の拳で床を叩いた。悔しさに歯を食いしばる。そんなジョーの気持ちを慮ってか、ヴァルキリーは落ち込む傭兵の背中を優しくさすった。
 だが、悲しみに暮れている暇など彼らにはなかった。
「お前たち、何をしている? ジッとしていては、また通路が塞がれてしまうかもしれぬぞ。先を急ぐのだ」
 ザカリヤは冷ややかな視線をジョーとヴァルキリーに注いだ。やはりこの男は、噂どおりに冷酷無比な盗掘王なのだと思い知らされる。
 一瞬、反抗心にジョーの拳が握りしめられたが、ヴァルキリーがそっと手を添えて押しとどめた。今、ザカリヤを責めてもどうしようもない、と。
 これも仕方のないことだったのだと認めるしかなかった。冷静に考えてみれば、スカルキャップが取り残されたのはザカリヤのせいではない。ただ単に、彼の足が遅かっただけの話だ。壁は頑丈で、簡単には破壊できそうもない。今の彼らには何もしてやれないのだ。
 二人は立ちあがった。今、できること――さらなる奥を目指して。
「帰りのことなど考えるな。目的地へ到着すること。それこそがすべてだ」
 ザカリヤは、ヴァルキリーたちに諭すかのごとく言った。
 アルコラ、スカルキャップと仲間を欠き、ヴァルキリーたちは、とうとう四人になってしまった。まだ、この先にも罠は待ち受けているのか。いずれ劣らぬプロフェッショナルの彼らにしても、無事に最奥部へ辿り着けるのか不安になって来る。
 しかし、進む他になかった。来た道は閉ざされ、もう引き返せないのだ。
 それから、どのくらいの時間が経過したか。一旦、停止したカラクリがまた動き出し、再度、退路を断たれた。代わりに右の壁が持ち上がり、新たな通路が口を開ける。マーベラスはそこへ入ることにしてみた。
 迷路は延々と続き、また一定の時間ごとにカラクリが作動して、道を塞いだり、新たな道を作り出したりした。そのうちに、壁が降りてくるからと言って、慌てて通り抜けようとはしなくなる。むしろ、マーベラスは自分の方向感覚だけを頼りに進路を選択していくことに専念するようになった。
 やがて、マーベラスには、この迷路の構造が分かった。同時に、ヴァルキリーにも。
「この迷路って……!」
「ええ。形を変えているんだわ」
「形を変えて……だと?」
「そうよ。ある程度の時間が経過すると、迷路は自動的に形を変えている」
「何のために?」
 ジョーが、その理由を尋ねた。
 それは――
「待って!」
 またしても迷路が形を変え始めた。自動的に通路が組み替えられる。前方と後方が塞がれ、左右の壁が開く――と。
「――っ!」
 そのとき、一行は姿を現した新たな脅威に戦慄を覚えた。


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