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「下がれっ!」
素早くサーベルを構えつつ、自らは積極的に前へ出ながらジョーは叫んだ。言われずとも、思わず後退したくなる禍々しさが眼前に迫ろうとしている。その大きさも虚を突かれるほど圧倒的だった。
「じゃ、ジャイアント・スコーピオン……!」
ヴァルキリーは遭遇したモンスターを見て絶句した。
その名のとおり巨大サソリであるジャイアント・スコーピオンは、人間を楽に捕まえられそうなハサミと、後ろから頭をもたげるようにして、ゆっくりと左右に振られる毒針のついた尻尾でもって、自分の前に現れた人間たちを威嚇した。
これまで、ジャイアント・アントやアントリオンなど、それなりに巨大化したモンスターと遭遇し、戦っても来たが、このジャイアント・スコーピオンを前にすると、とても比較にならない脅威だと言わざるを得ないだろう。迷路がかなり横幅の広い通路で出来ていたのは、ひょっとするとジャイアント・スコーピオンを徘徊させるためのものだったのかもしれない。どこまでも悪辣な遺跡であった。
しかし、一行も、ただそうやって驚いてばかりもいられなかった。ジャイアント・スコーピオンは、問答無用でこちらへ向かって来ようとしている。黙ってやられるわけにはいかない。応戦しなければならなかった。
「やあああああああっ!」
切り込み役であるジョーは気合を迸らせて、ジャイアント・スコーピオンに立ち向かっていった。電光石火のごとく、愛刀のサーベルで斬りかかる。だが、ジャイアント・スコーピオンはうるさいハエでも追い払うかのように巨大なハサミを振るった。剣とハサミがぶつかり合う。ジャイアント・スコーピオンのハサミは、そのジョーの攻撃を防いだ。
骨の髄まで痺れるような手応えを感じ、ジョーはすぐさま飛び退いた。攻撃を受け止めたジャイアント・スコーピオンのハサミには、傷ひとつついていないことを認め、目を丸くする。まったく歯が立たない。ジャイアント・スコーピオンの体は持ち前の鎧によって覆われていた。
「チクショウ、なんて硬さだ!」
ジョーは悪態をついた。
「ならば、これはどうだ」
魔法の安楽椅子<マジック・チェア>に座ったザカリヤは天井すれすれまで浮かび上がると、隠し武器の矢を発射した。あのタイラーの左足を撃ち抜いた矢だ。
しかし、矢はジャイアント・スコーピオンに命中したものの、突き刺さりはせず、あっさりと跳ね返されてしまった。ザカリヤは唇をゆがめる。
「私がやるわ」
今度はヴァルキリーが魔法の使用を宣言した。巻き添えを食わぬよう、ジョーが少し離れる。それを確認してから、ヴァルキリーは呪文を唱えた。
「ベルクカザーン!」
青白い稲妻がジャイアント・スコーピオンに走った。ライトニング・ボルトだ。昆虫や節足動物は魔法に抵抗するレジスト能力が低く、かなりの大打撃を与えられるはずであった。黒光りする外殻に凄まじい電撃が直撃し、目もくらむようなスパークが発生する。光はジャイアント・スコーピオンの体を貫いていた。
「やったか!?」
これまでヴァルキリーの魔法には何度も救われているだけあって、ジョーはその効果を期待した。ライトニング・ボルトを喰らったジャイアント・スコーピオンは、さすがにその動きを停止させる。仕留めたか。
ジョーはそろそろと近づき、攻撃魔法の効果を見極めようとした。見た目には変わりがない。と、その途端、ジャイアント・スコーピオンがピクリと動く。驚いたジョーは、再び間合いを取った。
いくらか動きの鈍さを見せたジャイアント・スコーピオンであったが、それもほんの少しの間のことで、すぐに復調してしまった。何とも驚嘆すべき生命力である。結果として、ヴァルキリーの魔法は、ほとんど通用していなかった。
「ヴァルキリー殿、もっと強力な魔法を!」
魔法の安楽椅子<マジック・チェア>の上で、ザカリヤが指図した。ヴァルキリーは唇を噛む。
「ダメです! 屋内で強すぎる魔法を使うことは危険が伴います!」
一直線に発射されるライトニング・ボルトや目標を自動追尾するマジック・ミサイルならばともかく、ファイヤー・ボールのような広範囲に効果が及ぶ魔法を使えば、その近くにいる者――つまり、一人でジャイアント・スコーピオンを押しとどめているジョーも無事では済まない可能性があった。それに、しっかりとした造りではあると思うが、もしも、この遺跡を破壊するようなことがあれば、全員が生き埋めになってしまうかもしれない。よって、ヴァルキリーは他の強力な魔法を試そうという気にはなれなかった。
「おいっ! 何か他にないのか!? コイツ、手強いぞ!」
やむを得ず、ジョーは一手にジャイアント・スコーピオンを引き受けながら、早急な打開策を欲した。そうこうしている間にも、左右のハサミと毒針の尻尾が襲いかかって来る。かろうじて、それらを躱すのが精一杯だった。
こんなとき、スカルキャップがいてくれれば、ジョーと二人でどうにか持ち堪えることができただろう。だが、その貴重な戦力とははぐれてしまった。ここはジョーの剣にすべてを託すしかない。
図体がでかく、それに比例してパワーもあるジャイアント・スコーピオンは、ハサミのついた腕を振り払い、ジョーを吹き飛ばした。名うての傭兵は背中から壁に激突し、うっ、と息を詰まらせる。そこへ毒針の一撃が襲った。
「ジョー!」
ヴァルキリーの声にジョーは気絶を免れ、間一髪のところで毒針を躱した。そして、渾身の力を振り絞り、ジャイアント・スコーピオンへ攻撃を浴びせようとする。半ば本能的なものが肉体を突き動かしていた。
だが、やはりサーベル程度の武器では、ジャイアント・スコーピオンに傷ひとつ負わすことも出来なかった。起死回生であるはずの攻撃は、無情にも通らない。ジョーは完全に攻め手を失った。
ジャイアント・スコーピオンは多彩な攻撃でジョーを圧倒した。ジョーがまず気をつけなくてはいけないのは、ジャイアント・スコーピオンの毒針だ。これに刺されたら、おそらく一発であの世行きだろう。次はハサミ。人間の胴体を真っ二つにすることはもちろん、武器を奪い取られる危険もあった。そんなことを注意していると、防戦一方になってしまう。
たった一匹のモンスターによって劣勢に追い込まれ、一行は顔面蒼白だった。何か逆転のきっかけが欲しい。
「こうなったら――ザン・ブライガ!」
ヴァルキリーは別の呪文を唱えた。それはジャイアント・スコーピオンに向けられた攻撃魔法などではなく――
「おおっ!?」
いきなり、手にしていたサーベルの刀身が炎に包まれ、ジョーはギョッとした。危うく手を離しかける。それこそがヴァルキリーのかけた魔法だった。
「剣に火の精霊の加護をかけたわ! それで少しは威力が増すはずよ!」
それは魔力付与の魔法だった。
「有り難えっ!」
ジョーは炎の剣と化したサーベルを振るった。一方、ジャイアント・スコーピオンは燃え盛る炎に臆したのか、これまでの攻勢がウソのように影をひそめる。そのひるんだ隙を見逃さず、ジョーは斬りかかった。
「はあっ!」
炎のきらめきが一閃した。ジャイアント・スコーピオンはおびえたように後ずさる。ジョーには確かな手応えが感じられた。
ジョーの一太刀は、ジャイアント・スコーピオンの硬い外殻に、初めて傷をつけた。ハサミが裂けている。魔法の威力は明らかだった。
「おっしゃ! これならイケるぜ!」
ようやくこちらの攻撃が通用することが分かり、ジョーは戦意を盛り返した。さらにヴァルキリーも、効果は乏しいと思いつつ、ファイヤー・ボルトを撃って、ジョーを援護する。ジャイアント・スコーピオンが、どうやら火を苦手にしているらしいと見て取ったからだ。ひょっとすると、長年、暗い迷路の中に棲んでいたため、明かりを苦手としているのかもしれない。
その予測は当たったらしく、ジャイアント・スコーピオンは次第に後ろへ下がり始めた。ジョーはさらに攻め続けるが、防御を固めた敵に対し、魔法をかけたサーベルでも深手を負わせるのは至難の業だ。ましてや、致命傷を与えることなどほど遠い。戦闘は長引きそうだった。
このまま戦うよりは、とヴァルキリーは決断した。
「ザカリヤ、マーベラス! 目をつむって! ――エメナ!」
ヴァルキリーが呪文を唱えると、眩い閃光が炸裂した。光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>の力で、強烈な光を放ったのだ。ヴァルキリーに背中を向けていたジョーはともかく、ジャイアント・スコーピオンはまともに閃光を浴びた。
おそらく目がくらんだジャイアント・スコーピオンは、ついに戦意を喪失した。くるりと向きを変えると、一目散に逃走していく。光が届かぬ迷宮の奥へと。
強敵ジャイアント・スコーピオンが逃げ去り、一行は全身から力が抜けた。そのまま、床石にへたり込みそうになる。イチかバチかの賭けだったが、ジャイアント・スコーピオンが逃げてくれて助かった。
「やれやれ、とんでもねえ化け物だったぜ」
魔法の効果が消えたサーベルを戻しながら、ジョーはジャイアント・スコーピオンが去って行った方向を見やった。さすがに腕自慢の傭兵も、二度と相手するのはご免らしい。その気持ちはヴァルキリーたちも一緒だった。
「とはいえ、息の根を止めたわけではないからな。この迷路をさまよい続ければ、また遭遇するかもしれぬ」
ザカリヤの言葉にマーベラスがうなずいた。
「ええ。早くここを抜けましょう。こっちよ」
マーベラスはジャイアント・スコーピオンとは反対の方向を選んだ。一行は疲労感を蓄積させながらも、進むしかなかった。
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