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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−24−

 どのくらい時間が経過しただろうか。
 定期的に構造が変化する迷路に突入してからというもの、一行の時間に対する感覚はすっかりと麻痺していた。遺跡の外は、すでに日が沈んでいるかもしれない。さすがに鍛え上げた彼らにも疲労の色が滲んでいた。
 特に病で満足に身体が動かないザカリヤは、いくら魔法の安楽椅子<マジック・チェア>に座ったままでの移動といっても、こうも極度の緊張を常に強いられた状況では体力の消耗も著しい。明らかに容態が悪化しているのは見て取れ、すぐにもどこかで落ち着き、充分な安息が必要だった。しかし、誰かがそう提案しても、ザカリヤはそれをよしとしない。とにかく、この迷路を抜けるまでは、とまるで何かに取り憑かれでもしたかのように異様とも思える執念を燃やしていた。
 そんな養父の状態を見て、マーベラスにも焦りが垣間見られた。早く安全なところで、ザカリヤを休ませてやりたいという気持ちが募っている。あれからジャイアント・スコーピオンとの遭遇はないが、まだ決着はついておらず、きっと今もこの迷路のどこかを徘徊しているに違いない。ここから脱出しない限り、おちおちと休息を取ることも出来ないだろう。そして、返す返すも残念なのは、ザカリヤの容態を見てくれるアルコラを失ったことが、何よりの痛手であった。
「やはり、この迷路そのものが、ひとつの部屋だったんじゃないかしら」
 迷路の中をさまよい歩きながら、ヴァルキリーがぽつりと漏らした。ジョーが振り返るものの、動作が少し億劫そうだ。その言葉を噛みしめるように、単調な通路のあちこちをぼんやりと眺める。
「これが部屋だって……?」
 部屋というよりも、やはり迷路は通路にしか見えない。だが、ヴァルキリーの考え方は違った。
「ええ。最初に通路が一直線ではなく、曲がり角のような変化が出てきたところから不思議だったのよ。どうして、これまでと違う造りになっているのか。それはもちろん、侵入者を奥へ進ませないためのカラクリめいた迷路ではあるんだけど、実は私たちを中へ誘い込む罠だったんじゃないかって思うの」
 疲労であまり働かない頭ではあったが、話を聞いていたジョーはひっかかりを覚えた。
「おいおい、ちょっと待ってくれ。何か矛盾してないか? 侵入者を進ませないために誘い込むなんて」
「要するに、私たちを迷路の中におびき寄せ、その中へ永遠に閉じ込めるということこそが真の狙いだったのよ。私たちは、まんまとその罠にはまった」
 このヴァルキリーの解説に黙っていられない人間がいた。
「それじゃあ、何!? 先へ進んだのが間違いだったとでも言うの!?」
 二人の会話を聞いていたマーベラスが、ヒステリックな声をあげたのだ。振り向いた彼女の顔は、これまで見たことがないくらいに険しい。ヴァルキリーはハッとした。
「いいえ、そういうわけでは……」
「この最悪の状況を招いたのは、私とザカリヤ様の判断が軽率だったからだと言いたいのでしょ!? それならそうとハッキリ言えばいいわ!」
「これ、マーベラス」
 なだめようとしたのは、珍しくザカリヤであった。しかし、高ぶったマーベラスの感情は押さえきれないほどになっている。彼女にとっても、今の状況は限界に近く、ヴァルキリーの言葉がきっかけとなって、自己の不安と悔恨が爆発したのだ。
「ええ、いくらでも私のせいにすればいいわ! アルコラもスカルキャップも、私が見殺しにしたようなものよ! 悪いのは、すべて私! 私なんだわ!」
「マーベラス」
 ザカリヤに先程よりもきつい口調で名を呼ばれ、マーベラスはようやく黙った。気まずい雰囲気が漂う。ヴァルキリーは何と言っていいか分からなかった。
 この遺跡探索の先鋒を一人で務め上げている彼女の肩に、どれほどの重い責任がのしかかっているか、ヴァルキリーは今さらながらに思い知った。これまで口にこそしなかったが、二人の仲間を失ったことが余程の重荷となって、彼女を苦しめていたのだろう。おそらく、もっと自分がしっかりと注意を払っていれば、アルコラとスカルキャップを助けられたのではないか、と思わずにいられないのだ。
 もちろん、マーベラスを責めるつもりなど、ヴァルキリーには毛頭なかった。彼女はよくやってくれていると思う。二人の犠牲者が出てしまったのは不幸な出来事に過ぎない。憎むべきは、この悪意の罠に満ちた遺跡であろう。
 だが、この遺跡を造りあげたロイという男も憎しみの対象にはなり得なかった。彼には彼なりの事情――恋人タレリアとの駆け落ち――があって、この遺跡という逃げ場所を造ったのであり、その数千年後、ただの興味本位で入ろうという人間にまで配慮が及ぶはずもないのだから。結局、罠を承知で飛び込んだのはヴァルキリーたちであり、誰に責任を転嫁することも出来はしないのだ。
 それはマーベラスも分かっているはずであった。それでも後悔せずにはいられないに違いない。彼女が持っていた自信とプライドは、今回の探索行で揺らいでいた。
「やはり、休憩を取りましょう。このままでは肉体よりも先に精神的に参ってしまうわ。それに、この迷路から抜けるにはどうしたらいいか、もう一度、じっくりと考え直すこともできるでしょうし」
 ザカリヤに休息を申し入れたのは、もう何回目かのことだった。しかし、今度はザカリヤも聞き入れる気になったのか、マーベラスの苛立った背中を見てから目をつむる。そして、深い息を吐いた。
「分かった。少しの間だけ休もう」
「ふう、助かったぜ」
 ジョーが重苦しい空気を和ませるようにおどけて言い、真っ先に身体を壁に預けて座り込んだ。水筒と携帯食として持ってきた干し肉を取り出す。傭兵は、早速、飢えと渇きを癒し始めた。
「少しの間だけだぞ。すぐに出発するからな」
 ザカリヤは釘を刺しておくことを忘れなかった。ジョーは、へいへい、と調子のいい返事をするが、固い干し肉を噛みちぎるのに夢中だ。
 マーベラスは養父に何か食べるか尋ねたが、どうやらそんな体調ではないらしく、ザカリヤは水だけを少し飲んだ。元々、よくない顔色が、今にも死にそうに見える。マーベラスは自分のことなどお構いなしに、ザカリヤに何かしてほしいことがないか、献身的な姿勢を取った。それを眺めながら、ヴァルキリーも水と角砂糖を口にしておく。
 病人のザカリヤが一緒である以上、あまり長時間の活動は不可能だろう。そういったハンデを抱えながら、いかにしてこの迷宮の部屋から脱出するか。
 今のところ、マーベラスの方向感覚を頼りに、遺跡の奥と思われる方角へ向かって歩いている。だが、当然のことながら道は曲がりくねり、しかもその道すら時間が経つたびに捻じ曲げられてしまうという状況だ。一体、いつになったら目的地へ辿り着けるのか分からない。
 もっと、いい方法はないだろうか。ヴァルキリーは考えてみる。この迷宮を抜ける方法。
 そういえば、この遺跡を造ったロイは、どうやってこの迷路を抜けて行ったのだろうか。定期的に構造が変わる通路。それを止める手段があるのか。それとも、もっと単純に明確な道が現れるのだろうか。
 多分、迷路の形が変わるのはランダムではないのだろう。何か一定の法則があるはずだ。そうでなければ、作成者もお手上げになってしまう。
 とすれば、やはり何回目かに迷路の構造が変わったとき、正しい道が示されるのかもしれない。
 だが、すでに迷路の奥深くにまで踏み入ってしまったヴァルキリーたちに、今さらスタート地点に戻って、それを確かめるのは困難なことだ。それよりは、このまま継続して出口を探し求めた方が早い気がする。
 結局、それしか手がないのかもしれない。ヴァルキリーは、あまりいいアイデアが浮かばなかったことに落胆する。他の者たちの様子も窺ってみたが、やはり疲労がピークに来ているせいか、この現状を打破する良策を思いついた者はいそうもなかった。
 もっと休息が必要だ、とヴァルキリーは感じた。しかし、ザカリヤは先へ進もうと躍起になっている。自分が動けなくなる前に深奥部へ辿り着きたい、という焦燥感に駆られているのではないかと分析してみた。
 ふと、そのザカリヤを見てみると、首が右に傾き、眠っているように見えた。ヴァルキリーは、そっと近づいてみる。マーベラスが訝るような視線を向けてきたが、ヴァルキリーは人差し指を立てて、喋らないように促した。耳を澄ますと、苦しげだが寝息が聞こえる。ザカリヤは眠っていた。
「寝ているわ。せっかくだから、このままにしておきましょう」
 ヴァルキリーはマーベラスに囁いた。しかし、養父に忠実な彼女は異を唱えようとする。
「でも、すぐに出発するって――」
 無意識にか、マーベラスの声もひそめられていた。ヴァルキリーはかぶりを振る。
「あなたもそばで見ていて分かるでしょ。ザカリヤは限界よ。彼に、これ以上の探索を続けさせては、命にかかわりかねないわ。少しでも眠らせてあげるのが一番よ」
「そうかもしれないけれど、それじゃあ――」
 食い下がろうとするマーベラスにヴァルキリーは微笑んだ。
「大丈夫。ここは日の光も届かない地下遺跡の中。自分がどのくらい眠っていたかなんて、ザカリヤだって気づかないわ。私たちは彼が目覚めたら、素知らぬ顔をして、ほんの一瞬だけ寝ていたって言えばいいのよ」
 先程の確執が承服できない障害になりかけたが、マーベラスもザカリヤの具合を気遣っているだけに、ヴァルキリーの提案を無碍に跳ね除けることもできなかった。何がザカリヤとって大事なのか考える。答えは明らかだった。
「あとで、どんな怒りを買っても知らないからね」
「ええ。そのときは私が一人で罪を被るわ。だから、安心して」
 ヴァルキリーは、せっかくなのでジョーにも仮眠を取るよう話しかけようとしたが、その必要はなかった。すでにジョーは居眠りをしていたのだ。
「ホント、頼りになる傭兵さんだこと」
 ヴァルキリーは苦笑するしかなかった。


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