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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−25−

 かなり疲れがあったのだろう。ザカリヤはすぐに目覚めることはなく、昏々と眠っていた。
 ヴァルキリーとマーベラス――女二人で見張りをし、男共は高いびきである。ジョーなどは壁に寄り掛かった姿勢から、今ではごろりと床に寝転がっている有様だ。ジャイアント・スコーピオンのようなモンスターが徘徊している所で平然と寝られるとは、なんと図太い神経の持ち主だろうか。
 疲れているのはヴァルキリーたちも同じであったが、危険に対する警戒心の方が遥かに勝っていた。通路の二方向には光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>をひとつずつ飛ばして浮かべ、敵の接近に備えてある。それでも気を緩めることなどできなかった。
 最初、それに気づいたのはマーベラスであった。
「誰か来る」
 囁きに似たマーベラスの声は、反対側を警戒していたヴァルキリーを振り向かせた。
「ジャイアント・スコーピオン?」
 あの巨大サソリは仕留め切れていない。この迷路から脱出できない以上、また遭遇してもおかしくなかった。
「違う」
 マーベラスは床に這いつくばると、顔を横にして耳を押し当てた。聴覚に意識を集中させる。
「これは、何か重い物を引きずる音と……二足歩行」
「じゃあ、人間?」
 誰がこの迷宮の中を歩いているというのか。ヴァルキリーはすぐさまジョーを起こした。
「ジョー」
 そこはさすが熟練の傭兵、一発でパチリと目が覚めた。寝惚けるようなことはなく、サーベルを手に身を起こす。
「どうした?」
「誰か来るわ」
 一方、マーベラスもザカリヤを起こしていた。老いた盗掘王は、自分が眠りに落ちていたことに不機嫌な様子を見せたが、状況の説明を聞いて冷静さを取り戻す。光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>が浮かぶ通路の先へ目をすがめた。
 逆光となって、小さなシルエットが浮かびあがった。マーベラスが言うようにジャイアント・スコーピオンではない。しかし、全員に見憶えがあった。
「スカルキャップ……?」
 それは明らかに、ハルバードを杖代わりにして、びっこを引きながら歩くドワーフの狂戦士<バーサーカー>だった。頭にはトレードマークの髑髏を載せている。迷路の罠によってはぐれてしまったのが、まるで昔のことのようだ。それが偶然の導きか、ようやく再会できた。
「おっさん……! ハハハハ、よく生きていたな!」
 ジョーはスカルキャップの無事を喜んだ。こちらから出迎えに行こうとする。
 ところがスカルキャップは足を止めると、うろんな表情で一行を見つめた。
「お前たち……」
 一瞬、スカルキャップの顔に怯えのようなものが走ったのをヴァルキリーは見逃さなかった。それでもジョーはお構いなしに、スカルキャップへ近づいて行く。
「どうした、おっさん? おっ、随分とひでえ傷のようじゃねえか。ひょっとして、あのジャイアント・スコーピオンと途中でやり合ったのか?」
 ジョーが気づいたように、スカルキャップの身体のあちこちは傷を負って、血が流れていた。補修したばかりの鎖帷子<チェイン・メイル>にも穴が開き、見ているだけで痛ましい様子だ。ジャイアント・スコーピオンと接触したのなら、よく無事だったものだと思う。
 ところが、さらにジョーが近づくと、スカルキャップの様子が変わった。ハルバードを両手に持ち、警戒するような素振りを見せる。
「来るな……」
「おい、何の真似だよ?」
 ジョーは冗談にしか思わなかったのか、無造作に歩み寄ろうとした。
「ジョー、気をつけて!」
 ヴァルキリーの鋭い警告が飛んだ。その刹那――
 ブゥゥゥゥン!
 唸りをあげて、スカルキャップのハルバードが振り回された。ジョーは慌てて飛び退く。あと一歩踏み込んでいたら、そのまま吹き飛ばされていたかもしれない。
「おっさん! 何をしやが――」
 スカルキャップの目に紛れもない敵意の光を認めて、ジョーは言葉を切った。本気で殺そうとしている。歴戦の戦士は相手の闘気を瞬時にして感じ取っていた。
「らああああああああっ!」
 意味不明の叫び声をあげ、スカルキャップは猛然と襲いかかって来た。ジョーは後ろに下がりながら、ハルバードによる攻撃を躱す。通り過ぎた風圧だけで背筋が寒くなりそうだった。
「どういうつもりだ、おっさん! オレだ! ジョーだよ! 分かんねえのか!?」
 ジョーの声など、スカルキャップには届いていないようだった。それどころか、攻撃の激しさは増し、何が何でもジョーを倒そうと躍起になる。目は狂気に血走ってさえいた。
 まるであのときのようだ、とジョーは思い出す。初めて遺跡の中に入り、ジャイアント・アントと戦闘したときだ。あのときのスカルキャップは、ジャイアント・アントを仕留めた後も暴れ、ジョーたちに危害を加えようとした。
 まさに狂戦士<バーサーカー>と呼ぶにふさわしい暴れっぷりで、スカルキャップはハルバードを振るった。どうにかして取り押さえたいジョーではあるが、なかなか懐へ飛び込むことができない。じりじりと後退を余儀なくされた。
「ヴァルキリー、牽制してくれ!」
「了解」
 ジョーの求めに応じ、ヴァルキリーは光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>のひとつを操った。スカルキャップの顔の前に飛ばし、気を逸らさせようとする。眩しい光が目の前に漂い、スカルキャップはそれを追い払う仕種を見せた。
 その瞬間、ヴァルキリーは光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>をスカルキャップの鼻先にぶつけた。接触した光の精霊<ウィル・オー・ウィスプ>は、バチッという衝撃を残し、消えてしまう。スカルキャップをひるませるには充分の効果だった。
 一瞬の隙を見逃さず、ジョーは飛びかかった。武器であるハルバードを奪い取ろうとする。だが、スカルキャップも簡単には武器を手放したりはしなかった。両者はガッチリとハルバードをつかみ、力勝負になる。
「ぐっ、くううううううっ……」
 身長はスカルキャップの二倍以上はあるジョーであったが、腕力はほぼ拮抗していた。ハルバードはびくともしない。やがて、じりじりとスカルキャップが押し始めた。
 一度後ろに下がると、もう盛り返すことは不可能だった。ジョーはスカルキャップの力に屈し、通路の壁際に押し込まれる。身体がハルバードと壁に挟み込まれるようにして潰された。
「ぐわあああああああっ!」
 ジョーは苦痛の呻き声を漏らした。スカルキャップを見ると、その目には狂気としか言いようのない殺意が宿っている。このままでは殺される、とジョーは思った。
 劣勢のジョーを見て、ヴァルキリーは助けなければと焦った。もう、相手が仲間だからとためらっているときではない。ヴァルキリーは呪文を唱えた。
「ディロ!」
 単発のマジック・ミサイルがスカルキャップめがけて飛び、その側頭部を直撃した。不意討ちを喰らったスカルキャップの頭がぐらつく。そのタイミングに合わせ、ジョーはスカルキャップの腹部に足をかけ、押しやるように反対側の壁へ突き飛ばした。
 力は人一倍でも、肉体は矮人。ドワーフの小さな身体は宙を飛ぶようにして、背中から壁に叩きつけられた。ジョーは大きく呼吸する。生き返った心地がした。
 しかし、頑健さでは人間をも凌駕するドワーフは、あくまでも不屈であった。息を詰まらせたのは一瞬で、すぐに足を踏ん張らせると、目の前の敵――ジョーに闘志を向ける。そして、弾かれたように突進した。
 ハルバードは叩き切る斧、その反対側に足を払う鉤がついている他に、突き刺すことのできる槍が先端についている。ジョーはかろうじて、その穂先の下をかいくぐった。そして、前転するようにしてスカルキャップの脇を抜ける。
 うまくスカルキャップの背後に回ったジョーは、愛刀のサーベルを一閃させた。下から上へ振り抜く。しかし、その一撃はあえなく鎖帷子<チェイン・メイル>によって弾き返される結果となった。
 スカルキャップとの間合いを充分に取りながら、ジョーは立ちあがり、不発に終わった攻撃に唇を噛んだ。もう少し踏み込んでいれば、深手を与えられたかもしれない。だが、どうしても振り向きざまの反撃を警戒してしまい、中途半端な攻撃になってしまった。千載一遇のチャンスだったかもしれないのに。
 ジョーはスカルキャップと対峙した。もう仲間だからと、手加減はしていられない。殺るか、殺られるか。どちらかしかないのだ。
 二人の戦いを見守りながら、どうしてこんなことになったのか、ヴァルキリーは考えていた。気になるのは、スカルキャップのあの傷。彼が苦戦するほどの敵と戦ったとなれば、それはやはりジャイアント・スコーピオンであろう。
 となると、あの傷はジャイアント・スコーピオンの毒針がつけたものではないだろうか。今、スカルキャップが錯乱状態のようになっているのは、その毒が全身に回っているためだと思われる。ドワーフの強い生命力がアダになった結果とも言えよう。
 原因が毒とするならば、説得など不可能であった。スカルキャップを救うには、体内の毒を取り除くしかない。だが、今さら言うまでもなく、聖魔術<ホーリー・マジック>を使える聖職者<クレリック>など同伴していない以上、無理な相談だった。どうにかしてスカルキャップを大人しくさせる方法は他にないか模索する。
 すると、またしても迷宮のカラクリ仕掛けが動き出す音がした。こんなときに、とほぞを噛みながら、周囲の警戒をする。
 悪いことというのは重なるものだ。ヴァルキリーやザカリヤたちがいる、すぐ横の壁が動き出した。新たな通路が作られる。しかし、今回はそれだけではなかった。
「――っ!」
 戦い続けている二人以外、全員の目が驚きに見開かれた。新たな通路から出て来ようとしているもの――
 それはジャイアント・スコーピオンであった。


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