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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−27−

「やった!」
 ジョーは尻尾の先を失ったジャイアント・スコーピオンを見て、指を鳴らした。これで猛毒にやられる心配はない。これまでより、ずっと戦いやすくなったことは確かだった。
 ところが、尻尾を吹き飛ばされた当のジャイアント・スコーピオンは、これまでにも増して激しく暴れまくった。両手のハサミとその巨体でジョーたちに襲いかかって来る。
「まずいぞ!」
「逃げろ!」
 さすがに怒りに我を忘れたジャイアント・スコーピオンの暴走を止める術はない。ザカリヤ、マーベラス、ジョー、そしてヴァルキリーの四人は敵に背を向けると、脱兎のごとく逃げ出した。
 敵はジョーたちを血祭りにあげなければ気が済まないようだった。全速力で走っているが、このままではやがて追いつかれるだろう。
 ジョーは走りながら、ヴァルキリーの横に並んだ。その手にはスカルキャップが愛用していたハルバードがまだ握られていた。
「ヴァルキリー! こいつに例の魔法をかけちゃくれねえか! オレのサーベルよりも威力が上がると思うんだが」
 ヴァルキリーは無言でうなずいた。ジャイアント・スコーピオンの硬い外殻をぶち破るためには強力な武器が必要というわけだ。ヴァルキリーはジョーの要望どおりに呪文を唱えた。
「ザン・ベルガ!」
 次の瞬間、ハルバードに魔法が宿った。ただし、今回は炎ではなく、青白くスパークしている電撃だ。こちらの方が効果的だろうというヴァルキリーの判断だった。
「よっしゃ! あとは――」
 四人が逃げる先は、通路が右へ折れていた。これは好都合だ、とジョーはほくそ笑む。ジャイアント・スコーピオンはあのとおりの巨体である。このスピードでは曲がれきれまい。きっと、いくらかはスピードを落とすはず。さらに、ジョーたちの姿が角に消え、ジャイアント・スコーピオンが見失ったところを待ち伏せて叩けるという利点もある。作戦は即座に決められた。
「お前たちはそのまま行け! あとは任せろ!」
 わざと殿<しんがり>になるよう若干のスピードを落とし、ジョーはジャイアント・スコーピオンの相手を請け負った。他の三人に否はない。こちらは逃げるだけで精一杯なのだ。
 四人は角を右へ曲がった。ジョーの言うとおり、三人はそのまま行く。ヴァルキリーが振り返ると、ジョーは一人だけ曲がり角の壁に背中を押しつける格好で、追って来るジャイアント・スコーピオンを待ち構えた。
(さあ、来やがれ! 強烈なのを一発、お見舞いしてやるぜ!)
 ジョーは魔法で強化されたハルバードを手に、舌なめずりをしてジャイアント・スコーピオンがやって来るタイミングを図った。一、二、三……今だ!
「くたばれ、こんちきしょうめ!」
 ハルバードを思い切り振り回すようにして、ジョーは会心の一撃をジャイアント・スコーピオンに見舞おうとした。だが――
「――っ!?」
 次の刹那、ジョーは急に胃の腑が冷たくなるのを感じた。まさかの空振り。すぐそこまで来ていたはずのジャイアント・スコーピオンが、なぜかいなかった。
 一体、どこへ――?
「ジョー! 上よ!」
 悲痛なヴァルキリーの声がジョーに気づかせた。天井から襲いかかるジャイアント・スコーピオンに。
 驚くべきことに、人間が四、五人くらい背中の上に乗れそうな巨体を持つジャイアント・スコーピオンは天井から逆さまになっていた。ジョーは一瞬、どうしてこんなことが起きたのか理解できず、ショックのあまり、すべての思考が停止してしまう。百戦錬磨だったはずの傭兵が無防備になった。
 ジャイアント・スコーピオンのハサミがジョーを吹き飛ばす寸前、遅まきながらようやく答えが出た。ジャイアント・スコーピオンは、ずっと通路の床を走って来たのではない。いつの間にか壁から天井へと伝い、ジョーたちを追いかけていたのだと。
「ジョーっ!」
 自分の名前を呼んでくれるヴァルキリーの声が遠くに聞こえた。
 ジャイアント・スコーピオンによって大きく跳ね飛ばされたジョーは錐揉み状態で床に叩きつけられた。まるでズタボロにされた人形が乱暴に投げ捨てられたような光景だ。しかし、それは人形などではなく、生身の人間なのである。あまりにも惨たらしい有様に、誰もがジョーは死んだのではないかと思い込んだ。それでもヴァルキリーは駆け寄らずにはいられなかった。
「ジョーっ! しっかりして、ジョーっ!」
 ヴァルキリーはひざまずくと、ぐったりとしたジョーの頭を抱え起こした。気絶しているらしい。手にべったりと血がつく。床に落ちたとき切ったものか、右目がやられているようだ。他にも、まともに攻撃を受けたことから考えて、身体のあちこちを骨折しているかもしれない。
 だが、悠長にジョーの心配をしていられるときではなかった。
「ヴァルキリー、逃げて!」
 マーベラスの声に、ヴァルキリーはハッと頭を上げた。ジャイアント・スコーピオンが天井から床へと降りて来て、さらなる犠牲者を欲する。ジョーを痛めつけた巨大なハサミが化け物の口のように開かれた。
「ヴィム!」
 ヴァルキリーはジョーの脇の下に手を差し込むと、白魔術<サモン・エレメンタル>の浮遊術を使った。後ろ向きのまま、ジョーを背中から抱えるようにして後退する。二人はマーベラスたちのところまで辿り着くことができた。
 本来は飛行を可能とする魔法だ。しかし、さすがに二人分は重かったらしく、ジョーの脚を床にこすっていた。それも命あっての物種。ともかくもジャイアント・スコーピオンの攻撃から逃れることはできたのだから上々の結果と言えよう。少しでも呪文が遅れていれば、あのハサミの餌食になっていたのだから。
 とりあえず危機を脱することに成功したヴァルキリーであったが、未だジャイアント・スコーピオンは健在だ。この最大の障害を取り除かない限り、ヴァルキリーたちが生き残る術はない。
「ジョーをお願い」
「どうする気!?」
 自ら盾になろうとするヴァルキリーに対し、マーベラスは気が確かかと思った。一人でどうにかできるようなモンスターではない。
「なんとか食い止めてみるわ」
「正気なの!? あんな化け物、無理に決まっているわ!」
 マーベラスの言うとおりだった。しかし、
「このまま逃げても、やがては追いつかれておしまいよ。ならば、私が」
「どうやって!? 魔法だって、まともには効かないんでしょ!?」
「それは――」
「マーベラス、行くぞ」
 ザカリヤは仲間を心配するマーベラスに、非情とも言える決断を下した。マーベラスは顔を強張らせる。しかし、この養父には逆らえない。
「行って」
 ヴァルキリーも重ねて言った。目の前にはジャイアント・スコーピオンが迫る。仮面の魔女は敵に集中すると、風の上位精霊<ジン>にすべてを託した。
「ヴァイツァー!」
 突風が通路を拭き抜けた。思いもよらなかった強風が乱気流となってジャイアント・スコーピオンに襲いかかる。大気の流れを司る風の上位精霊<ジン>の力だ。さしもの巨体も吹き飛ばされるかに見えた。
 だが、ジャイアント・スコーピオンは八本ある脚を踏ん張らせ、身を縮めるようにして風に耐えた。さすがは、その巨体で壁や天井に貼りつくだけのことはある。真正面から風を受けつつも、まるで大きな岩のように動こうとしなかった。
「さあ、今のうちよ! 早く!」
 ヴァルキリーは魔法を持続させながら、マーベラスたちを促した。この突風が吹き続ける限り、ジャイアント・スコーピオンは一歩も近づけないであろう。しかし、それは同時にヴァルキリーも動けないということであった。だから、せめてマーベラスたちにはジョーを連れて逃げてもらいたいと願うのだ。
 躊躇していたマーベラスであったが、仮に彼女が残ったところで何もできはしないのだと悟った。誰かが生き残らなければ、ヴァルキリーの犠牲はムダになってしまう。
「さあ、マーベラス」
 すでにザカリヤは魔法の安楽椅子<マジック・チェア>でこの場から離れようとしていた。マーベラスも仕方なく、倒れているジョーを引きずって行こうとする。
 ところが、その手は払いのけられた。
「待てよ……」
 ジョーが意識を取り戻した。骨が軋むような痛みに顔をしかめながら起きあがろうとする。
「ジョー」
 ヴァルキリーも後ろの様子に気がついた。少なくとも肉体は動かせるようで安心する。足手まといのままでは、いずれザカリヤに見捨てられる恐れがあったからだ。
 しかし、ジョーにはザカリヤたちと一緒に逃げるつもりなどなかった。
「そりゃあないぜ、ヴァルキリーよ。女に守られて男が逃げるなんて、そんなみっともねえことができるかってんだ」
 ジョーはふらりと立ちあがった。二本の脚で身体を支えるのが精一杯といった感じだ。それでも虚勢を張り、歯を食いしばった。真っ先に逃げることを決めたザカリヤを皮肉るつもりもあったのだろう。
 しかし、ジョーの姿を見れば、軽傷などではないことはすぐに分かった。
「無理よ、そんな身体で……」
「見損なうな。オレはそんなにヤワじゃねえ。これくらいのケガ、あのサソリ野郎をぶっ殺すのに何の不自由もねえよ」
 右目から血を流した凄惨な表情でジョーは笑みを浮かべた。無事な左目は相変わらずギラギラとして、野獣の光を失っていない。びっこを引きながらヴァルキリーに近づき、その肩をつかんだ。
「まあ、見てろって。絶対にオレのことを惚れ直すからよ。――それより、おっさんのハルバードはどこへ行った?」
「多分、ジャイアント・スコーピオンの後ろに落ちていると思うわ」
「分かった。じゃあ、ちょっくら拾って来るわ」
 そう言い残すと、ジョーはおもむろにヴァルキリーの前へ身を投げた。止める間もない。そこより先は凄まじい嵐の中だ。
 ジョーの身体は木の葉のように呆気なく飛ばされた。


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