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誰もが無謀だと思えるジョーの行動に、一同、愕然としかけた。魔法が作り出す暴風の中に身を投じるとは、自殺行為だとしか言いようがないし、何よりそこにはジャイアント・スコーピオンが待ち構えているのだ。どうして、こんな突飛な行動に出たのか理解できなかった。
手足を目一杯に伸ばしたジョーの身体は、ジャイアント・スコーピオンの頭上を飛び越えた。それを見定めると、ヴァルキリーは魔法を中断してしまう。嵐はぴたりと凪ぎ、飛ばされたジョーも落下した。
見事な体さばきでジャイアント・スコーピオンの後方に着地したジョーは、ヴァルキリーを振り返って親指を立て、「ナイス」と褒め称えた。どうやらヴァルキリーだけは、ちゃんとジョーの取った行動の意図を理解していたらしい。彼が突風の力を借りて、大ジャンプを試みたことを。
探し求めていた目的のものは、ジョーのすぐ足下に落ちていた。言うまでもなく、スカルキャップのハルバードだ。まだ、ヴァルキリーにかけてもらった魔法の持続時間は切れておらず、このまま使えそうである。ジョーは得物を拾い上げた。
ヴァルキリーの魔法によって動きを封じられていたジャイアント・スコーピオンは、ようやく自由になり、攻撃を再開させようとした。まずは頭上を飛び越えたジョーが気になったのか、その場で反転しようとする。
「そうはさせない! ディル・ディノン!」
すかさず飛んだマジック・ミサイルの乱射がジャイアント・スコーピオンを牽制した。その隙にジョーは行動を起こす。ジャイアント・スコーピオンの後方から背中へと登ると、スカルキャップのハルバードを振り下ろした。
「喰らえ、怪物め!」
電撃系の魔法も加味されたハルバードの一撃は、あれほど手を焼かされたジャイアント・スコーピオンの外殻にひびを入れることに成功した。効果あり、と見て、ジョーはさらに攻撃する。最初と同じ箇所を狙うと、ハルバードの斧が硬い外殻をかち割った。
もちろん、背中に乗られて、ジャイアント・スコーピオンがジッとしているはずがなかった。八本の脚を蠢かせ、どうにかしてジョーを振り落とそうとする。だが、最大の武器である毒針の尻尾は失われており、巨大なハサミも背中までは回らない。ジョーは食い込んだハルバードを踏みつけるような格好で押し込みながら、必死にジャイアント・スコーピオンの背中の上で粘った。
「このぉ! どうだぁ! これでもかぁ!」
ハルバードはジャイアント・スコーピオンの背中に深くめり込んでいった。さすがの巨大サソリもたまらない。まるで背中が燃えてでもいるかのように暴れ狂った。
ジョーは落とされないように気をつけながらも、ハルバードでジャイアント・スコーピオンの背中をさらに抉った。刺さったハルバードを両手につかみ、船の櫓を漕ぐように前後に揺する。面白いことに、暴れるジャイアント・スコーピオンの動きも、その助力となった。
一旦、ひび割れた鎧は次から次へとほころびを生み、背中のあちこちへ傷が走った。加えてハルバードにかけられた電撃が体内で暴れまくり、ジャイアント・スコーピオンの苦悶はさらに大きくなっている。もうひと押しだ、とジョーは思った。
再度、ヴァルキリーからもマジック・ミサイルが撃ち込まれた。ただし、今度はジャイアント・スコーピオンの傷口を狙ってのものだ。光の矢がいくつも巨大サソリの背中へと吸い込まれていく。徹底的に攻め立てられ、ジャイアント・スコーピオンはとうとう逃亡を試みた。
「そりゃあ!」
ジョーがハルバードの柄をひねるようにすると、刃はジャイアント・スコーピオンの体内から飛び出すように現れた。それをすかさず一回転させ、今度は槍の穂先を下に向け、傷口へ突き刺す。トドメの一撃。それはジャイアント・スコーピオンを深々と貫き、穂先は反対側の腹部から飛び出した。
しばらく両手のハサミを突っ張らせるようにして痙攣していたジャイアント・スコーピオンであったが、やがてその動きも弱々しいものへと変わっていった。いつも持ち上がっている尻尾もだらりと力を失くし、脚の動きも止まりかける。あれだけ強靭な生命力に支えられていたジャイアント・スコーピオンも、ついに命の残り火が途絶えようとしていた。
やがて力尽きたジャイアント・スコーピオンは、前のめりの格好で動かなくなった。ジョーは突き刺したハルバードにもたれて膝をつき、それが擬死でないかどうかをじっくりと見極める。
どうやら本当に息絶えたらしいと判断してから、ジョーはジャイアント・スコーピオンの背中から降りた。気が抜けたせいだろうか、途端に足元がふらつく。ヴァルキリーが肩を貸さなければならなかった。
「まったく、ムチャなことをして……」
ヤンチャな子供を心配する母親のように、ヴァルキリーはジョーを睨んだ。当の本人は、負傷した右目を押さえながら苦笑している。
「ムチャは承知さ。そうでもしなければ、あんな化け物、斃せなかっただろうぜ」
「よく死ななかったものだわ。それより、目は大丈夫なの?」
「いや……代償は高くついたようだ」
ジョーはその場で治療を受けた。治療といっても、応急処置くらいしかできない。右目はまったく見えず、本格的な治療を受けても元通りになるか分からなかった。とりあえず止血をし、右目には包帯を巻いておく。
その他にも打撲や擦り傷などが数えきれないほどあったが、幸いにして骨折のような動きの妨げとなるケガは負っていなかった。しばらく休むと、ジョーは立てるようになる。ジャイアント・スコーピオンは退治したが、まだ迷宮の中だ。いつまでも、のんびりとはしていられない。
出発する前に、ヴァルキリーとジョーはスカルキャップの遺体をあのまま放置していいものかどうか悩んだ。だが、またしても迷路は組み替えられてしまい、その場所まで戻ることができなくなってしまう。諦めるしかなかった。
やむを得なかったとはいえ、命を奪わなければならなかったことを二人は後悔した。いつも大酒を喰らっていたが、あの狂戦士<バーサーカー>としての戦いぶりを見ると、常に何かに怯え、それから逃れようとしていたのかもしれない。今はただ、安らかに眠ってもらいたいと祈ることくらいしかできなかった。
「行くぞ」
死んだスカルキャップへの祈りを捧げ終えると、四人は再び移動を始めた。これまで通り、マーベラスが先導役を務める。あれだけジャイアント・スコーピオンから逃げ回ったにもかかわらず、まだ彼女は自分たちの位置と方角を見失ってはいなかった。
相変わらず、ジョーにはどこへ向かって歩いているのか見当もつかなかったが、あれ以降、新たな怪物と遭遇するようなこともなく、探索行は順調さを取り戻した。もちろん、その間にも迷路の仕掛けは作動し、そのたびに行く手の通路が変化している。しかし、その悪辣なカラクリにももう慣れたのか、マーベラスはただ淡々と、自分が思い描いている、ある地点へと、一行を導き続けた。
それからまた長い時間が経過し――
「多分、ここだわ」
マーベラスが不意に足を止めた。そこは何の変哲もない通路の途中。歩きながら携行食料を消費していたジョーは、片方だけになった目で辺りを見回してみた。
「ここがどうかしたのか?」
「辿り着いたのじゃよ」
答えたのはザカリヤであった。この老人にも分かっていたらしい。マーベラスがうなずいて、同意を表す。そして、右手の壁を叩いた。
「この向こうに出口があるはずよ」
「ホントかよ?」
別に疑うわけではなかったが、ジョーにはどうしてそういう結論に至るのか理解できなかった。
「ヴァルキリーが言ったことを憶えている? この迷路はひとつの部屋なんじゃないかって」
そういえば、そんなことを言っていたような気がする、とジョーはぼんやりと思い出した。その発言者だったヴァルキリーは黙って聞いている。
「迷路は何回か組み替えられると、正しい道が現れる仕掛けになっていたんじゃないかしら。例えば、きれいな一本道が出来あがるような」
ジョーはマーベラスの言葉を頭の中で思い浮かべた。なるほど、それならば複雑な迷路の中を歩く必要はなくなる。それを知らずに迷路へ足を踏み入れれば、自分たちのようにひどい目に遭うというわけだ。
「私たちがあちこち歩き回った結果、この迷路は入口から見て左右対称、もっと言えば、全体は大きな正方形になっているのが分かったわ。さっきの正しい一本道が現れるという仮説が確かなら、この部屋の真ん中にいればいいことになる」
「じゃあ、ここは――」
「そう。迷路の入口のちょうど反対側。一本道の終着点よ。ここでジッとしていれば、正しい道が開かれるはず――」
まだマーベラスが説明しているうちに、またしても迷宮変化の時間が訪れた。一行は息を呑んで待機する。マーベラスが出口として示した壁と、その反対側が上に持ち上がり始め、逆に通路だった前後が閉鎖されていった。
「おおっ……!」
それこそ、まさに正しき道が示される瞬間であった。目の前で、マーベラスの仮説が正しかったと証明される。迷宮の部屋を真っ二つに隔てて、一直線の通路が現れた。そして、遺跡の奥へと続く新たな入口も開かれる。
「すげぇ……」
ジョーは感嘆するしかなかった。この大仕掛けの迷路に、こんな単純明瞭な答えが隠されていたとは。そして、それは、あれだけ悩まされていた迷路から抜け出せるという待ちに待った瞬間でもあった。
「やったぜ! さすがは盗掘王ザカリヤの愛弟子! しっかりとこの迷路の謎を解くとはさすがだぜ!」
喜びのあまり、ジョーはマーベラスの背中を強く叩いた。当然、「何するのよ!」という怒声を予想していたのだが、それに反してマーベラスは青ざめたような顔で通路の先を見つめるばかり。それはザカリヤもヴァルキリーも同じだった。
まるで幽霊でも見たような顔の三人につられるようにして、ジョーもそちらへ首をひねった。通路の反対側、部屋の入口のところに誰かが立っている。その人影はゆっくりとこちらへ近づいてきた。
「どうやら辿り着いたようだな」
影は抑揚のない、美しい声で喋った。黒い旅帽子<トラベラーズ・ハット>に黒いマント姿。その相貌は月のような妖しい白さをたたえていた。
「ついに来たか……」
ザカリヤがうめいた。ヴァルキリーとマーベラスの女二人は、我知らず、その美貌に魅せられて息を止めてしまう。
「ウィル……」
その者こそ黒衣の吟遊詩人であった。
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