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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−29−

「大した仕掛けだ。これほどの造りを持った古代遺跡も珍しいだろう」
 ウィルは遺跡の製作者へ賛辞を贈ったが、相変わらず感情は込められていなかった。聞きようによっては、単なる感想とも取れる。
「我々を追いかけてきたのか?」
 死相を漂わせながら、魔法の安楽椅子<マジック・チェア>に身体を沈めるザカリヤは苦しげに質問した。ウィルはうなずく。
「そうだ」
「何だよ、やっぱり、お宝に興味があるのか?」
 ジョーが鼻で笑った。芸術家ぶってはいても、所詮は俗物だとでも言いたげに。
 しかし、ウィルはジョーに対して、かぶりを振った。
「オレが捜しているのは、あの負傷した男のことだ。村のどこにもいなかった」
「ああ、昨日からだろう」
 ジョーもヴァルキリーと一緒に居合わせたから知っている。村の治療院でスカルキャップの様子を見るついでに部屋へ行くと、ザカリヤによって左足を負傷したはずのタイラーの姿はベッドから消えていた。
「お前なら知っているのではないかと思ってな」
 鋭い視線がザカリヤへ真っ直ぐに突き刺さった。
 これまで多くの人々を欺いてきたザカリヤにとって、偽りを口にすることなど何でもないはずであった。ところが、この吟遊詩人を前にしてどうしたことか。問われるや否や、ザカリヤの全身から冷や汗が噴き出していた。それは死に瀕する病のせいなどではない。ウィルがまとう鬼気に気圧されたのだ。
「そ、それがどうした……?」
 せめて、虚勢を張るのが精一杯だった。老いたとはいえ、盗掘王と恐れられたザカリヤともあろう者が青二才とも言える年の離れた吟遊詩人風情に何を怯えるのか。
「彼はどこへ行った?」
 ウィルが一歩近づくたびに、ザカリヤの脈拍は跳ね上がった。これまでの一生の中で、初めてとも言える恐怖感を味わう。紫色になったザカリヤの唇は、自らの意思に反して動いた。
「し、死んだとも。寝込みを襲うという姑息な手段に訴えてきたからのう。ワシに復讐などという愚かな考えを持てばどうなるか、今頃、冥界で思い知っているだろうよ」
 ザカリヤの告白に、ヴァルキリーは衝撃を受けた。もしかしたら、という可能性は頭にあったものの、それを事実として知らされたことはショックとしか言いようがない。
 そもそも、ザカリヤが相手の成果を無断で奪うようなことをしたから、タイラーたちと諍いになったのである。しかも弟たちまで失ったタイラーが、ザカリヤに対して恨みを抱かぬはずがなく、復讐は、至極、当然の感情であっただろう。その気持ちすら踏みにじるとは。ヴァルキリーはザカリヤの非情さを思い知り、改めて嫌悪を催した。
 もちろん、このタイラーの死については、ジョーも知らなかった。しかし、ヴァルキリーほど驚きはしないし、むしろ仕方がないことだと割り切りってさえいる。ここは戦場ではないかもしれないが、誰もが生き馬の目を抜こうとしている勝負の場だ。そこで命のやり取りをする以上、傭兵として生きてきたジョーとしては、どちらかが死することは免れないことだと身に刻んでいた。
「そうか。死んだか」
 タイラーが返り討ちに遭ったと聞いても、美しい吟遊詩人に悲嘆も動揺もなかった。しかし、その目だけは真っ直ぐにザカリヤへ向けられている。それが年老いた盗掘王にとって無言の威圧感となって責め立てた。
「やめろ……そんな目でワシを見るな……」
 そこまで怯えるザカリヤの姿を見るのは、誰もが初めてであった。長年、寄り添っているマーベラスでさえも、だ。
「彼は脚を負傷していたはず」
 我慢できず、ヴァルキリーは声をあげていた。自分でも驚いた行為だったが、一度、口に出したことは引っ込められない。
「いくら命を狙われたからといっても、殺す必要はなかったのではないですか?」
 今度は仲間内から非難され、ザカリヤの目はこれまでにないくらい見開かれた。
「ヴァルキリー殿まで、何を言い出す!?」
「あの兄弟が何をしたというのです!? 彼らはただ、私たちと同様にこの遺跡を調べていただけではありませんか!」
「あやつらのことなど、どうでもいい! ワシの邪魔をすればただではおかない! それだけのことだ!」
「そして、利用できるものは、とりあえず生かしておく、ということですか!? 私やジョー、そして、マーベラスも!」
 名前を出されたマーベラスは、ドキリとして養父の顔を見た。彼女が育てられたのは、ザカリヤが自分の知識と技を教え込むため。そして、自分好みの女に育て、奉仕させるため。
 男女のただれた関係になってから十数年が経ち、すっかり自分が愛されているものと思い込んでいたが、果たして本当にそうなのか。マーベラスは急に不安を覚えた。ヴァルキリーの言葉が心の中で繰り返される。利用できるものは生かしておく。裏を返せば、必要がなくなれば生かしておく価値がない、ということだ。
 そんなことはないわよね、私だけは特別よね、と目で訴えかけるマーベラスに対し、ザカリヤは視線を合わせようとしなかった。そのことが余計にマーベラスの不安を増幅させる。
 実のところ、ザカリヤは振り子が揺れたようなマーベラスのことなど気遣っている場合ではなかった。目の前に立つ黒衣の吟遊詩人。この男のことが、心底、恐ろしくてたまらない。いつもなら、どんな悪行にも心を痛めることなど、これっぽっちもないのに、今はどうにか自分の正当性を理解して欲しいと願った。そうでないと、何もかもがおしまいだ、とでもいうように。
「ワシは罪に問われるのか?」
「お前のせいで、あまりにも人が死に過ぎた」
 冷淡なウィルの声に、ザカリヤは震えあがった。この若き吟遊詩人が死を司る美しき魔の使徒に思える。その恐怖が肘かけに隠されたボタンを押させた。
 ビュッ!
 風を切り裂くような音とともに、魔法の安楽椅子<マジック・チェア>から一本の矢が射出された。タイラーの左足を貫いた、あの矢だ。それはウィルの胸元めがけて飛ぶ。
 矢が突き刺さる寸前、ウィルは左腕でマントを払いのけるような動作をした。すると、ばさりと広がったマントが飛来したザカリヤの矢を弾き飛ばす。キン、という金属音を残し、矢は壁に当たって落ちた。
 数瞬の沈黙。ザカリヤの恐怖は自らの弱った心臓を止めかねなかった。矢を叩き落としたウィルの妙技にも驚嘆を覚えるが、何よりも戦慄したのは射殺そうとボタンを押した自分自身に、である。それほどまで精神的に追い詰められていた証拠であるが、それは同時にウィルへ刃向かうことを決定づけた行為だった。例えて言うならば、自らの死刑執行書にサインしたようなものだ。
 もしも可能ならば、許しを請いたかった。今のは誤射であり、自分の本意ではなかった、と。何があろうとも、この黒衣の吟遊詩人を敵に回してはならない。ザカリヤの本能は、そう告げていた。
 ところが、次にザカリヤの口から出た言葉は、その思いと裏腹のものであった。口角泡を飛ばす。
「やれっ、ジョー! ヤツを殺せ!」
 それは自分が雇った傭兵への命令だった。これまで黙って話を聞いていたジョーは、へっ、と笑いをこぼす。
「待ってたぜ、そいつをよ」
「ジョー!?」
 ヴァルキリーには信じられなかった。まさか、ジョーがザカリヤの命令を聞くとは。
 しかし、ジョーは愛刀のサーベルを抜くと、その切っ先をウィルへ向けた。
「そういうわけでな、あんたを斬らせてもらうぜ」
「な、何を……バカなことはやめて、ジョー!」
 ヴァルキリーはジョーを制止しようとした。だが、ジョーも本気らしい。
「生憎だな、ヴァルキリー。これがオレの仕事なのさ。それに――」
 ジョーは舌なめずりした。ザカリヤと違い、ウィルと戦えることを心の底から楽しんでいるようだ。
「初めて会ったときから、こうなるような予感がしていたぜ。オレとあんたは一緒に並べねえ。どちらかがどちらかに斃される運命だって、な」
「本気か?」
 ウィルは尋ねた。ジョーは右手から左手へ、左手から右手へと、サーベルを交互に持ち替えながらうなずく。こんなにワクワクした気持ちになるのは久しぶりだ。
「答えるまでもねえぜ。言っておくが、あんたが剣士じゃなくても、オレは容赦しねえ。全力でぶった斬る! 悪く思うな」
「分かった」
 かくして、拍子抜けするくらいあっさりと、二人は対峙した。ヴァルキリーは、どうにかして二人を止められないものかと考える。
 その勝負の行方を見届けようともせず、ザカリヤは奥へ逃げ込もうとしていた。
「行くぞ、マーベラス」
「え?」
「ここはジョーに任せ、ワシらは財宝を手に入れる。ヤツなら、ワシらの期待に応えてくれるじゃろう」
「はい……」
 養父に対する疑念は、まだ拭えなかったが、マーベラスは大人しくザカリヤに従った。いずれ時間がくれば、また迷路の形は変わり、奥への入口も閉ざされてしまうのだ。いつまでも、ここに残ってはいられない。
 ザカリヤとマーベラスが奥へと姿を消すのを見て、ヴァルキリーは自分も追うべきか迷った。しかし、ウィルとジョーをこのまま放ってはおけない。何とかして一騎討ちをやめさせないねばと思った。
 意を決したヴァルキリーは、ジョーの前に回り、行く手を塞ぐように両腕を広げた。
「ジョー、やめて。あなたたちが戦う必要なんてないわ。血を流すだけムダよ」
 仮面の奥から、真剣な眼差しがジョーに訴えかけた。こんなときにもかかわらず、ジョーはそんな彼女の瞳を見て、きれいだ、と思う。
「すまねえな。いくらヴァルキリー、あんたの頼みであっても、今回だけは譲れねえ」
「どうして? 雇い主への義理立てのため?」
「違う。あんなジジイのことなど関係ねえ。この決闘は、オレ自身のためだ」
 ジョーには分かっている。ヴァルキリーがこの吟遊詩人に惹かれていることを。いや、彼女でなくとも、ウィルと名乗る、この男の美貌には誰もが魅せられるだろう。自分が抱いているものが嫉妬に過ぎないことも、ジョーは、重々、承知していた。それでも勝負を挑まなくてはならない。愛する者をこの手で勝ち取るために。
「さあ、ケガしないようにどいてくれ。これは男と男の勝負なんだ」


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