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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−30−

 ジョーとウィル、二人の間に割って入ったまま、ヴァルキリーは動かなかった。何を言われようとも、二人の戦いを阻止しなければならない。その一念だけだった。
 しかし、男たちの真剣勝負に女の介在は許されなかった。二人は息を合わせたように、同じ方向に動く。割り込んだヴァルキリーが邪魔だ、とでもいう風に。ヴァルキリーは自分のことなど眼中にない愚かな男たちを罵ってやりたい気分だった。勝手にすればいい、と。しかし、そうは思っても、簡単に降参するわけにはいかなかった。
「どうしてもやる気なの?」
「ああ」
「そう……」
 ジョーの決心を聞くと、ヴァルキリーは自ら細身の剣<レイピア>を抜いた。その剣をウィルではなく、ジョーへと向ける。ジョーは眉をひそめた。
「おい、ヴァルキリー……」
「どうしてもやるというのなら、まず私が相手になるわ」
「よせ。あんたとオレとじゃ、実力に差があり過ぎる」
「あなたこそ、私を見くびらないことね」
 そう言うや否や、ヴァルキリーは細身の剣<レイピア>で斬りかかった。いくら剣を扱えるといっても、相手であるジョーは戦闘のプロだ。いとも容易く、先制攻撃を払いのけられてしまう。しかし、それはヴァルキリーの牽制に過ぎなかった。狙いの本命は別だ。
「レノム!」
 剣での挑戦は、相手を油断させる手段でしかなかった。白魔術<サモン・エレメンタル>の魔法がジョーにかけられる。眠りの呪文だ。剣で勝てないことくらい、ヴァルキリーにも最初から分かっていた。
「くっ!」
 ジョーにしても、最も警戒していたのはヴァルキリーの魔法だった。一瞬、睡魔に襲われる。たが、懸命に意識を保とうと努めた。どうにか瞼の重みに耐え、その眠気を振り払う。危ういところで、ジョーは魔法抵抗<レジスト>に成功した。
 魔法が失敗に終わり、ヴァルキリーは後方へ飛び退いた。だが、それよりも気を引き締めたジョーの踏み込みは速い。声を発する間もなく、ヴァルキリーに詰め寄った。
 キィン!
 ジョーのサーベルが閃くや、ヴァルキリーの細身の剣<レイピア>を弾き飛ばした。ヴァルキリーはしびれた右手を押さえる。今度は反対に剣を向けながら、ジョーはすまなそうな表情を浮かべた。
「あきらめてくれ、ヴァルキリー。これは運命なのさ」
 それでもヴァルキリーは降参しなかった。身を挺してでも、無益な戦いをやめさせようとする。
「ジョー、お願いよ。お願いだから、私の言うことを――」
「すまん」
 ジョーはおもむろにヴァルキリーの左手をつかむと、強引に引っ張った。あまりにも強い力に、ヴァルキリーの身体はよろける。その脇をすり抜け、ジョーは猛然とウィルへ斬りかかっていった。
「うおおおおおおおおっ!」
 獣のごとき叫びを迸らせ、ジョーはサーベルを振るった。ウィルはその攻撃を見切り、軽やかなステップで回避する。戦い慣れた身のこなしだ。やはり只者ではない。ジョーが睨んだ通りだった。
 とうとう戦いが開始され、ヴァルキリーは唇を噛んだ。ジョーの言うことなど分かりたくもない。もう一度、眠りの魔法を使って、ジョーを止めるつもりだった。ところが、
「よせ」
 という声がかかった。ウィルだ。
 ヴァルキリーは驚いて、目を見開いた。彼も戦いを望むというのか。
 その間にも、武器を持たないウィルに対し、ジョーは一方的に攻め込んだ。その一手一手は鋭いが、ウィルにはことごとく躱されてしまう。黒いつむじ風と白刃の炎が躍った。
「ええい、のらりくらりと!」
 逃げ回るばかりの相手を捉えられず、ジョーは激した。次第に冷静さを欠き、攻撃が大振りになってゆく。熱くなりやすいジョーの欠点だった。
 それはひとつひとつの攻撃間隔に隙というほころびを生み始めていた。バランスも崩しかけている。ウィルはそれらをうまく掻い潜りながら、何かを狙っているようだった。
 壁に追い込んだウィルに斬りかかったとき、ジョーはとうとうミスを犯した。躱された刃が壁面に当たってしまったのだ。それは相手にとって決定的な瞬間となった。
 それまで防戦一方だったはずのウィルが、右手を突き出そうとした。手に武器はない。しかし、ジョーの野生の本能は身の危険を察知した。大慌てで離脱を図る。
 ところが、ウィルも何を思ったのか、わざと見逃そうとでもいうように、出しかけた右手を途中で止めた。命拾いしたジョーは、その間に体勢を立て直す。もし、あそこでウィルが仕掛けていたら勝負は終わっていたかもしれない、と肝を冷やしたジョーであったが、戦いの最中に弱みを見せるようなことはしなかった。
「どうした、色男? 逃げ回るばかりでは、このオレに勝てんぞ」
「そうだな」
「そっちも剣を抜いたらどうだ。その腰の短剣<ショート・ソード>は飾りか?」
「いや」
「ならば、抜け。丸腰を相手に斬っても自慢にならん」
「いいだろう」
 ジョーの挑発に乗ったわけでもないだろうが、ウィルはようやく腰の短剣<ショート・ソード>に手をかけた。
 二人の戦いを見ていたヴァルキリーは、あの決定的な瞬間、ウィルが狙ったのは魔法による攻撃ではなかったかという気がした。ウィルと初めて会ったとき、タイラーを救った風の守り。あの魔法をかけたのは、この吟遊詩人だったはずだ。ウィルは魔術師なのだ。
 ところがウィルは、絶好のチャンスを自ら逃した。どういうつもりなのか。しかも今度は、わざわざジョーが得意としている剣で勝負を挑もうとしている。
 ゆっくりとウィルの短剣<ショート・ソード>が抜かれた。その瞬間、眩い光に目が眩みそうになる。ずっと太陽の光を拝んでいないせいで、なおさら眩しかった。
「ま、眩しい……」
「な、何だ、これは……!?」
 ヴァルキリーとジョーの二人は、その光の正体を見定めようとした。光を発しているのはウィルが抜いた短剣<ショート・ソード>の刀身部分。つまり、剣自体が光を放っているのだ。
 その不思議な現象を見たヴァルキリーは、ひとつの魔剣の名を思い出した。
「あれは……《聖刻の護封剣》……」
「せいこくの……ごふうけん……?」
 ジョーには何のことやら、さっぱり分からなかった。
「一般的には《光の短剣》という名で知られているわ」
「だから、何なんだよ、そりゃ?」
「魔法の剣よ。この世界で三本の指に数えられるという最強の魔剣のひとつ……。すなわち《斬空剣》、《終末の大剣》、そして、《聖刻の護封剣》……」
「何ィ?」
 ジョーはもう一度、いくらか慣れてきた目でウィルの《光の短剣》を見た。最強の魔剣。ということは、何か特殊な力を秘めているのか。
「どんな魔法が込められているんだ?」
「時を操る力よ」
「とき……?」
「ええ。あの魔剣は時間の流れを止めたり、反対に時間を跳躍したりすることができるらしいわ。過去へも、未来へも、自由自在に……。そして、鞘から抜くだけで世界を終焉に導くという破滅の剣、《終末の大剣》を封じることができる唯一の魔剣。――私が読んだ文献には、そう書かれていたわ」
「ふーん、時間をねえ」
 ジョーはその力が、この勝負にどんな影響をもたらすのか考えてみた。だが、元より頭を使うのは苦手なタチなので、すぐにやめてしまう。戦いになれば、要は斬るか、斬られるか、だけではないか。魔剣かどうかなんて関係ない、と。
 しかし、ヴァルキリーは伝説に名高い《聖刻の護封剣》を持つウィルに対し、戦慄を禁じ得なかった。魔術師であれば、誰もがその魔剣を目にして震えぬ者はいないだろう。この魔剣が実在するということは、《終末の大剣》も《斬空剣》も存在するということだ。
「どうして、あなたがその剣を……ウィル、あなたは一体、何者なの……?」
「ただの吟遊詩人だ」
 ウィルの口から素直な答えなど聞けるはずもなかった。すべてが謎のベールに包まれている人物。それが吟遊詩人ウィルだ。
「さあ、望み通りに剣を抜いたぞ」
「ああ。続きを始めようか」
 かくして戦いは再開された。二度とヘマはすまいと心に誓い、ジョーはウィルへと仕掛ける。きらめく白刃が人の形をした影に襲いかかった。
 驚いたことに、苛烈なジョーの攻撃をウィルは真っ向から受け止めてみせた。ジョーのサーベルとウィルの《光の短剣》がぶつかる。二人の力は拮抗していた。
 ウィルの《光の短剣》に対し、何の変哲もないジョーのサーベルが折れるということはなかった。しかし、残されたジョーの左目がわずかに見開かれたのは、魔剣のことよりも攻撃を受け止めたウィルに対してである。華奢な体つきをした優男にしか見えないウィルのどこにそんな力があったのか。鍔迫り合いはまったくの五分で、ジョーの鍛え上げたパワーにも、この吟遊詩人は少しも揺るがなかった。これにはジョーも驚く。
「どうやら、少しは骨がありそうだな。これなら楽しみ甲斐があるってもんだ」
「まだまだ、この程度のものではない」
「ほお、言うねえ。たかが一発凌いだくらいで、舌が回るようになったか」
 ジョーはウィルを押し返すようにすると、すぐさま連続攻撃に移った。手加減などない。持てる技を余すことなく使った全力の攻撃だ。
 ところが、このウィルという男は得体の知れない素性と同様に、その実力も底知れぬものがあった。ジョーから繰り出される目にも止まらぬ攻撃すべてに応じ、余さずに受け切ってのけたのだ。しかも、まったく平然とした涼しい顔で息ひとつ乱していない。
(ば、バカな……オレと同等……いや、それ以上の腕を持つとでも言うのか!?)
 自慢の剣で挑んだだけに、一介の吟遊詩人風情にすべての太刀筋を見極められ、ジョーのプライドは粉々に打ち砕かされそうになった。まるで悪夢を見ているようだ。
「もう終わりか?」
 肩を上下させているジョーに、ウィルは皮肉を投げかけた。ジョーの目が吊りあがる。
「まだだぁ!」
 円舞のようにサーベルを振り回し、ジョーはなおも斬りかかった。だが、かなりの手数を見られたことによって、ウィルはさらに余裕を持って攻撃を躱す。それどころか、徐々にウィルからも手が出るようになった。
 いつの間にか、攻守は逆転していた。今度はウィルの《光の短剣》にジョーが追い込まれていく。もう受け止めるだけで精一杯の状態だ。この劣勢は、ジョーが片目というハンデだけでは説明できない。無論、魔剣も関係なかった。これは明らかなる実力差ゆえだ。ジョーは認めたくなかったが、この吟遊詩人ウィルは勇者ラディウスの再来かに思えた。
「つあっ!」
 とうとうウィルの攻撃が左肩をかすめ、ジョーは飛び退いた。完全に息が切れてしまっている。それに対してウィルは、戦う前と何の変わりもなかった。
「ジョー、もうやめて!」
 ヴァルキリーが止めに入った。惚れた女の前で無様な姿をさらすとは屈辱以外の何ものでもない。ジョーは奥歯を砕けんばかりに噛んだ。
「チクショウ、このオレがここまでやられるとは……こうなったら、“奥の手”を出すしかねえな」
 スカルキャップを討ち取った“奥の手”。できれば、ヴァルキリーの前では見せたくないジョーであった。しかし、このままでは負けてしまう。それも許されないことだった。
「色男、このオレの本当の姿を見るがいい!」
 ジョーは覚悟を決めると、自らに秘められた力を解放させた。


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