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ガアアアアアアアアアッ!
身の毛もよだつような咆哮が地下遺跡に響いた。
ヴァルキリーは見た。ジョーの姿が異形のものへと変化していくのを。
まず全身が毛で覆われた。茶色と黒、それに白のまだら。顔が険しくなり、その形も変わる。鼻と口が突き出た。耳が頭の上に出る。牙が伸びた。鋭い牙だ。身体も全体的に膨れ上がる。着用している革鎧<レザー・アーマー>がはちきれそうだった。
「そ、そんな……」
ヴァルキリーは口を覆った。自分の見ているものが信じられない。
さっきまで屈強な傭兵に過ぎなかったはずのジョーは、なんと二本足で立つ虎へと姿を変えた。喉の奥で、ゴロゴロという音が絶え間なく聞こえてくる。ジョーの面影を残すものは、一切なかった。
「ライカンスロープだったか」
その変身を見届けたウィルは、冷静にジョーの正体を看破した。
ライカンスロープ。それは呪いとも、病とも言われている。その者は、通常、人間の姿をしているが、満月の晩になると、狼、熊、鼠といった獣人に変身するのだ。その獣人によって傷を負った者は、やはり同じくライカンスロープと化す。変身中は通常の武器をまったく受けつけず、魔法やその効果のある武器によってのみ退治することができた。
しかしながら、ジョーの場合は少し違っているようだった。そもそも今夜は満月でも何でもない。にもかかわらず、ジョーは自らの意思で変身した。虎のライカンスロープ――ワータイガーに。
「ジョー……」
共に死線をくぐりぬけてきた仲間の正体がライカンスロープだったことに、さすがのヴァルキリーもショックを受けた。ワータイガーと化したジョーは、そんなヴァルキリーの反応にうなだれる。
「あんたには見せたくなかった……オレの本当の姿を……」
喉が鳴る遠雷のような音が混じっていたが、虎の姿をしたジョーは人間の言葉で喋った。獣人ライカンスロープ。彼はその正体を隠し続けてきたのだ。
「物心がつくようになった頃、オレはすでにライカンスロープだった。そばにいてくれる両親もなく……。多分、こんな子供を産んで恐ろしくなり、赤ん坊の頃に捨てたんだろうさ。そうに決まっている。それでも生きていられたのは奇跡だったと言えるだろう。オレは人間から疎まれながら育った。ときに人里離れた地で、ときに家畜や作物を奪って。そして、この虎の姿を封じ込める術を独自に身につけながら、傭兵の世界へと身を投じたのさ。こんなオレが生きていくには、過去や素性などにこだわらない、実力だけがすべての世界が似合いだったからな」
虎の目は遠い昔を思い返しているようだった。ウィルとヴァルキリーは黙って、ジョーの話の続きを聞く。
「オレにとって傭兵は天職みたいなものだった。敵を殺して、金をもらう。しかも、飯にはタダでありつけた。仲間もできた。オレのことをライカンスロープだと知らずに打ち解けてくれた仲間たちだ。思い返せば、あの頃が、一番楽しかったのかもしれねえな。しかし、そういう気持ちのいいヤツらとは、ずっと一緒にはいられない運命だった。ひと稼ぎして、故郷に帰るヤツは、まだマシな方だ。ほとんどのヤツは戦いの最中に命を落とし、二度と帰って来なくなる。オレたちは傭兵だ。雇い主の命令に従い、単なる駒のひとつとなって戦うのが仕事だ。中には捨て駒同然に扱われるときだってある。マーシュ、サンサ、ナスカ、アイザック、レイヴン……みんな、死んじまった。どいつもこいつも、簡単にはくたばらないだろう思っていた、あんないいヤツらが。だが、それでもオレだけが生き残る……いつもオレだけは生き残って来たんだ……」
そう語るジョーを見つめながら、どれほどの地獄の中を歩いてきたのだろう、とヴァルキリーは思った。図書館に籠り、魔術や学術に打ち込んできた自分には、到底、想像もできないに違いない。そんな世界をジョーは見て、生きてきたのだ。
「オレは疲れちまった……独りでいることに……本当の自分を隠して生き続けることに……。オレは新しい仲間が欲しかった。家族と言ってもいい。とにかく、もう二度と、独りになるのはイヤだったんだ」
そう言えば、ジョーは言っていた。いずれは自分の傭兵団を作りたい、と。自分が安心していられる居場所を作ることが彼にとっての夢なのかもしれない。
ジョーはヴァルキリーを見た。
「なあ、ヴァルキリー。もし、あんたさえ良ければ、オレと一緒に来ちゃくれないか? ここのお宝を手にし、無事に外へ出られたら、そのときはこのオレと……」
「………」
ジョーの願いに対して、ヴァルキリーはとっさに何も言えなかった。彼が自分に好意を抱いてくれていることは分かっていたつもりだ。しかし、いざ、面と向かって言われると答えを出せない。ヴァルキリーは困惑した。
そんなヴァルキリーの様子を見て、ジョーは笑い顔になった。虎の顔で。
「いいさ。答えはあとでも。その前に勝負をつけないといけねえしな。この吟遊詩人の色男と」
虎の目が敵意をもってウィルを射抜いた。
「思い出話は終わったか?」
それまで静かに話を聞いていたウィルは無表情に言った。いつでも戦闘再開できる構えだ。
「ああ、これで終わりだ。退屈させちまったかな?」
「いや」
「じゃあ、早速で悪いが、こっちもチャッチャと終わらせるぜ。奥への入口が塞がれちまう前にな」
「同感だ」
ザカリヤとマーベラスが奥へと消えて、どれくらいの時間が経過しただろうか。そろそろ迷宮のカラクリが作動してもおかしくない頃だ。タイムリミットは迫っていた。
「行くぜ!」
ワータイガーのジョーは、ウィルへと襲いかかった。姿は虎と化しても、武器は牙や爪ではなく、愛用のサーベルだ。そのスピードの速さは、さすがは“奥の手”と称するだけのことはあって、先程の比ではない。まさに人喰い虎の俊敏さだった。
ウィルはジョーの攻撃をこれまでと同様に《光の短剣》で受けた。ところが、変身したジョーはスピードに加えてパワーも倍増しており、防御したウィルの身体は簡単に吹き飛ばされてしまう。背中から壁に叩きつけられたウィルの顔が初めて歪んだ。
「それっ! フィニッシュだぁ!」
ジョーの一刀がウィルにトドメを刺しにかかった。その寸前に、ウィルはかろうじて白刃をかいくぐる。しかし、すぐ返されたサーベルがウィルを捉えた。
キィィィン!
火花が飛び散るような瞬間だった。ウィルが反射的に《光の短剣》を出していなかったら、ジョーによって斬り伏せられていただろう。ワータイガーと化したジョーは、すべてにおいてウィルを凌駕していた。
「フッ! よくぞ、受け切った! しかし、そうやって、いつまで凌げるかな!?」
ジョーの猛攻を受け、ウィルは防御に忙殺された。さっきのように、ジョーの技ひとつひとつを見切った、余裕のあるものではない。少しでも気を抜けばやられてしまう、生と死の狭間を分ける攻防だった。
「ウィル!」
美しき吟遊詩人のピンチに、思わずヴァルキリーは声をあげていた。別にウィルの味方をしていたわけではない。どちらにも死んでほしくなかったし、この無益な戦いをやめさせたかっただけだ。
しかし、その声を聞いたジョーの内心は穏やかでいられるはずがなかった。やはりヴァルキリーは美しき吟遊詩人を選ぶのか。見放されたという哀しみが負の感情となって、ジョーのさらなる闘争本能を煽る。これまで以上にジョーの攻撃は苛烈さを増した。
ワータイガーの常軌を逸したパワーとスピードに圧倒されながらも、ウィルはどうにか堪えた。ウィル以外の者であれば、とっくに勝負はついていただろう。こうして立ち続けていられるのが奇跡とも言えた。
ヴァルキリーは、ウィルがこの窮地から脱するには、魔法を使う以外にない、と思った。だが、この期に及んでも、ウィルは魔法に頼ろうという気配を一向に見せない。愚かにも、あくまでも剣と剣との戦いにこだわろうというのか。
「死ね!」
ジョーのサーベルがウィルに引導を渡そうとした。その刹那、ジョーの視界が暗闇に包まれる。それは魔法――ではなかった。跳ね除けたウィルのマントの仕業だ。
黒いマントを切り裂いたとき、ウィルの姿はジョーの眼前から消えていた。すぐさま、ジョーは消えた吟遊詩人の姿を捜す。そのとき、急に右から剣の切っ先が飛び込んできた。
素晴らしい反射神経で攻撃を避けたジョーであったが、それを仕掛けたはずのウィルの姿は、また消えていた。どうやらウィルは、右目が見えないジョーの死角へ回り込もうとしているらしい。味なマネをする、とジョーは心の中で唸った。
それをきっかけとして、形勢は一方的なジョーのアドバンテージから、徐々に変化しつつあった。ウィルは徹底的にジョーの死角から攻撃する。ジョーはそれを払いのけながら、すぐにウィルを追いかけるのだが、強化されたスピードをもってしても影の残像を斬るばかりで、なかなか捉えきれない。
ジョーの死角を突くというウィルの戦法は、勝負を五分にまで引き戻した。しかし、ワータイガーへと変身したジョーには無尽蔵の体力がある。このまま延々と戦い続けては、いずれ力尽きるのはウィルの方だろう。どこかで勝負をかけねばならなかった。
再びウィルのマントがジョーの眼前で広がった。ジョーは唸りをあげる。
「同じ手が通用するか!」
ジョーはマントを斬ると、すぐ死角である右に動きかけた。ところがウィルは、切り裂かれたマントの向こう側に現れる。死角へ回り込んだのではなかった。
もちろん、ワータイガーのジョーにとって、それくらいのフェイントなど子供だましだった。すぐに標的を変える。驚異のスピードを持つジョーには容易いこと。サーベルを持つ手を返し、ウィルの喉元へと迫った。
ところが、突き出されたジョーのサーベルは、どうしたわけか、どんなに腕を伸ばしてもウィルには届かなかった。ジョーは訝る。まるで幻を相手にしているようだ、と。
実は、ジョーの攻撃を真正面から受けたウィルは、自ら後方へと跳んでいた。片目しかないジョーにとって、遠近感の把握は困難であり、対象との距離を測ることができない。そのことにジョーは気づくのが遅れた。
ジョーの腕が伸びきった次の刹那、着地したウィルはすぐさま前方へと跳んだ。突き出されたサーベルの横をすり抜け、ジョーへと迫る。ジョーは自分の胸へ光と影が吸い込まれる瞬間を見た。
「ああっ……!」
ヴァルキリーも見た。二人の男の決着を。
ウィルの《光の短剣》は、ジョーの胸を貫いていた。さすがのライカンスロープも魔剣の前では不死身でいられない。口から吐血し、右手からサーベルが滑り落ちた。
胸に刺さった《光の短剣》が引き抜かれると、ジョーはその場に倒れ込んだ。ヴァルキリーが駆け寄る。ジョーの姿はワータイガーから元の人間の姿へと戻った。
「ジョー……」
ヴァルキリーの目からは涙がこぼれていた。仮面の魔女の涙に、ジョーは弱々しい笑みを浮かべる。自分のために泣いてくれる人がいようとは。荒んでいたジョーの心が少しだけ満たされた。
「す、すまねえ、ヴァルキリー……負けちまった……」
「分からず屋! だから、あれほど止めたのに――!」
ヴァルキリーは倒れたジョーの胸にすがりついた。いつもクールなはずの彼女が声を押し殺して泣く。ジョーがそっと金髪を撫でると、ヴァルキリーは顔を上げた。
「行け……その色男とともに……そして、オレのことは忘れてくれ……」
ジョーはもう片方も見えなくなりかけている左目でヴァルキリーを見上げた。流れる涙に触れようとする。しかし、その指先は鉄の仮面に阻まれた。
「あんたの素顔……見たかったな……」
それがジョーの最期の言葉になった。
《光の短剣》を収めたウィルの傍らで、ヴァルキリーの嗚咽はそれから長く続いた。
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