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吟遊詩人ウィル

仮面の魔女

−32−

 またしても迷路の部屋が、その配置を変えようとしていた。天井からカラクリの音が響いてくる。奥への入口が再び閉ざされるときが、刻々と迫っていた。
 ウィルはヴァルキリーの肩に、そっと手を置いた。
「オレは行く」
 それはジョーの死に対する慰めの言葉などではなかった。ヴァルキリーは涙に濡れた目で、美しき吟遊詩人を見上げ、ハッとする。これまでこの男は、どれほどの数の死を看取って来たのだろうか。ここではないところを見ているようなウィルの眼差しに、ヴァルキリーは思いを馳せた。
「あとはお前の好きにしろ」
「ウィル」
 行きかけたウィルであったが、ヴァルキリーに呼び止められて、もう一度だけ振り返った。
「こちらも全力で戦わねばならない相手だった。それも剣での勝負にこだわって」
「私には男同士の戦いのことなんて分からないわ。命を取り合うだなんて、今でも愚かしいことだと思っている。でも、少なくともジョーは満足しているはずよ。強い相手と真っ向から戦えて。だから、あなたのことを恨みはしないわ」
 ヴァルキリーは立ち上がった。そして、涙を拭う。
「私も為すべきことをするわ」
 ウィルとヴァルキリーは奥への入口をくぐった。ジョーの亡骸をそこに残して。
 程なくして、背後の迷路の部屋は厚い壁によって塞がれた。もう後戻りはできない。二人は振り返ることなく、奥へと進んだ。ザカリヤたちはどこまで行っただろうか。
 部屋と部屋とをつなぐお馴染みの通路を歩きながら、ヴァルキリーはウィルに質問してみたいことがあった。
「この遺跡に入るのは、最初に私たちと会ったときを含めて二回目?」
「そうだ」
「それまで何をしていたの?」
「仕事だ」
「吟遊詩人の?」
「他に何がある?」
 普通の吟遊詩人とはとても思えないくらい謎めいている、とヴァルキリーは思うのだが、この男にはそういった自覚がないのだろうか。どこかの国の諜報員とか、殺しの依頼を請け負った暗殺者<アサシン>とか、そう言われた方が納得するというものだ。もっとも、一度見たら絶対に忘れそうもない美貌の持ち主なので、そういった人目を忍ぶ仕事を成し遂げるのはかなり難しそうだが。
「どうせなら、もうちょっと賑やかな街の方が稼げると思うけど」
「ここだって遺跡のおかげで、そこそこには賑わっているだろう」
「それにしたって、たかが知れているでしょ」
「歌を聴かせるだけが仕事ではない。色々と珍しいものを見聞するのも吟遊詩人には必要だ。実際、こんな変わった古代遺跡にお目にかかったことはない」
 それはそうかもしれないが、ウィルの並外れた行動力は常軌を逸している。自ら罠が張り巡らされた遺跡に入るとは、単なる酔狂では片づけられない。しかも魔法を操り、伝説の《光の短剣》――《聖刻の護封剣》を所持しているのだ。どこを取ってみても、ただの吟遊詩人だなどと信じられるはずがなかった。
「どうやら終着点らしいな」
 通路は終わり、目の前には扉があった。しかし、今度のはこれまでと違い、意匠が凝らされたものになっている。扉の上にはお馴染みのルーン文字が刻まれていた。
「『道の終わり、旅の始まり』――か」
「ここが誰にも邪魔されることのない二人の愛の巣ってわけかしら?」
「さあ、な」
「入りましょう」
 これまで通り、扉に罠は仕掛けられていないと判断し、ヴァルキリーは扉を開けた。眩しい光が差し込んでくる。
「うっ!」
 今までの暗い部屋とは違い、中は煌々とした光で満たされていた。いきなり外へ出てしまったのかと勘違いしそうになったが、目が慣れてくると、天井に明かりがあるのだと分かる。おそらく魔法によるものだろう。やはり、ここが最奥部なのかとヴァルキリーの胸は期待に高鳴った。
「ぬっ! 貴様は……!」
 すでに先に到着していたザカリヤとマーベラスが、あとからやって来たウィルとヴァルキリーの姿に気づいて驚いた。彼らはそれまで、部屋の中央に立っている大きな扉を調べていたらしい。扉は両開きで、三段ほど高くなった台座の上に乗っている。扉の上には、やはりルーン文字があった。
「どういうことだ?」
 ザカリヤは狼狽した様子で尋ねた。どうして二人が一緒なのかと問い質したかったのだろう。二人は黙して答えなかったが、すぐに事情を察したに違いない。ザカリヤは歯ぎしりした。
「ジョーはどうした?」
「死んだわ」
 ヴァルキリーが沈んだ声で教えた。ザカリヤは目を見開く。
「な、なんと!? ジョーがやられたというのか!? その吟遊詩人に!? ――それでヴァルキリー殿は、何故、その男と!?」
「私にはこの人と戦う理由はありません」
「なっ――!?」
 ザカリヤは陸に上がった魚のように口をパクパクさせた。死人のような顔に珍しく血の色が昇る。
「ふ、ふざけおって! 仲間を殺されて、なんとも思わないというのか!? くっ! 所詮は女! この男の色香に惑わされおって!」
 ひび割れた唇から唾を飛ばし、ザカリヤは激した。それだけでも彼の弱った心臓は停まりそうになる。案の定、ザカリヤは胸を押さえ、魔法の安楽椅子<マジック・チェア>にもたれこんだ。
「ザカリヤ様!」
 養父の容態は目に見えて悪化しており、マーベラスは心配で居ても立ってもいられなかった。
「マーベラス……ヤツらをここへ近づけるな……」
「ここが遺跡の最深部か」
 ウィルはザカリヤのことなど気にせず、部屋の中を見回した。マーベラスはザカリヤにつきっきりで動けない。
 部屋の中央に立った大きな扉以外、他には何もなかった。扉の裏へ回ってみても、おかしなところは見受けられず、何の変哲もない一枚の扉に見える。しかし、他に出口らしきものがない以上、この扉こそが最後の関門に違いなかった。
「“移送の扉”のようだな」
「“移送の扉”?」
 ウィルに言われ、ヴァルキリーは扉を眺めた。
「古代王国期に用いられていた扉だ。離れた場所同士をつなぎ、行き来を可能にする」
「それは私も知っているわ」
 説明してもらわなくても、ヴァルキリーとて古代王国については学んでいる。当然、数千年前にはポピュラーな移動手段だった“移送の扉”についても。しかし、その形状はヴァルキリーが知っているものと異なっていた。
「扉とは言うけれど、実際にはリング状になったもののはずよ。こんな風に本物の扉のような形にはなっていないわ」
 ヴァルキリーが指摘したとおり、これまで発見されてきた“移送の扉”は、筒抜け状態のリングに複雑なルーン文字が刻まれているのが常だ。一般的な家屋で見られる扉とは似ていない。
「しかし、この部屋が終着点である以上、これがどこかへと通じた“移送の扉”であることは疑いないだろう」
 ウィルはそう結論づけた。
 これまでにも数々の古代遺跡にて“移送の扉”は発見されているが、その機能が現在も働いていると確かめられたものは皆無だ。そのほとんどが、年月の経過によって一部に損傷が見られるか、動力となる魔法が枯渇しているかしており、文字通り遺跡として残っているのみだ。もしも正常に作動する“移送の扉”が発見されれば、それはこれからの研究に多大なる影響を与えるだろう。
「問題はこの扉の上に刻まれた文字だな」
 ヴァルキリーはルーン文字を解読してみた。
「えーと……『この扉に触れる者は、この扉を必要とする者でなくてはならない』――とあるわね」
 そのとき、ザカリヤがハッと身を起こした。
「マーベラス、開けろ!」
「えっ!?」
 いきなり命じられて、マーベラスは戸惑った。
「『この扉を必要とする者』とは、すなわち駆け落ちしようとしていた相手――つまり女のことだ! マーベラス、お前なら開けられる!」
 そう説明するザカリヤの目は血走っていた。
 しかし、その解釈に二人の魔術師は反対だった。
「待て」
「ダメよ、開けては!」
 ウィルとヴァルキリーが、ほぼ同時に制止した。ザカリヤの形相が悪鬼に変わる。
「黙れ! 貴様らはそこで見ておれ! ――さあ、マーベラス! 早くしろ!」
「やめて、マーベラス! この言葉の意味は――」
「マーベラス!」
 ザカリヤに急かされ、マーベラスは動いた。命ぜられるままに両手を扉に押し当てて開けようとする。“移送の扉”は軋みながらも開いた。
「――っ!」
 扉の向こうに見えたのは、部屋の反対側などではなく、暗黒の世界だった。暗闇の中に星空のようなものが瞬いている。まるでそこに夜空があるようだった。
「おおっ! 開いた! 開いたぞ!」
 ザカリヤは狂喜した。ところが――
 扉の前に立つマーベラスは、自分の身体が中へ吸い込まれようとしているのを感じた。慌てて扉から離れようとする。しかし、扉の中から猛烈な力が働き、マーベラスの身体は浮き上がった。
「ざ、ザカリヤ様!」
 マーベラスはザカリヤに向かって手を伸ばした。だが、同じく扉の近くにいたザカリヤも扉の中へ吸い込まれそうになり、魔法の安楽椅子<マジック・チェア>の制御に気を取られる。マーベラスは扉にすがりつこうとしたが、無情にもその手は滑った。
「イヤァァァァァァァッ!」
 マーベラスは“移送の扉”に飲み込まれた。あっという間に悲鳴とともに姿が遠ざかり、見えなくなってしまう。扉の中は果てがないようだった。
 正面にいたウィルとヴァルキリーも扉に引っ張られるような感じを受けていたが、若干、離れていたせいか、足を踏ん張らせる程度で我慢できた。ザカリヤは魔法の安楽椅子<マジック・チェア>を必死に操り、扉の吸引力に抗う。
 やがて扉は唐突に閉まった。部屋は何も起きなかったかのように沈黙する。まるで全員が同じ夢でも見たのではないかと、そんな気さえした。
 しかし、すべては現実であった。その証拠に、扉を開けたマーベラスはいない。ザカリヤはすっかりと怯えきっていた。
「マーベラス……マーベラス……!」
 養女の名を呼ぶ老人の姿は憐れを催した。


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