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追跡者<CHASER>
#05.残酷な真実
「一条先生!」
生物室から出てきたところを、カンナは呼ばれた。ジャージ姿の体育教師、櫻井だ。ベテランが多いこの森里高校の教諭の中でも、まだ二十六と若く、浅黒い肌をした健康そうな体格と甘いマスクは、カンナもまんざら嫌いではない。だが、この男のしつこさには少し辟易していた。
そもそも、この櫻井と親しくなったのは、カンナの歓迎会の席だった。カンナの美貌と挑発的なボディコン・ミニに挑発されたことはもちろん、これまで二十代独身の女性教師がいなかったこともあって、櫻井のアプローチは実に積極的だった。早々、カンナの隣に陣取ると、あれやこれやと世話を焼いたり話しかけたりしてきた。話の内容は自分のスポーツ自慢ばかりでカンナには退屈であったが、他にめぼしい男がいなかったこともあり、二次会、三次会と一緒に楽しんだ。最後は二人だけになって飲んで盛り上がり、なりゆきホテルへとなだれ込むまでに至った。
とりあえず、カンナはセックスを楽しむことにタブーはない。だが、久しぶりのセックスに期待しながら、先にシャワーを浴びてベッドに戻ると、そこには酔いつぶれた櫻井が爆睡しており、一気に熱が冷めてしまった。そのままカンナが櫻井を置いて帰ったのは言うまでもない。
千載一遇のチャンスをふいにした櫻井は不覚をとったことを後悔しており、以後、折りあるごとたびにカンナを誘ってきた。もちろん、むかついたカンナは、そんな櫻井をかわしまくっていたが。
「今日こそ一緒に食事をしましょうよ、一条先生」
櫻井が食事よりもカンナの肉体目当てなのはありありで、こうなっては二の線でイケている容姿も台無しである。
「今日はちょっと用事がありまして」
カンナはやんわりと断る。決して邪険にはしないが、目は拒絶していた。しかし、鈍感な体育教師はそんなことに気がつかない。
「少しくらいつき合ってくださいよぉ。この間のお詫びもしたいですし」
「先生、こんな所で困ります」
ウブな演技をしながら、カンナは内心、吐き気を催した。
この櫻井、一週間同じ職場にいて分かったが、救いようのない勘違い野郎なのだ。
櫻井は自分が女子生徒たちにモテていると思っている。他の教師に比べれば年が近いし、生徒たちに兄貴か友達のような口調で話すことが多かった。だが、そんなことは女子生徒たちには関係ない。むしろそうすることによって軽んじられた。アマちゃんの教師だと。それを勘違いして、櫻井は体育の授業でも女子生徒たちとスキンシップを取ろうとする場面が多かった。不必要に肩や背中に触ってくる。それは女子生徒との親しさを利用した邪な考えだったが、そんなことは皆、お見通しだった。櫻井は、この年頃の少女たちがそういうことに敏感なのを知らなさすぎたのだ。蔭で女子生徒たちがセクハラ教師とウワサしているのをカンナは耳にしている。
今も櫻井の手は馴れ馴れしくカンナの右肩に置かれていた。
「じゃあ、イエスなんですね?」
「ですから、用事が……」
カンナは身をよじった。が、櫻井はより身体を密着させてくる。段々、カンナはイラついてきた。
「つれないことを言わないでくださいよ」
鈍感な櫻井はなおもしつこい。
カンナの鉄拳がピクリと動いたと同時に、携帯電話の着信音が鳴り響いた。さすがに櫻井が離れる。命拾いをしたな、と心の中で舌打ちしながら、カンナは白衣のポケットから携帯電話を取り出し、応答した。
「もしもし……ええ……え?……ええ……分かったわ。今行く」
手短に電話を済ませると、カンナは足早に廊下を歩き始めた。櫻井が慌てる。
「ちょ、ちょっと、一条先生?」
「急用が出来ました。失礼」
言葉は冷たく、櫻井にそれだけを告げると、振り返りもせずに先を急いだ。
カンナの態度の急変に戸惑った櫻井は、追いかけることも出来ずにその場で見送るしかなかった。それが彼の幸運であったことは、カンナしか知らないことであったが。
目覚めは鉛の重さのようなものを伴っていた。
矢代圭祐は、日頃、起きるのを苦にしない人間だ。毎日、夜の十一時に就寝することを心がけているし、生活リズムもそのように慣れてしまっている。途中で起きるようなことはまずなく、熟睡が常だ。だから、朝、目が覚めてすぐに意識はハッキリし、洗面なりトイレなりの行動へ即座に移ることが出来る。いつまでもベッドの上でボーッとすることはない。にもかかわらず、今回はいつもと違っていた。
まず違和感その一は、硬くて冷たいベッドにあった。寝慣れた家のベッドではない。かといって、ベッドからフローリングの床に落ちたわけでもない。なにやら埃のような、細かい砂利のようなものが、うつぶせになった格好で寝ている圭祐の頬に当たって、チクチクした。
違和感その二は、全身をさいなませる痛みだ。硬い所に寝ていたせいばかりではなさそうで、顔から、手、足、そして腹部や背中に至るまで、ジンジンとした熱い痛みが身体を硬直させている。動かそうにも、指の先ぐらいしか動かなかった。力を入れて動こうと大きく息を吸い込むと、腹部の痛みと埃っぽさでひどく咳き込んでしまった。
「おい、もう目覚めちまったようだぜ」
癇にさわる、バカにしたような口調の声がした。眼球だけを動かしてみても、その姿は見えない。どうやら圭祐が足を向けた方向にいるらしい。
「矢代くん!」
今度は女の声だった。聞き覚えがある。そこでようやく思い出した。
「城戸倉さん……」
放課後、帰る途中で城戸倉香里の鞄が落ちているのを発見した圭祐は、彼女の危険を感じ取り、単身、廃ビルへと乗り込んだのだ。そこでレイプ寸前の香里を助けようとしたが、数で勝る不良たちに返り討ちにされたのである。それも一矢すら報いることもなく。
状況を思い出した圭祐は歯噛みした。自分がもっとケンカが強ければ、香里を助けることが出来たのに、と。
あれからどのくらい気絶していたのだろうか。三十分くらいか、それとも一時間。香里は無事なのだろうか。
香里の安否を確かめようと、圭祐は動かない身体を必死に動かそうとした。それはまるでイモムシのダンスのように醜く、不良たちはそれを見てゲラゲラと笑い転げた。だが、圭祐にとって、そんなことを気にしている場合ではなかった。身体をよじらせながら、向きを変えていく。
「そんなにあの女が気になるか?」
不良の一人が歩み寄ってくるのを、圭祐は足だけを見て取った。そいつは圭祐のすぐ近くでしゃがみこむと、髪の毛を鷲掴みにした。髪が引っ張られ、痛みに涙が滲んでくる。だが、歯を食いしばって悲鳴だけは出さないようにした。一度、悲鳴をあげたら、止めどなく出てしまいそうだった。そんな姿は香里に見せられない。
「ほら。お前の女は無事だよ。今のところは、な」
香里もまた、男に組み敷かれていたが、まだ制服は着たままで、凌辱されてはいないようだ。どうやら、圭祐が気絶していたのは数分くらいだったらしい。
「どうやら、ショーの見物に間に合ったようだな、兄ちゃん」
「これから、たっぷりと見せつけてやるぜ」
安堵したのも束の間、状況はかんばしくない。それどころか最悪だ。結局のところ、今の圭祐では香里を助けようがない。
「いやーっ、やめてっ!」
悲痛な香里の声が、放置されて荒れ果てた室内にこだました。のしかかっている男の手が、ブラウスの襟元にかかる。一気に引っ張られた。
「やぁぁぁぁぁっ!」
ボタンが飛び散る音と布地が破れる音に、圭祐は目をつむった。レイプされる香里の姿を見るわけにはいかなかった。
だが、不良たちはそれを許さなかった。
「おい、しっかり見ておけ!」
圭祐の髪がさらに引っ張られた。涙を流しながらも断固、拒絶すると、今度は無理矢理、瞼を開かされた。意地でも見せるつもりらしい。それを首を振って抵抗した。
「こいつ!」
苛立った男は、圭祐の髪を離すと、今度は頭を踏みつけてきた。ミシッ、という頭蓋骨がひび割れるような音が聞こえ、圭祐は苦痛にもがいた。だが、相手は容赦を知らぬかのように、なおも力を加えてくる。
圭祐は殺されると思った。香里も犯され、ボロボロにされてしまうだろう。非力な自分を呪った。そして、力を欲した。不良たちを圧倒する強大な力を。そして、香里を守りたい。
「うぎゃぁぁぁっ!」
悲鳴が上がったのは、再び圭祐が気絶しかけた刹那だった。香里ではない。男の悲鳴だ。
ふと、圭祐の頭を踏みつけていた男の足も力がゆるんだ。聞こえた悲鳴に不審なものを感じたに違いない。圭祐も苦痛に耐えていた眼を恐る恐る開けてみた。
まず見えたのは、床に転がってのたうつ男の姿だった。先程まで香里の上にのしかかっていた男だ。なにやら右手の指を左手で押さえている。周囲の仲間たちも顔色を失って、心配そうだった。
「どうした、カサイ!」
「ゆ、指がぁぁぁっ……」
その言葉で男の指を見た圭祐はギョッとした。人差し指、中指、薬指の三本が、手の甲の方向へ不自然に折れ曲がっているのを見てしまったからだ。
指を折った男は、そのまま倒れ込むと、激痛に気を失った。
「あの女か!? あの女がやったのか!?」
彼等にとって、チョロい獲物でしかなかったはずの女が逆襲してきたことに、驚きと怒りを隠せなかった。圭祐の頭を踏みつけていた男ともう一人が、香里の方へ一歩、二歩と踏み出す。この時点で圭祐のことなど眼中になかった。
「なにしやがった、このアマ!」
「いやっ、来ないで……来ないで……」
「なにしやがった、つってんだよ!」
男の怒号が響いた。ボタンがちぎれたブラウスを掴んで、香里を引き起こす。香里は夢中で手をどけようとした。
バキッ
今度はハッキリと聞こえた。骨が折れる音だ。
次の瞬間、男が宙を舞っていた。大袈裟な表現ではない。香里に胸を突かれた男が吹き飛ばされたのだ。女子高生の力とは思えない。
男は背中から床に叩きつけられた。後頭部の強打は免れたようだが、ダメージは大きい。立ち上がることはおろか、手足の一本も動かせなかった。
この衝撃的な場面に、男たちは一瞬、茫然自失となった。当の香里も信じられない表情で、目を見開いている。圭祐も驚きはあったが、これは逃げるチャンスだと思い至っていた。四人の不良たちのうち、二人は戦線から離脱している。復帰することは、まずないだろう。圭祐自身は痛めつけられた影響で、満足に立ち上がることもできなかったが、香里なら逃げられるはずだ。
「城戸倉さん、逃げて!」
圭祐はあらん限りの力で叫んだ。と、同時に苦しく咳き込んでしまう。だが、それにかまわず、もう一度叫ぶ。
「は、早く、逃げるんだっ!」
語尾の方は咳と混濁していて言葉になっていなかったが、香里をハッとさせるのに充分だった。香里は素早く行動に移る。
だが、香里のツキのなさは、まだしつこく存在していたようだ。
立ち上がった香里だったが、こともあろうにスカートのホックが外れており、そのまま脱げ落ちてしまったのである。落ちたスカートは膝の辺りにまとわりつき、逃げる足の動きを封じてしまった。声をあげる間もない。香里はブラとパンティ、その上にはだけたブラウスというあられもない姿で転倒した。
「城戸倉さん!」
圭祐の叫びは悲痛だった。月並みだが、神も仏もいないのかと思った。どうして香里がこんな目に遭わなければいけないのだ。逃れる術はもうないのか。
「ナメた真似しやがって!」
残っている二人の不良たちも、再び闘志を取り戻していた。それどころか、香里のしどけない半裸の格好に欲望の炎を燃え上がらせ、是が非でもレイプしてやろうという気がありありと見える。
「やめろっ!」
圭祐は声を限りに叫んだが、「うるせぇ!」という言葉と共に横っ腹へ蹴りを見舞われ、うつぶせの状態から仰向けに転がった。たまらず口から血を吐く。内臓を傷つけたかも知れない。
圭祐がこれ以上、動くどころか話すこともできないと確認した二人は、じりじりと香里に近づいた。香里はおびえ顔で後ろに下がろうとする。
突然、下卑た笑いをしながら、一方の男の方が香里に襲いかかった。
だが、香里の身のこなしの何と軽やかなることか、くるりと横へ逃れると、そのまま勢いを利用して立ち上がった。あまりの鮮やかさに、またしても声を失ってしまう不良たち。この女は一体、何者なのか。
指を三本まとめてへし折り、自分より体格の大きい男を宙に舞うほどの力で吹っ飛ばし、今またカンフー映画のアクション・スターよろしく見事な身のこなしを披露してみせる。まるで格闘のトレーニングでも積んできたようだ。だが、体つきは華奢な女の子のそれでしかない。どこにそんなパワーとスピードが兼ね備わっているのか。
最早、目だけしか動かない圭祐は、そんな香里を見て、驚嘆というよりも驚異をおぼえずにいられなかった。二学期が始まって以来、記録が飛躍的に伸びた水泳にしても、今の香里は何か常人離れした運動能力がある。それが秘密のトレーニングによる成果なのか、彼女が元々持つ才能が開花したものなのかは分からなかったが、そんな香里を見るたびに薄ら寒くなるのだ。理由はない。そんな直感だ。
そんなことを圭祐が考えているうちに、香里は再びピンチを迎えていた。二人の不良によって、部屋の隅へと追い込まれていたのである。ボタンのないブラウスをかき寄せながら胸を隠し、もう一方の手で下半身の大事な部分を隠す。それはオオカミにおびえる仔ウサギのようでしかなく、二人の男たちを撃退した片鱗など微塵もなかった。
これまでか……。圭祐はくやしさに涙を滲ませた。
そこへ──
「どうやら間に合ったかしら?」
コツコツというヒールの足音と共に、明瞭で艶のある女の声が部屋の入口から聞こえた。いささか芝居がかった口調は、圭祐と香里には馴染みのものだった。
「先生!」
半泣きで香里がその場に崩れ落ちる。
圭祐に続いての闖入者に、二人の不良は一瞬、気色ばんだが、相手が女──それもとびきりの美人だったので、すぐにニヤけた表情に戻った。
「チッ、先公かよ」
「ずいぶんとエッチっぽい先生じゃん!」
「専門は性教育とか?」
「ぎゃはははははっ! いいねぇ、それ。センセ、オレたちにも教えてよ」
不良たちは女の色気が充分に漂ってくるカンナの身体を舐めるように眺め回しながら、下世話な話題を持ち出した。たかが女と侮っている。香里一人に手こずったことも忘れて。
もちろん、カンナはその程度では動じない。むしろ冷静に周囲の状況を分析しながら、艶然と微笑む余裕すらある。
「私の相手、ねえ。あなたたちで私を満足させられて?」
「させられるさ。今すぐ試してもいいぜ」
一方の男がカンナに近づく。そして、馴れ馴れしく肩へ手を伸ばした。
その手をカンナが取るのと、男が空中で一回転して床に叩きつけられるのは同時だった。いや、同時のはずはない。が、それくらい速いスピードだった。まるで合気道のようだと、カンナの技を目撃した圭祐は思った。
「私の相手をする前に、カマでも掘ってもらいな」
カンナは叩きつけた男の腕をひねると、おもしろいように男の身体が仰向けからうつぶせの姿勢になった。そして、右脚をあげて狙いを定めると、ピン・ヒールで男の尻を踏みつけた。それも、ヒールの部分が男の肛門辺りを直撃だ。明らかにヒールが肛門に突き刺さっているのが分かるほど、めりこんでいるのが圭祐からも見て取れた。
「ヒッ!」
男は短い悲鳴をあげると、ガクッと気絶した。股間からはなにやら嫌な臭いを放つ液体が床に拡がっていく。失禁したのだ。
「てめえっ!」
仲間がやられたことに怒り狂った最後の一人は、尻ポケットからバタフライ・ナイフを取り出した。慣れた手つきで刃を向けると、身体ごとカンナにぶつかるようにして襲いかかった。
声も出せない圭祐はカンナが刺されると思い、目をつむりかけた。だが、それが杞憂に終わることを彼は一瞬の後に知ることとなる。
カンナは身をひねるように身体を回転させながら、ナイフをかわしつつ、その男の手を抱える動きを取った。そこから回転を利用して男の身体を引きずり回すようにし、その隙に手刀でナイフを叩き落としてしまう。あとはひねり込んで手を離し、男を床に転がした。
壁の間際だったこともあって、転がった男は壁にも激突した。呻き声を上げ、顔が苦痛に歪む。だが、すぐに頭を振って、戦意を奮い起こそうとしていた。
圭祐は、男が落としたナイフを拾おうとしているのだと、その視線の方向から察した。男とナイフの距離は二メートルちょっと。飛びつけばすぐだ。カンナはそれに気がついているのか。
男がヘッド・スライディングの要領で、ナイフに飛びついた。手がナイフに届く。だが、次の刹那──
「ぎゃぁぁぁっ!」
男が絶叫した。カンナがその手をヒールで踏みつけたのだ。ほとんど刺さっていると言っても過言ではなかった。
「は、離して……」
男はそれだけを懇願するのに精一杯だった。顔に脂汗が浮かぶ。
それを見て、カンナは微笑んだ。
「離して欲しい?」
「は、離してください……」
「そう。じゃあ、私の靴を舐めて、許しを乞うのよ」
カンナは男の手を踏みつけていない方の足を差し出した。
選択の余地はなかった。ガクガクと痛みに耐えるように震えながら、男はカンナのピン・ヒールに顔を近づけ、舌を伸ばした。
すると、カンナは冷酷にも、手を踏みつけていた足を離すと、そのまま男の横っ面を蹴り飛ばした。男は舌を伸ばした状態だったので、たまったものではない。舌を噛んで、口を血だらけにし、そのまま失神した。
カンナは一瞥をくれると、手をはたきながら、
「私の生徒に手を出して、ただで済むと思っているの?」
と呟き、香里の方へと歩いていった。
香里はカンナが現れたことに安堵したのか、壁の隅でうずくまったまま気を失っていた。ブラウスのボタンは弾け飛んでしまっているが、外傷は擦り傷程度で、大したことはなさそうだ。香里の無事を確認したカンナは、次に圭祐の方を見ることにした。
「大丈夫?」
声が出なかったので、圭祐は小さくうなずいた。それだって満足に出来たものかどうか。だが、カンナはちゃんと分かってくれたようだった。
「男の子だったら、好きな女の子くらい自分の手で守りなさいよ」
ケガ人に対して酷なことを言う。しかし、その後に付け加えて、
「でも、頑張ったわね」
と讃えて、圭祐の髪の毛をくしゃくしゃっと撫でた。圭祐は思わず涙をあふれさせた。
カンナは立ち上がると、指をパチンと鳴らした。
「鹿島、終わったよー!」
ほどなくして、室内に筋肉の固まりのような大男が入ってきた。プロレスラーかなにかのようだ。暗い室内でも外さないサングラスが凄味を増している。
大男──鹿島は、室内の惨状を見回すと、肩をすくめてため息をついた。
「ガキ相手に派手にやったな」
「私がやったのは二人だけよ」
「特にその二人がひどい」
尻に突っ込まれ失禁している男と、口から血を流している男に向かってアゴをしゃくった。
「なんでその二人が、私がやったと分かるわけ?」
「お前以外に誰がこんなむごいことをするってんだ?」
「………」
言い返せなくなって、カンナはむっつりと口をつぐんだ。
「まったく、後のことも少しは考えてくれよな」
鹿島がぼやく。が、それにカンナは反発した。
「何よ。私を呼び出したのはアンタでしょ? 何が『ターゲットが危険な目に遭っている。すぐ来い』よ。マークしてたんなら、自分で助けに入れば良かったじゃない」
「オレはお前みたいに格闘訓練は受けてない」
「そんなムキムキの身体でよく言うわ」
「これは趣味で体を鍛えているだけだ。格闘のイロハは知らん」
あくまでも逆らう鹿島を、カンナはねめつけた。これ以上の抵抗は危険である。鹿島は話題の矛先を転じることにした。
「で、どうするんだ?」
「警察、病院、そして学校関係に根回しを。彼女と彼はウチの病院へ」
「あいよ」
圭祐はただ、自分とは関係なく進行していく事態に、身を任せるしかなかった。だが、カンナがただの新任教師でないことは、これで明らかだった。
香里のレイプ未遂事件があってから三日後、一番の重傷者だった圭祐は、まだ退院も出来ず、窓から見える代わり映えしない風景をただ眺めることしかできなかった。窓から見えるものは新築の高層マンションばかりで、それも距離を隔てているため、人の営みよりは無機質なオブジェといった具合だ。退屈で退屈で、ベッドから離れて歩き回りたいのだが、あと二日くらいは安静にしていないといけないらしい。
心配していた内臓の損傷は大したことがなかったようだが、頭と右腕、そして指の先と、とにかく包帯でグルグル巻きにされている。病院に担ぎ込まれた直後は、母親が心配して付きっきりだったほどだ。その母も、ようやく三日が経過して落ち着きを取り戻し、たまった家事を片づけに帰宅していた。
入院後、見舞いに訪れたのは、家族を除けば担任の教師だけ。クラスの代表でということだった。香里のことは詳しく聞いていない。ケガはさほどでもなかったらしいが、精神的なショックが大きく、まだ登校はしていないようだった。担任教師も面会が出来なかったと漏らしていた。
一方、圭祐と香里を襲った隣町の工業高校の生徒四名は、治療を受けた後、警察の事情聴取を受けたらしい。起訴されれば有罪は免れようもなく、現在はまるで憑き物が落ちたかのように反省しているそうだ。
それにしても、突然現れて救ってくれたカンナと、その連れらしい鹿島という男のことは、依然、謎だった。場所は分からなかったが、設備の大きそうな病院に運ばれた後、治療を受けた。運んでくれたカンナと鹿島はそれ以来、会っておらず、なんでも物知り顔だった二人に事情を聞きそびれてしまった。だが、治療を受けた病院は、圭祐自身があまり通院とは縁のない十六年間ではあったものの、なんとなく腕利きの集団であると感じた。それから間もなくして再び救急車に乗せられ、現在の私大病院に運ばれた。圭祐の家からも近い、馴染みの病院だ。
圭祐はあれからカンナのことを考えていた。森里高校に赴任してきた新任教諭。美人で頭も切れそうだが、その反面、教師らしからぬボディコン・ファッション。赴任初日から香里を救い、そしてまたピンチに駆けつけた謎の女。その強さは尋常ではなかった。彼女は一体、何者か。そして、その目的は。
思索に耽っていると、ドアがノックされた。どうぞ、と声をかけ、中に招き入れる。その人物を見て驚いた。
「はぁーい!」
「一条先生!」
まさに今、頭の中で考えていた人物が入ってきた。今日は白い清楚な感じだが、やはりボディコン・ミニに変わりはない。一条カンナだ。
「元気そうね」
「どうも。先生のお陰です」
圭祐は会釈した。
カンナは笑顔で答えると、ベッド脇の丸イスに座って、脚を組んだ。ミニ・スカートの裾が持ち上がって、形のいい太腿があらわになる。圭祐は視線のやり場に困った。
「今日は何のご用で?」
多少、アガりながら、カンナに尋ねてみる。本当に聞きたいことは別にあったが。
「今日来たのは、あなたに頼みたいことがあるの」
そう、カンナは切り出した。
「頼みたいこと?」
「ええ。矢代くん、城戸倉さんと親しいんでしょ?」
「それは……」
言葉に詰まるところが情けない。カンナが怪訝な顔をした。
「違うの?」
「彼女はただのクラスメートですよ」
「でも、好きなんだ?」
カーッと顔が赤くなるのが、圭祐本人にも分かる。
「そ、そんなの、関係ないじゃないですか」
「あるのよ。私、矢代くんに城戸倉さんを説得して欲しいの」
「説得?」
なにやら話はワケの分からない方向へ進みそうだった。
「ええ。でも、その前に私からあなたに話しておかなくちゃならないことがあるわ。あなたはもう、事件に巻き込まれてしまったんだから」
圭祐は固唾を呑んで、真剣な眼差しのカンナを見つめた。冗談で言っているようには思えない。
「あなたも私に聞きたいことがあるんじゃなくて?」
あった。カンナが何者なのか。何の目的があるのか。香里にこだわる理由は何なのか。それは最近、香里が目覚めた運動能力の飛躍に関係があるのか。疑問は上げればきりがない。
カンナは立ち上がった。そして窓辺に立ち、サッシを開けて外を眺めやる。
「あなたは知っている? この地球上にどのくらいの隕石が落ちているか」
天文学の話かと圭祐はいぶかった。それが何の関係があるというのだろう。
「地球に落ちてくる隕石のほとんどは、大気の摩擦で燃え尽きてしまうわ。だから、地表まで到達するのはごくわずか。でもね、その隕石から色々なことが分かるのよ。宇宙の神秘、星々の栄衰、そして未知の生命体……。そう、隕石はまるで宇宙のタイム・カプセルよ」
「タイム・カプセル……」
「ええ。そのタイム・カプセルの中には、眠ったまま氷づけにされた生命体が存在する……そんなことを考えたことがある?」
「まさか。例え入っていたって、大気との摩擦熱の影響で死滅しますよ」
「そうよ。ほとんどはそう。でも、身を守る隕石の構造上の問題で、摩擦熱の影響を受けずに地表に到達するものがあったとしたら? いいえ、それは確かに存在するのよ」
「そんなことになったら騒ぎになっていますよ」
SFじみていた。テレビか映画の中のこととしか思えない。
「だからこそ私たちがいるのよ」
カンナが振り返って言った。その表情に偽りがないのは明らかだ。だが、すぐに納得できることじゃない。様々な疑問が湧き起こる。
「私たちって?」
「詳しいことはトップ・シークレットになっているので、一般人のあなたに詳細を語るわけにはいかないけど、そう言った外的生命体を調査、追跡する国際機関だと思って。私はその一員。主に追跡業務を担当しているので<チェイサー>と呼ばれているわ」
「チェイサー……」
「私たち<チェイサー>の仕事は、落ちた隕石の採取とそこから外的生命体が逃げ出した場合の捕獲なの。なにしろ外的生命体の中には、私たち人間、いえ、全ての地球上生物に危険な病原体から、害をなすモンスターのようなものまでいるから、気が遠くなるような仕事だけど、一つ一つの隕石を調べるのよ。もっとも、そんなものが発見されるのは一パーセントにも満たないくらいの割合だけどね」
「てことは、地球上にエイリアンが……」
「いるわ。SF映画のような知的生命体とは今のところいかないけどね」
カンナの話は途方もなかったが、なぜかそれをウソだと笑い飛ばすことは圭祐には出来なかった。
「それが、この付近にも落ちたんですね? だから先生がやってきた……」
「そうよ。それも危険なヤツがね。というのも、前例となる隕石と一致したので、その危険度が認知されているんだけど……」
「それが……城戸倉さんに?」
圭祐は口が渇くのをおぼえた。思い過ごしであって欲しいと願った。
だが、無情にも圭祐の言葉にカンナはうなずいた。
「おそらくそいつは、城戸倉さんの体内に侵入しているわ」
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