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追跡者<CHASER>
#11.暗夜行路
硝煙のきなくさいニオイが鼻を突いた。
香里は一瞬のことに目をしばたかせたが、理解するのに時間を要した。
先程まで香里を騙し続けてきたことを吐露した殿村は、プールに落ちてもがいていた。その周囲を赤いインクが滲むように、血の濁りが広がり始めている。出血はおびただしい量だった。
「ほう、あの至近距離で急所を外すとはね。さすがは次期オリンピック候補生との呼び声高い高校生、並はずれた反射神経を持っている」
拳銃を持った年輩の男が、殿村を見下ろしながら独り言のように呟いている。温和な顔からは手にした拳銃は不似合いだが、淡々と喋る口調からは冷酷な一面が垣間見えた。
「だがね!」
男は再び拳銃を殿村に向けた。引き金が引かれる。
身も竦むような銃声と共に、殿村の身体が短い痙攣を引き起こしたかのように引きつる。香里は慌てて、男の腕にしがみつくように飛び出した。
「やめて!」
「邪魔をする気か!?」
男は香里をも傷つけるつもりはないらしかった。トリガーから指を離しながら、男は香里を振り払う。
「あっ!」
再び香里は転ばされた。
「裏切られた男をまだ守ろうというのか?」
裏切られた。そう、私は最愛の人に裏切られていたのだ。
君が好きだ。
君を愛している。
君を一番大切に想っている……。
全ては偽り。全てが演技。言葉の中に真実の欠片もない。
邪悪な素顔を隠した仮面の奥で、殿村は自分を騙し続けてきたのだ。男の言うとおり、助けるべきではないのかも知れない。だが──
「そ、それでも、黙って殺されるのを見ているだけなんて出来ません!」
香里の言葉に男は驚きの表情を浮かべかけたが、すぐに冷笑を作り出した。喉の奥で笑う。
「まだ君のような考えを持つ人間がいるとは、まんざら今の世の中も捨てたものじゃない。賞賛すべきだね、これは」
「………」
「だがね、やっぱり君はまだ子供だ。世の中の汚いことに目をつむりたがる。現実を直視しなさい。今、君が置かれている現状を。誰のお陰で、こんな目に遭っているのだね? これから君は死ぬかも知れないのだよ。君はそれでも、その原因を作った男を助けようと言うのかね?」
「私は……」
「彼がやってきたことを考えれば、その罪の償いはしてもらわなくてはならない。そうだろう?」
「だからと言って、あなたに先輩を殺す権利はありません」
「なるほど。それはその通りかも知れん。では、君が殺してみるかね?」
「え?」
男の意外な提案に、香里は頭を混乱させた。どういう意味?
「私の拳銃を貸してあげよう」
男はプールサイドにへたり込んでいる香里に拳銃を放った。拳銃は横滑りして、香里の近くで止まった。手を伸ばせば、すぐに取れる距離だ。
「さあ、その拳銃で彼を撃つがいい」
香里はプールに落ちている殿村を見た。血の海の真ん中に顔だけ出した殿村は、溺れかけた者がするように、荒く苦しそうな息継ぎをしていた。腕が痛いのか、泳ぐことができず、その場で首から上を出すのが精一杯らしい。プールでは常にスターとして輝いてきた殿村にとって、それはみじめな姿でしかなかった。
「どうした、自分を裏切ったひどい彼をその手で撃ち殺すんだ」
男の言葉にまるで催眠術が含まれていたかのように、香里は落ちている拳銃に手を伸ばした。つかみ上げてみる。重い。この鉄のかたまりに人の命を奪う力があるのだと考えると、グリップを握った手が汗ばんでくる。
「狙いを定めて、引き金を引きたまえ」
男が再度、促す。
香里はゆっくりと銃を持ち上げた。銃口は殿村でなく、目の前に男に向ける。
「なんのつもりだ?」
香里は目をつむって、引き金を引いた。
カチッ
だが、いつまで待っても銃声は聞こえてこなかった。何度も試す。いくらやっても弾は出てこなかった。そうこうしているうちに、男の手が素早く拳銃を奪い取った。ちょっとした座興を楽しんだ男は、おかしくてしょうがないといった様子だった。
「素人に銃は扱えない。安全装置を外さなければ発砲できないのだよ」
初歩的なミスだった。よくテレビや映画などでも同じシーンを見かけるが、いざ自分がその場面に出くわすと出来ないものだ。
男は余裕たっぷりに安全装置を解除すると、香里に銃口を向けた。
「どうやら最後のチャンスも生かすことが出来なかったようだね。これで覚悟もついたろ?」
「いいえ、そうはいかないわ!」
「!」
突然、プールの入口の方で声がした。
男が振り返るのと銃声が轟いたのは同時。次の刹那、男は右手を押さえながらよろめいた。弾け飛んだ拳銃がフェンスの近くまで転がる。
「貴様は……!」
プール入口の影から、太腿も露わな美脚がまず現れ、次に布地の節約としか思えない超ミニのスカートに包まれた腰、くびれたウエストが、そして愛銃S&Wショーティー40を構えた細腕、豊満なバストが夕日の残光に照らされ、最後に知的な美貌が輝く女が登場した。それは言うまでもなく──
「一条先生!」
一条カンナ。日本でも五人しかいない腕利きの<チェイサー>だ。
「どうやら、ぎりぎりセーフって感じかしら」
男の顔は明らかに苦痛だけでなく、悔恨の念によって表情を歪めた。
「どうやってここへ……キミ用の相手は用意していたはずだが……」
「それは、あのお二人の事かしら? 安心して、私、殺戮は趣味じゃないの」
「くっ……キミの実力を見誤ったか……」
実際のところは櫻井というイレギュラーの存在で助かったのだが、そんなことはおくびにも出さないカンナだった。
「とにかく、城戸倉さんをサンプルとして連れ去ろうしていたようだけど、これでパシフィックの企みもおしまいね。観念なさい!」
S&Wショーティー40を男にポイントしたまま、カンナは近づいた。
だが、男が不敵に笑う。
「『連れ去る』だと? ふふふ、キミは今ひとつ分かってなかったようだね」
「何の話よ」
「私たちが欲しいのは“ディアブロ”の犠牲者ではないのだよ」
「“ディアブロ”? 城戸倉さんの中にいる“S−08型”のこと?」
「そう、我々、パシフィックではそう呼んでいる。そして──」
「きゃっ!」
いきなり香里が悲鳴を上げた。それもそのはず、今まで何の動きも示さなかった圭祐が、突然、香里を後ろから抱きしめるようにしたのだ。香里は足をばたばたさせて抵抗を試みる。
「矢代くん!?」
カンナは思わぬ行動に出た圭祐に驚いた。香里を助け起こそうとしているのではない、明らかに襲いかかっているようだった。
「ふふふ、彼には“シーヴァリス”を注射してある。キミには“P−15型”と言った方が分かりやすいかな?」
「“P−15型”ですって!?」
カンナは“S−08型”と“P−15型”の組み合わせから、すぐに一つの答えをはじき出した。
“P−15型”──つまり、パシフィックで言うところの“シーヴァリス”は、植物系のエイリアンである。普段は無害なのだが、獲物を取り込んだ際は凶暴化、異常とも言える能力の上昇をマークすることがこれまでの研究から分かっていた。その獲物こそが“S−08型”──すなわち“ディアブロ”なのである。どうやら“ディアブロ”が産卵の際、動物の体内に侵入した時に出す脳内麻薬が、“シーヴァリス”に多大な影響をもたらすらしい。これまでカンナたち<チェイサー>でも一例しか、“ディアブロ”を取り込んだ“シーヴァリス”を目撃していない。この天敵関係にあるエイリアンたちは同じ惑星に生息していたと思われるが、現在、何らかの理由で地球に飛来。もっとも大気圏に突入した時点で燃え尽きてしまう例も少なくなく、二種のエイリアンが地上で遭遇する確率も天文学的数字になるはずだったのだが……。
「まさか、あなたたちの狙いはそれなの!?」
「そうだ。“ディアブロ”を取り込んだ“シーヴァリス”をサンプルとして研究すれば、超人類を生み出すことも夢ではないだろう」
「危険よ。一企業がそこまでのことをする気!?」
「我が会社の利益ばかりを考えてのことではない。いずれ来る地球の破滅に人類が生き残るためのノアの方舟にもなり得る。考えてもみたまえ。死の病と言われた数々の病気を撲滅してきた人類だが、それに追い打ちをかけるように新しい病原菌が年々、発見されている。まるで地球そのものが人類を滅ほさんとしているようじゃないか。ならば人類は滅ぶべきなのか? 否! 滅びはしない! 人類には宇宙にも飛び出せる偉大な英知が備わっているのだ。いずれは宇宙の全てを我々の手に納めることも可能なのだ!」
「だからって、同じ人間を実験台にして他の者が生き残ろうとするのはエゴでしかないわ!」
「キミまで青臭いことを! 世界は弱肉強食! 食うか食われるかなのだ!」
「結局はそれしか頭にないのよ、パシフィックは! そんなことで人類や地球を救えるものですか!」
「生ぬるいキミたちのやり方では、世界に変革は起こせない!」
「世界に変革なんて望んでないわ! 私たちは私たちに出来ることをやっているだけ! この世界を守りたいのよ! 今を大事にしたいの!」
「そんなものは砂上の楼閣に過ぎん!」
カンナと男の論争が激しさを増しているうちに、香里は圭祐によって立たされ、ジリジリとフェンスの間際まで引きづられていた。すぐ耳元で、圭祐の荒い息づかいが聞こえる。香里は少しでも逃れようと顔を背けるが、後ろから回された腕の力は半端ではない。これが普通の人間なら“ディアブロ”の力で振りほどくこともできるのだろうが、圭祐には天敵たる“シーヴァリス”が取り憑いている。不利は否めなかった。
「どうやら、彼がうまくやってくれるようだな」
男はチラリと圭祐の方を見た。
カンナは圭祐にS&Wショーティー40を向けた。潜入捜査だったとは言え、この二週間ちょっとの間、教え子として接してきた圭祐に取る行動ではないとためらわれたが、“シーヴァリス”が“ディアブロ”を取り込んだ後では遅い。今現在の香里と圭祐でさえ超人並の身体能力を発揮できるのだ。それ以上の存在となると空恐ろしくなってくる。
「矢代くん、城戸倉さんを離して!」
カンナは警告した。だが、男がせせら笑う。
「ムダだ。すでに彼は“シーヴァリス”の本能に支配されている。“ディアブロ”を喰らいたいという本能にね。今の彼に自分の理性というものが残っているかどうか」
「アンタ、いちいちうるさいわね! 黙ってなさいよ!」
男は肩をすくめた。
「矢代くん、お願いよ。そんなエイリアンの支配に負けないで! 城戸倉さんを助けて!」
圭祐は頭を小刻みに振るわせた。自分の内なるものと戦っているようだ。その戦いの苦しさは、額に浮かぶ汗の量からも推し量れる。
「そうよ、矢代くん! 頑張って!」
カンナは圭祐に声をかけ続けた。
やおら、圭祐の頭の動きが止まった。そして、カッと目が開かれる。
「!」
圭祐は跳躍した。それも香里を抱いたまま、六、七メートルの高みまでジャンプする。それは楽々とプールのフェンスを飛び越えていた。
「あああああっ!」
カンナはあんぐりと口を開け、驚愕の叫びをほとばしらせた。苦し紛れに発砲する。銃弾は圭祐の肩をかすめたようだったが、致命傷には至らない。慌ててフェンスまで駆け寄るが、もう遅かった。圭祐と香里は夕闇が迫った草むらへと消えていった。
「くそっ!」
フェンスに拳を叩きつけながら、カンナは悪態をついた。
だが、ここで悔やんでいてもしょうがない。圭祐たちを追うしかないのだ。
カンナは追跡しようと、プールの出口に向かおうとした。ところが今度はパシフィックの男までが姿を消していたことに愕然とする。これではプロの名がすたるというものだ。カンナはその場で地団駄を踏んだ。
「うわぁー、私のバカバカ!」
自分の頭をポカポカと殴りながら、カンナは自己嫌悪に陥った。
その視界の隅で、黒いものが動いた。それは殿村の頭だった。銃弾を受けた殿村が、なんとかプールサイドに泳ぎ着いたのである。
「大丈夫、アンタ?」
カンナは殿村が香里にしてきた仕打ちを知らない。いくら香里の身が第一とは言え、見捨てて行くわけにはいかなかった。
殿村は銃撃による負傷とプールでもがいていた体力の消耗で、疲弊しきっていた。カンナの呼びかけにもまともに答えられない。むしろ、自力で這い上がってきただけ奇跡に近いと言えよう。プールサイドでゴロリと横になると、荒い呼吸をするのが精一杯のようだった。
カンナが見たところ、銃弾はみな急所を外れている。出血はおびただしいが、今のカンナに止血する手段はない。出来ることと言えば、せいぜい携帯電話で救急車を呼ぶことぐらいだ。
「待っててね、今、救急車を呼ぶから」
カンナは殿村にそう言うと、プールの出口へと走った。圭祐がどこへ香里を連れ去ったかは分からないが、事態は一刻を争う。パシフィックの手の者よりも早く──いや、香里が圭祐の毒牙にかかる前に見つけださなければ。
元来た道を駆け戻るカンナは、途中、命の恩人である櫻井と出くわした。まだ警察は到着していないらしく、櫻井はカンナを待ち伏せしていた男の一人に馬乗りになったまま周囲を警戒している。カンナの姿を見つけると、破顔して手を振った。
「一条せんせーい!」
だが、今は櫻井にかまけている場合ではない。軽く手を挙げて応えただけで、先を急いだ。
「一条せんせ……?」
旧中学校跡の草むらを抜けると、カンナはまず森里高校の方へ戻ってみた。ピン・ヒールを履いたまま、全速で走る。角を曲がった刹那、たまたま歩いてきた人物と衝突しそうになった。カンナは抜群の反射神経でかわし、たたらを踏む。
「失礼!」
「カンナ!」
カンナと衝突しそうになったのは相棒の鹿島だった。
「鹿島! アンタ、今まで何をやってたの!?」
態度をコロッと豹変させ、カンナはかみついた。鹿島はたじたじになる。
「こ、こっちだって色々あったんだ。それより何かあったのか?」
「そうだった! 鹿島、城戸倉さんと矢代くん、見なかった?」
「あいつら? いや、見てねえが」
「そう……。とにかく探して! それから屋外プールに負傷者がいるから救急車を呼んでおいて!」
「りょ、了解!」
鹿島はポケットから携帯電話を取りだし、救急車の要請をした。カンナは周囲をこまめに調べてみる。
「!」
西日がきつくなってきた路上に血痕を発見した。小さなものだったがまだ新しく、乾ききっていない。負傷した圭祐のものである可能性は高かった。
「鹿島!」
電話が終わった鹿島をカンナは呼んだ。血痕を見せる。
「お前がやったのか?」
「かすり傷程度よ。それよりこの跳ね具合を見て。負傷者が移動しながら落とした血痕は、その進行方向に向かって跳ねが出来るものなの」
「と、すりゃあ、これは……」
「やはり森里高校の方へ向かっているわ」
カンナはそびえ立つ校舎と対峙し、唇を真一文字に結んだ。
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