←前頁]  [RED文庫]  [新・読書感想文]  [次頁→



坂時村

−2−

「ウッソー!?」
 アヤネは口元を押さえたが、それよりも先に素っ頓狂な声が飛び出していた。そんなアヤネを見て、男の子は顔をしかめる。
「うるさいヤツやなあ。迷子か?」
 年下の男の子に迷子と言われて、アヤネは途端に羞恥心が湧いた。来年は高校生になろうかという自分が、まるでデパートのおもちゃ売場で泣きべそをかいている幼児と同列にされたような気分になる。男の子の冷ややかな視線が痛いほどに突き刺さった。
「ち、違うわよ!」
 否定はしたものの、ここが一体どこなのか、アヤネにはさっぱり分からなかった。駅舎も線路も、バス停や佐々木商店もどこかへ消えてしまい、周りの野原に見覚えはない。男の子が言うとおり、ここが坂時村だとすれば、少なくともアヤネが知っている坂時村とは異なっていた。
「あんた、どっから来た?」
 すっかり混乱しているアヤネに、男の子が尋ねた。無垢な目を真っ直ぐアヤネに向けてくる。
「東京」
 アヤネはぼそっと答えた。
「東京? それはずいぶんと遠くから来たもんだな。一人でか?」
 男の子の問いに、アヤネはコクンとうなずく。これではどちらが年上か分かったものではない。
 男の子は麦わら帽子を取って、坊主頭を掻いた。アヤネを頭から爪先まで眺めて思案する。再び麦わら帽子をかぶり直し、最後にめんどくさそうなため息をついて言った。
「とにかく、ここに突っ立ってても始まらねえ。ウチに来なよ。オラのおっかあに話してみるから」
 アヤネは迷った。迎えに来ることになっている松じいちゃんのことを考えると、ここから離れてしまっていいものか。しかし、約束の場所である坂時駅がなくなってしまった以上、松じいちゃんが来るという確証もなかった。今、頼れるのは、地元の子らしい目の前の男の子だけ。
 アヤネは決心した。
「じゃあ、悪いけど、案内してもらえる?」
「いいよ」
 そう言うと、男の子は先に立って歩き、先程、走ってきた方向へ戻る形で、アヤネを案内した。
 男の子の後について歩くアヤネは、既視感<デジャヴー>のようなものを感じていた。左手の視界を遮る森、そして山。小石が転がった舗装されていない道。その途中の道端にひっそりと祀られているお地蔵様。それはアヤネが見知っているものばかりだった。
 やはりここは、駅舎や佐々木商店がなくなっていたものの、松じいちゃんが暮らす坂時村に違いなかった。しかし、周囲の寂しさは、昨年の夏に訪れたとき以上だ。以前から、そんなに賑わっていた村ではないが、畑に目を移せば働いている農家の人たちの姿を、少なからず見ることが出来た。ところが、今は誰もいない。いや、それどころか、かつては葉物野菜がきれいな列をなしていたはずの畑は、ただの荒れ地になってしまっている。同時に、点在していた家もなくなっていた。
 そんな村の様子を見ながら、アヤネは不安になり、心細さを感じた。ここには松じいちゃんもいないのではないか。両親を失ったばかりのアヤネにとって、それは恐怖に他ならなかった。
「そう言えばさあ──」
 不意に前を歩いていた男の子が口を開いた。アヤネはハッとして、我に返る。
「な、何?」
 思わず声がうわずった。もし、このまま沈黙が続いていたら、アヤネは泣いてしまっていたに違いない。
 男の子は振り返って、アヤネの顔を見た。
「あんたの名前、まだ聞いてへんかったなあ」
 ひょっとして、男の子はアヤネの不安な気持ちを察し、声をかけてきたのだろうか。アヤネもまた、男の子の顔を見た。いずれにせよ、男の子のお陰で少し気分を紛らわせることが出来た。
「私はアヤネ。常盤アヤネ」
「えっ?」
 アヤネが名乗ると、男の子は驚いたような表情を一瞬だけした。そして、強張ったような顔。アヤネが怪訝に思う間もなく、男の子はまた背中を向けた。
「どうしたの?」
「別に」
 アヤネが尋ねても、素っ気ない返事。しばらく二人は無言で歩き続けた。
「ねえ」
 たまらず、アヤネが声をかけた。男の子は黙々と歩く。
「ちょっとぉ、私の名前を教えたんだから、キミも名乗ったらどう?」
「………」
「あっ、ひょっとして変な名前で教えられないんだ?」
「変な名前なんかじゃないやい!」
 子供らしい意地の張り具合。アヤネはそんな男の子の反応におかしくなった。
「じゃあ、名乗ってみなさいよ。私が判断してあげるから」
 挑発でもするかのようにアヤネにそう言われ、しばらく黙っていた男の子だったが、やがて観念したように、ぽつりと名乗った。
「……松吉」
「え?」
「だから、松吉だよ!」
 顔を真っ赤にして、男の子は声を張り上げた。今度はアヤネが驚く番だった。
「松じいちゃん?」
 松吉はアヤネの祖父、松じいちゃんの名前だった。思わず、口に出してしまう。
 だが、これには男の子──松吉が憤慨した。
「誰が、じいちゃんだ!? そっちの方がおばちゃんやないか!」
 松吉の暴言に、今度はアヤネの方がカチンと来る。
「お、おば──!? 失礼ねえ、私だってまだピチピチの十五歳なんだからぁ!」
「うるさい! オラより年上に変わらへん!」
 松吉は口に中差し指を引っかけて、さらにアカンベーをした。面白い顔になるが、アヤネの怒りはおさまらない。
「年上と思ってるなら、その生意気な口を叩くのやめなさいよ!」
「ふん! 迷子のクセして」
「だから、迷子じゃないって言ってるでしょ!」
「へへ〜ん、迷子、迷子〜!」
「この寝小便タレのクソガキが〜!」
 二人のののしり合いは、道中、ずっと続いた……。


<次頁へ>


←前頁]  [RED文庫]  [新・読書感想文]  [次頁→