その悲鳴を聞きつけて、松吉は下を覗き込んだ。
下にはアヤネと見知らぬ男が鉢合わせしたような格好になっていた。
男と言っても、アヤネと同じくらいの年頃だ。まだ、少年と言っていい。頭は丸坊主で、よく日に焼けていた。
「なっ、なななな……!」
アヤネはあまりに驚いて、言葉が出てこないようだった。対して、少年の方は気さくに挨拶などをしてくる。
「よお、アヤネ」
少年はアヤネを知っているようだ。軽く右手を挙げる。その手が何かを握っていた。
「そ、それ……!」
アヤネは少年の右手を指さした。アヤネが驚いたのは、少年の登場よりもそっちの方に原因がある。少年は不思議そうに自分の右手を見た。
「これ? ああ、何か落ちてると思って、たった今、拾ったんやけど……」
そう言って、少年は手に持っていた物を両手で広げてみた。屋根裏部屋から落ちてきたアヤネのブラジャーを。
「バカーッ!」
アヤネは少年の手から素早くブラジャーをひったくり、後ろに隠した。顔は真っ赤である。
だが、少年もようやく自分が拾った物が何だったのか分かったらしく、大きくうろたえた。
「い、いや、オレは、その……」
「バカバカバカバカバカ! この変態!」
「へ、変態って、お前、それは言い過ぎやろ!? アヤネがこんなところにブラを落としているから悪いんだ!」
「ちょっと! アヤネなんて呼び捨てにしないでよね! 私の方がひとつ年上なんだから!」
二人が言い合いをしている間に、松吉は梯子を下りてきた。それを少年が見咎める。
「誰ね、お前?」
「お前こそ、誰ね?」
少年に問われ、松吉は負けじと睨み返した。それを見て、アヤネがぷっと吹き出す。
「アンタたち、そっくりねえ。まるで兄弟みたい」
そう言われるや、少年と松吉は抗議の声を上げた。
「どこが!」
奇しくも二人の言葉は重なった。思わず顔を見合わせる二人。今度は大笑いしてしまうアヤネだった。
「ところで、どうして誠治がこんな所にいるの?」
あまりのおかしさに涙を浮かべながら、アヤネはひとつ年下の少年──誠治に尋ねた。
毎年、夏休みになると坂時村へとやって来るアヤネにとって、誠治はもっとも親しい遊び相手だった。都会育ちであるアヤネには、誠治が教えてくれる遊び──カブトムシやクワガタを採ったり、川遊びをしたり──はどれも面白かったし、誠治にしても姉のように夏休みの宿題の面倒を見てくれるアヤネは有り難い存在である。一年にひと月ちょっとしか付き合いがないが、ほとんど幼なじみと言ってもいいだろう。
それにしても、昨年まではアヤネの方が背が高かったのに、今年はもう誠治に追い越されてしまっている。いつまでもやんちゃな弟のようなつもりでいたが、いつの間にか男として成長しているのだとアヤネは感心していた。
そして、誠治もまたアヤネを女性として意識し始めているのだろう。どうしてここにいるのかとアヤネに言われ、誠治はドギマギとした反応を見せた。
「いや……今日からアヤネがこっちで暮らすって聞いたから……大変だったんだろ? 親父さんとお袋さんが亡くなって……」
誠治の言葉に、一瞬、アヤネの表情が沈んだ。だが、懸命に笑顔を作ろうとする。
「まあね。確かに淋しいし悲しいけど、泣いてばかりもいられないから」
「そうか」
誠治は何と励ましていいのか分からなかった。そのつもりでわざわざやって来たのに、いざアヤネを前にしてしまうと言葉が出てこない。
すると松吉がアヤネの前にやって来た。ジッとアヤネの顔を見る。
「お前のおっとうとおっかあ、死んじまったのか?」
子供らしいストレートな物言いに、隣にいた誠治は慌てたが、アヤネは松吉の目線に合わせてしゃがみ、そして微笑んだ。
「うん、おねえちゃんのおっとうとおっかあ、死んじゃったんだあ」
「そうかぁ。つれえなあ」
松吉はそう言うと、慰めのつもりなのか、アヤネの頭をぽんぽんと叩いた。それはアヤネの祖父、松じいちゃんがよくやる行為だ。
アヤネは思い出したように、松吉の顔を見た。その目が見開かれる。
「ねえ、松っちゃん」
「ん?」
「本当に松っちゃんの家はここなの?」
改めてアヤネに尋ねられ、松吉は口ごもった。唇をキュッと噛み、目を伏せる。両手の拳は握られていた。
アヤネは松吉の肩を優しくつかむようにして、こちらを向くように仕向けた。
「ねえ、答えて。松っちゃんの家は本当にここ?」
「お前、何言ってんだ? そんなことあるわけなかんべ」
横から口を挟んできたのは誠治だ。呆れたように苦笑する。
「アヤネのじいさんは、長年ずっと一人暮らしなんだぜ。お前だって知ってんべさ?」
「誠治は黙ってて。──ねえ、松っちゃん。さっきから、この家の様子を見て、何か気づいたんでしょ? 松っちゃんの家とは違うところを。おねえちゃんに教えて。松っちゃん、何を隠しているの?」
すると松吉は、アヤネの手を振りほどくようにして、顔を紅潮させた。
「何も違わねえ! ここはオラの家だ! おっとうとおっかあの家だ!」
大声で言い張る松吉に、誠治が黙っていられるはずがなかった。
「コラッ! ウソつくんじゃねえぞ、坊主! ここはアヤネのじいさんが一人で住んでいるんだ! お前はもちろん、お前の父ちゃんも母ちゃんもここに住んでいるわけがねえ! お前、どこの子だ? 村じゃ見かけない子だな?」
「ちょ、ちょっと、誠治──!」
誠治の厳しい追求に、松吉は悔し涙を浮かべた。それでも泣くまいとこらえる。
「ウソじゃねえもん……」
「じゃあ、その証拠にお前のおっとうとおっかあを連れて来い。そうまでして、ここがお前の家だって言うんならな!」
誠治に強く言われ、とうとう松吉は泣き出した。そして、家の外へと駆け出して行ってしまう。アヤネが止める間もなかった。
「チッ、逃げやがったか。まったく、最近のガキはろくでもないウソをつきよる」
そう言って、誠治はアヤネに同意を求めようとした。だが、逆にキッと睨まれ、誠治はたじろいだ。
「誠治のバカ! あんな小さな子にそこまでひどいことを言わなくてもいいでしょ!」
「で、でもよぉ……」
ウソをついているのは松吉の方だと誠治は言いたかったが、アヤネは目を三角にして怒っている。経験から、これ以上、余計なことは言わない方がいいと誠治は判断した。
外は日が暮れかけている。松吉の家が本当はどこなのか分からないが、一人で大丈夫かとアヤネは心配になってきた。少しでも悪いことを考えると、それは振り払えないくらい大きくなってしまう。アヤネは決めた。
「私、追いかけてみる!」
「ええっ!? ほっとけよ!」
アヤネはそんな誠治の顔に、手にしていたブラジャーを投げつけた。
「誠治のバカ!」
一声怒鳴ったアヤネは、素早くミュールを突っかけると、松吉の後を追いかけ始めた。