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坂時村

−7−

 突然、夜がやって来たような錯覚に陥った。眩しかった光はすでになく、周囲はぼやけたように灯っている外灯の明かりだけが闇を照らしている。周囲はすっかり駅前の風景を取り戻していた。駅舎の前には、松じいちゃんの古びた軽トラックも停まっている。
「な、何が一体、どうなっているんだ?」
 まだ状況が飲み込めない誠治をほっといて、アヤネは駅舎の中に足を踏み入れた。
 駅の待合室には、ずっとアヤネがそうして待っていたように、松じいちゃんがベンチに置かれたままだったスポーツバッグの隣に腰掛けて、居眠りをしていた。その膝の上には太った白ネコが丸くなって眠っている。アヤネが近づくと、ネコはふっと顔を上げ、遅かったな、とでも言いたげな目線をよこすと、松じいちゃんの膝から飛び降りた。その拍子に松じいちゃんが目を覚ます。
「うーん、いかん、いかん。つい、眠ってしもうたようじゃ」
「おじいちゃん」
 アヤネが声をかけると、松じいちゃんはようやく孫娘の存在に気づき、笑顔を作った。
「おお、アヤネ。どこへ行っておったんじゃ? 荷物も置きっぱなしで」
「ごめんなさい。色々あって」
「まあ、わしも野良仕事のせいで、迎えに来るのが遅くなってしもうた。とにかく、家に帰ろう」
 松じいちゃんは、駅前に誠治もいて驚いた様子だったが、すっかり日も落ちてしまい、彼も近くまで乗せていくことにした。もっとも軽トラックは二人乗りなので、必然的に誠治はアヤネのスポーツバッグと共に荷台へ追いやられたが。
 家に帰る途中、夜道を慎重に運転しながら、松じいちゃんは隣のアヤネに尋ねた。
「アヤネにひとつ、言うとくことがある」
「何?」
 アヤネは松じいちゃんの顔を見た。松じいちゃんは話しづらそうな顔をしていたが、やがて語り始める。それは少なからずアヤネが予期していたことだった。
「この村のことじゃが、最近はすっかり過疎化が進んじまって、町へ出ていく者も少なくない。残っているのは、わしみたいな年寄りばかりじゃ。今は電車もバスも通っているが、そのうち廃止するなんていう噂も聞く。アヤネも今はいいだろうが、いずれは退屈になるかも知れん。そんときはわしに遠慮せず、村を出て行っていいんだぞ。わしはアヤネさえ元気なら、どこで暮らしたってかまわんからな」
「ありがとう、おじいちゃん」
 アヤネは松じいちゃんの心遣いに感謝した。しかし──
「でも、私はこの村が好き。きっと誰もいなくなっても、電車やバスがなくなっても、ここに残ると思うな。だって、今度はここが私の故郷になるんだもん」
「オレもさ! オレもこの村からは出てかん!」
 いきなり荷台から身を乗り出して、誠治が窓から顔を出した。アヤネは引っ込んでろ、とばかりに、誠治の頭を押し返す。
「アンタはいいの!」
 これには隣の松じいちゃんも笑った。そして、嬉しそうに何度もうなずく。
 アヤネは呟いた。
「それに二十年後……私はまた今の私に会ってみたい」
「二十年後?」
 松じいちゃんは怪訝な顔で、孫娘を横目で見た。アヤネはすぐに笑って打ち消す。
「ううん。何でもない」
 アヤネはポケットから母の形見であるペンダントを取り出すと、自分の首にそれを下げた。そして、夜風が吹く込む窓の外を見やる。住宅の少ない坂時村はほとんど真っ暗だったが、代わりに星空のきらめきを楽しむことが出来た。
 この星空は二十年後もきっと変わらないことだろう。そんなことを考えながら。


<END>


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