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[序 章/−1−−]



吟遊詩人ウィル・神々の遺産

序  章  (1)


 夕刻より降り出した雨が、夜になって激しさを増した。
 嵐である。
 このネフロン大陸北方に位置するセルモア地方にしては珍しかった。普段はあまり降ることがない。気候も温暖で、穏やかな天候が一年中、続くようなところだ。
 それが今、激しい雨によって先を見通すことが出来ないほどの嵐が見舞っていた。雨音がすべての音をかき消し、雨粒が堅く閉められた鎧戸を叩く。もちろん、こんな嵐の夜に出歩く者などいない。皆、息を殺すようにして家の中に閉じこもり、嵐が過ぎ去るのを待っていた。
 セルモアの街を治める地方領主バルバロッサの城も例外ではなかった。この城は山の中腹を利用して造られた山城で、周囲に堀などを備えていない代わりに、城までに至る道は細長く曲がりくねり、周囲は険しい岩肌に守られた天然の城塞である。さらに山の裾野にはセルモアの街がまるで迷路のように広がり、唯一の進入経路を塞いでいた。また、街に隣接して、巨大な湖が水をたたえており、街そのものへの来訪も困難だ。湖を囲むようにして数々の山がそびえているため、湖岸の狭い道を通らなければならない。だから、ここを攻めてくる軍隊は、湖を渡る船か上空から攻撃できる竜騎兵<ドラゴン・ライダー>でも用意しない限り、大軍を送っても用をなさないだろうと思われた。
 この二重三重の堅牢な守りもあって、セルモアは独自の自治を行っていた。本来はブリトン王国の領地であり、鉱山から産出されるミスリル銀は国の重要な財源になるはずだった。ところが、現国王ダラス二世が病に倒れ、現在の国情は乱れている。
 王位継承権から言えば、ダラス二世の一粒種であるカルルマン王子が政務を執り行うのが順当だった。しかし、この親子の確執は以前より取りざたされており、王が死なない限り、実権を握ることは許されていない。
 そして、その王の死も隠されているのではないかという噂が、まことしやかに流されていた。意識不明に陥ったダラス二世は大寺院に運び込まれ、聖魔法による治療が今なお行われているのだが、誰も面会が許されず、その後の病状などは不明のままだ。
 王が倒れて一年近く。現在は決して有能とは言えない宰相が王の代行として立っているが、王国としての権威は失墜しており、各地方で破綻が生じ始めていた。その口火を切ったのがセルモアだったと言ってもいい。
 元々、セルモアの領主バルバロッサは野心家であった。若くして領主の座に納まってから、地理的な防備とミスリル銀による資金力を盾に、王国と事を構え続けてきたのだ。バルバロッサの狙いは、ミスリル銀流通の自由化。金を払うのであれば、例え他国でも売買を行う。それによって、セルモアの利益を上げようというわけだ。
 もちろん、この動きに対し、国王ダラス二世が壮健で、権力を振るっていたときから幾度となく軍隊が派遣され、そうはさせじと直接的な圧力が加えられてきた。だが、いかなる大軍を持ってしても、この自然の要害に阻まれ、毎回、撤退を余儀なくされたのである。その損耗度は深刻で、とうとう王国の方から譲歩を求めてきた。
 国王と互角──いや、それ以上に渡り合ったバルバロッサに対し、領民たちの信望は厚く、皆、比較的高い水準の生活を送ることを喜んだ。今も国内はもちろん、隣国やさらに遠方から移り住んでくる者も少なくなく、衰退していくブリトン王国に対して、セルモアの街は目覚ましい発展を遂げていった。
 そして、今回の後継争いである。セルモアではこの国勢の乱れを幸いに、すでに国税などは、一切、納めていなかった。支配者不在の王国から領主宛の督促状は幾度となく届いたが、実際には放任しているような状況で、それはまた、自由都市としての許諾でもあった。
 そんな平和な街を襲った突然の嵐は、何やら不吉な前兆のようでもあった。
 事実、それは闇の中で蠢き始めていたのだ。


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