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[序 章/−−4−]



吟遊詩人ウィル・神々の遺産

序  章  (4)


「笑止!」
 ゴルバの二の腕の筋肉が盛り上がった。片腕だけでバルバロッサの剣を押し返す。
「くぬっ!」
 バルバロッサは表情を歪めた。
 力比べは望むところのはずであった。それが明らかに力負けしている。これも悪魔の斧<デビル・アックス>の魔力によるものか、まるでゴルバに力を貸しているかのようだ。バルバロッサの額に汗が滲んだ。
「どうした、その程度か!?」
 ゴルバは父の剣を弾いた。バルバロッサの体勢が崩れる。
 だが、すぐに立て直したのは歴戦の猛者である証明だった。バルバロッサは足を踏ん張らせ、横から剣を薙ぎ払う。
「さかしい!」
 ゴルバもそれは読んでいた。悪魔の斧<デビル・アックス>で防ごうとする。
 しかし、それはバルバロッサのフェイントであった。剣技には一日の長がある。すぐに剣先を変化させ、ゴルバの太腿を切り裂く。
「ぐあっ!」
 もっと深く踏み出していたら、脚一本、切り落とされていたかもしれない。それでも深手には違いなかった。
 ゴルバが膝を落とす。
 その頭上からバルバロッサの剣が振り下ろされた。それをかろうじて跳ね返すゴルバ。
 だが、ゴルバの劣勢は明らかであった。動けなければ殺られるのは時間の問題だ。
「覚悟!」
 バルバロッサの剣が再び振り上げられた。
 ゴルバはとっさに口を開いた。そして、黒い霧のようなものを吐き出す。それは瞬く間に寝所を満たした。
「ゴルバ!」
 バルバロッサは黒い霧の中で叫んだ。何も見えない。
「ハッハッハ! オレの特技を忘れたか?」
 形勢逆転、ゴルバの笑い声が黒い霧の中で響いた。バルバロッサは闇雲に剣を突き出すが、もちろん効果はない。
「オレの姿が見えないだろう? だがな、この黒い霧のもうひとつの効果を忘れちゃいないか?」
 突如、バルバロッサは咳き込み、口許を押さえた。指の間から吐血する。
 ゴルバの吐き出す黒い霧は、毒霧であった。
 今度はバルバロッサが膝を折る番だった。暗闇の中で、呼吸もままならず、意識が朦朧としていく。
「どうやら覚悟するのは、貴様の方らしいな」
 バルバロッサの背後でゴルバの声がした。だが、バルバロッサには、もう振り返る余力さえない。
「死ね!」
 ブン!
 空気が唸る音がして、悪魔の斧<デビル・アックス>が振り下ろされた。
 ガッ!
 バルバロッサの頭がざくろのように爆ぜ、身体が力無く倒れた。おびただしい量の血が寝所の床を濡らす。
 ゴルバは荒い息を繰り返していたが、やがて大きく息を吸い込んだ。すると寝所に充満していた黒い毒霧が吸い込まれ、視界が晴れ始めた。
 むごたらしいバルバロッサの死体に冷たい一瞥を投げた後、ゴルバは隣の寝所に通じている扉を開いた。中にはパメラが怯えたようにうずくまっている。
「デイビッドは?」
 ゴルバはパメラに凄んだ。パメラは首を横に振る。
 ゴルバはそれ以上、追求せず、バルバロッサの寝所に戻った。ぐるりと部屋を見回す。
 その眼が暖炉のところで止まった。暖炉の炎は消えており、そこから風が吹き込んでいる。
 ゴルバは血相を変えた。



 抜け穴から外へ出ると、激しい雨粒と横殴りの風がデイビッドを出迎えた。胸にはしっかりと仔犬を抱きかかえている。
 雨の影響もあって、どっちがどっちだか、方向感覚が分からなかった。しばらく、その場に立っているだけで、たちまちずぶ濡れになる。身体が冷やされ、デイビッドは身を縮めた。
 風の音に混じって、何かが聞こえてきた。仔犬の耳がそれに敏感に反応する。キャンキャンと鳴き始めた。
「デイビッド様ーっ!」
 それは誰かがデイビッドを呼ぶ声だった。一つだけではない。大勢の声だった。
 遠くの方で、小さな明かりが揺れて見えた。きっとデイビッドを探しに来たのだろう。
 デイビッドが外に出たことを知っているとなれば、それはゴルバの手下に違いなかった。
 仔犬が吠える。デイビッドはハッとしたように動き始めた。
 とりあえず街がある下へと降りていく。真っ暗で、足下も見えない。それでも進んだ。
「デイビッド様!」
 声は近づいているようだった。子供の脚と大人の脚というハンデはもちろんだが、向こうには明かりがあるのだ。分の悪さは否めない。
 それでもデイビッドは下へ下へと急いだ。途中、何度も転びそうになる。
 明かりが複数に増え、ハッキリと見え始めた。
「いたぞ! こっちだ!」
 追っ手たちの声。
 デイビッドは追いつめられていた。確実に。
 焦りのせいか、強風に身体をあおられた。足場の悪さも手伝ってバランスが取れない。デイビッドは尻餅を突くようにして倒れた。そのまま身体が斜面を滑っていく。止まる気配はなかった。
 ザザザザザッ!
 所々、木の根などがぶつかり、身体を傷つけた。
 それでもデイビッドは悲鳴を上げなかった。代わりに抱いていた仔犬を強く抱きしめる。
 デイビッドの身体は激流に翻弄される丸太のように滑り落ちた。その耳に、雨とは違う水音が聞こえてきた。
 川だ。
 一度、デイビッドの身体が大きくバウンドした。空中に放り投げられる。
 次の瞬間、デイビッドは仔犬を抱いたまま、増水した川へと落下した。


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