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[第十五章/− −3 −−]



吟遊詩人ウィル・神々の遺産

第十五章 死を呼ぶ地下回廊(3)


 ………。
 ホッとした安堵感からか、レイフは思わず眠ってしまい、慌てて飛び起きた。どのくらい寝ていたのか。それは分からないが、こんな古代遺跡の回廊で無防備にも寝てしまい、レイフは苦笑するしかない。一歩間違えれば、徘徊しているモンスターに頭をかじられていてもおかしくない状況なのだ。
 レイフはガラスの破片の中から剣を拾い上げると、再び回廊の先へと進み始めた。
 少し寝たおかげか、体力は回復していた。しかし、今度は空腹に顔をしかめることになる。考えたら、今日の朝──もちろん、日付が変わるまで寝ていなければだが──に軽く腹ごしらえしたきりで、何も食べていない。携帯食はとっくに取り上げられており、口に入れられる物は何一つ持っていなかった。おまけに古代遺跡の回廊の中では、食料の調達など出来るわけがない。
 それでもレイフは懸命に足を動かし続けた。ここから抜け出さない限り、生き延びる望みはない。そう自分に言い聞かせて。
 それからどれくらいの距離を歩いたか。相変わらず何の変化もない真っ直ぐな回廊を歩いていると、距離の感覚が欠如してくる。そもそもこの回廊に迷い込んでからどのくらいの時間が経つのか。一日は大袈裟としても、半日は足をすり減らした気になってきた。この回廊に終着点はあるのか。そんな疑問すら沸き上がってくる。
 一時は回復した体力も、再び限界に近づいた頃、レイフは前方に黒い物体を発見した。それは回廊の中央の床に留まったまま、動く気配はない。さらに近づいていくと、それが黒い服装の人間らしいと分かり、レイフは小走りで駆け寄った。
「おい、しっかりしろ」
 遺跡の探索者だろうか。セルモアの遺跡が発見されたとは聞いていないが、先程の合わせ鏡に囚われた探索者らしき男たちを見ると、過去に侵入した者は多そうだ。今ここで、その一人と出会っても不思議ではないだろう。実際、レイフもその一人であるし。
「どこかやられたんですか?」
 レイフはうつぶせに倒れている人物を助け起こした。
 最初、体つきがあまりにも華奢だったので、女性かと思った。その顔を見ても、あまりの美しさに絶句してしまう。思わず心臓の鼓動が速くなる。奇妙なのは、手枷で両腕を拘束されていることだった。
「あ、あのぉ……」
 緊張に声をうわずらせていると、手に生暖かいものを感じた。血だ。それも大量の出血をしている。負傷した本人が応急処置を施したのか、傷を負った腹部には黒いマントが巻かれていたが、それすらもびっしょりと濡らし、顔面は蒼白で、唇も紫色に変じていた。危険な状態であるのは、一目で分かる。
「これはヤバいな……」
 レイフは瀕死状態の美女を担いで、何とか回廊から脱出しようと考えた。美女の首の後ろと膝の裏に手を回し、抱え上げようとする。
 その刹那、美女の眼が開いた。
 魔性の妖しさにレイフは心奪われそうなったが、美女に突然、突き飛ばされて、後方へ転がってしまった。
「な、何をする!?」
「上を見ろ」
 美女に言われて、レイフは頭上を仰いだ。天井から巨大な影が落ちてくる。それは易々と床に着地を決めると、レイフと美女に対して威嚇を始めた。
 それはレイフが見たこともない生き物だった。形は蜘蛛そのもの。しかし、その体を覆っているのは、甲虫のような硬い殻だ。大きさも尋常ではなく、大人がひと抱え出来そうなくらいだった。
 名付けるならば、甲蜘蛛<スパイダー・ビートル>だろうか。
 だが、そんなモンスターの出現よりもレイフが驚いたのは、美女の声だった。──いや、美女などではない。美声には違いなかったが、それは明らかに男の声だったのだから。
 レイフが助け起こした人物こそ、シュナイトとソロから逃れてきたウィルであった。魔力を宿した歌曲“幻影<ミラージュ>”により逃走には成功したものの、その傷はあまりにも深手であり、さすがのウィルも回廊の半ばで気絶していたのである。
 甲蜘蛛<スパイダー・ビートル>は、ウィルを獲物に定めた。ウィルは傷つき、満足に動けそうもない。甲蜘蛛<スパイダー・ビートル>の狙いは妥当だ。
 もちろん、ウィルもただで殺られるつもりはなかった。武器である《光の短剣》を抜く。しかし、《光の短剣》の発光は、今のウィルの状態を示すかのように、非常に弱々しいものであった。これでは普通のダガーと大差なさそうだ。
 レイフは、ウィルに襲いかかろうとしている甲蜘蛛<スパイダー・ビートル>の背後から剣を振り下ろした。だが、予想以上に甲蜘蛛<スパイダー・ビートル>の体を覆っている殻が硬く、剣をまったく受けつけない。
 そうこうしているうちに、甲蜘蛛<スパイダー・ビートル>が倒れているウィルの身体にのしかかるようにして襲いかかった。ウィルは身をよじりながら、必死に《光の短剣》で鋭い牙の攻撃を受け止める。だが、甲蜘蛛<スパイダー・ビートル>にのしかかられることによって、腹部の傷が圧迫され、さらに出血。ウィルの表情が苦悶に歪んだ。
「コイツ、離れろ!」
 レイフは二撃三撃と斬りつけたが、少しも甲蜘蛛<スパイダー・ビートル>を傷つけることが出来なかった。逆にレイフの剣の方が刃こぼれしてしまう。
「背中ではなく、腹を狙え」
 息も絶え絶えに、ウィルはレイフに助言した。それを聞いたレイフは、剣を両手に持ち直す。
「えぇい!」
 まるで体当たりするかのように、レイフは切っ先を甲蜘蛛<スパイダー・ビートル>のわずかに覗かせている腹部目がけて突き立てた。今度こそ手応えあり。
 剣は柄まで沈むように刺さり、勢い余ったレイフの身体と甲蜘蛛<スパイダー・ビートル>の体が激突した。その拍子に甲蜘蛛<スパイダー・ビートル>の体がウィルの上から離れる。レイフは、なおも足をバタつかせている甲蜘蛛<スパイダー・ビートル>の息の根を止めるため、剣をねじ込むように回した。そして、一気に引き抜く。
 甲蜘蛛<スパイダー・ビートル>は狂ったように右往左往しながら、回廊の奥へと逃走した。あれでもくたばらないとは、なんという生命力か。だが、これで再び襲ってくるようなことはないだろう。
 レイフは荒い息を整えると、すぐに倒れているウィルの元へ近寄った。
 ウィルはかろうじて生きていた。だが、それもどこまで保つか。このままでは確実に死が訪れる。
 ウィルは薄目を開けて、レイフに何か話しかけた。声が小さくて聞き取れない。レイフは耳をウィルの口元に近づけた。
「な……何者……だ……?」
「私の名はレイフ。ノルノイ砦の騎士です。話すと長くなるからやめておきますが、セルモアのゴルバたちから逃げている途中です。城の地下から、こんな所へ迷い込んでしまいました。あなたは?」
「オレのことは……いい……。ならば、来た道を戻れ……。回廊の……右側の壁に……オレが入ってきた……穴が……ある……。そこから……外に……出られる……」
「回廊の右側ですね? よし、あなたも一緒に」
「一人で……逃げ……ろ……」
「そうはいきませんよ。このまま見捨てていくなんて、騎士として出来ません」
 レイフはウィルの傷口に気を使いながら、背中に担ぎ上げた。そして、ウィルに言われたとおり、回廊の右側の壁を辿りながら引き返した。
 しばらく行くと、壁に開けられた穴を発見した。先程、ここを通ったときは気がつかなかったが、丁度、回廊の巨大な柱の影になっていて、死角のような状態だ。見落としても仕方がない。
「ここですね?」
 レイフは背中のウィルに確認したが、すでに瀕死の吟遊詩人は気絶していた。
 穴は人一人がやっと通れる大きさで、尚かつ、土の中を掘り進んできたような感じだった。足下も危なかったが、レイフは意を決して穴をくぐった。
 そんなレイフの背中をウィルの血が濡らし続けていた。


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