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[第十七章/− −2 −−]



吟遊詩人ウィル・神々の遺産

第十七章 幕間の暗躍(2)


 その領主バルバロッサの城の一室からは、地獄の底から響いてくるような怨嗟の声が聞こえた。
 その声の主は、危うくカシオスに処刑されそうになったマインであった。
 マインはカシオスに、より一層の憎悪を抱き始めていた。
 それにしても、何と迂闊だったことか。カシオスに斬りかかっておきながら、それを看破されて、逆に殺されそうになるとは。しかも、カシオスの髪の毛が今もマインの首に巻きつけられ、いつでも好きなときに首を絞められると言うのだから生きた心地しない。マインは鏡の前で何度もカシオスの髪の毛を外そうと試みたが、その細さは肉眼では見ることが出来ず、指への感触すら皆無であった。これでは外しようがない。
 マインは諦めて、酒を浴びるように飲み始めた。酔わないと、今夜は首の髪の毛が気になって眠れそうもなかったからだ。
 寝室のドアがノックされたのは、そのときだった。
「誰だ?」
「私よ」
 サリーレの声だった。
「入れよ。カギは掛けていない」
 女ハーフ・エルフは、しなやかな身のこなしで入ってきた。誰かに見られるとまずいかのように。
「どうした? 無様な男を笑いにでも来たのか?」
 マインは自嘲気味に喋った。ベッドに座りながら、酒瓶に直接、口をつけて飲んでいるが、半分はこぼれてベッドを濡らしてしまっている。だらしのない姿だった。
「だからカシオスには逆らわない方がいいと私は言ったんだ」
 サリーレはマインを卑下するような視線で見下ろしていた。
 マインは鼻で笑う。
「サリーレ、オレと寝たことを忘れるなよ。これはカシオスに対する裏切りじゃないのか?」
「やめて!」
 サリーレは悔恨の表情を浮かべた。どうして、こんな男に肉体を許してしまったのか。
「オレたちの関係をカシオスが知ったら、どう思うだろうな」
「あれはアンタが強引にしたのよ!」
「強引に、か? ハッ、冗談じゃねえぜ! お前だって求めてきたじゃねーか。しらばっくれるつもりなら、その証拠に、オレがそのスカーフの下につけたものと同じように、オレの肉体についたお前の痕を見せてやろうか?」
 突然、脱ぎ出すマインを見て、サリーレは思わず、首元のスカーフに手をやった。
 マインは上半身を露出させた。鍛え上げられた筋肉。それは男らしさを生々しく感じさせ、サリーレの女の部分を疼かせる。カシオスは病的なくらい痩身で、筋肉など必要最小限しかなかったので、マインの体格には圧倒された。
 そんな自分に気づいたサリーレは、マインから視線をそらせた。昨夜の出来事が甦る。それはカシオスのことを思えば、消してしまいたい記憶だった。
 だが、マインの左肩には、サリーレがつけた歯形が、まだくっきりと残っていた。
「カシオスのことだ。もう、とっくにオレたちのことに勘づいているかも知れない。 今さら、隠してもムダかも知れないな」
「カシオスは私を信用しているわ。そんなことはない」
 サリーレは強く否定したつもりだったが、なぜか心は揺らいでいた。包帯から覗いていたカシオスの冷酷な瞳。かつては、その光に魅了されていたサリーレであったが、今では恐怖を覚える。それもこれも、自分にやましいところがあるからだと思おうとした。
 そんなサリーレの心を見透かしてか、マインはふらつく足で立ち上がると、ゆっくり近づいてきた。
「サリーレ、もう一度言う。オレと手を組め。そして、カシオスを殺るんだ!」
「無理よ! そんなこと、できるわけがない!」
 抱きしめようとするマインの腕をかいくぐって、サリーレはかぶりを振った。
 マインは次第に苛立っていった。
「サリーレ、お前、アイツの髪の毛が首に巻きついたままでいいのか? アイツが好きなときに、好きな場所で、オレたちの命を奪うことが可能なんだぞ!」
「私の首には巻かれていないわ!」
「ヤツは、山賊段の連中すべての首に、と言っていた。お前だって例外じゃないはずだ!」
「いいえ! カシオスは私に対して、そんなことをしないわ!」
「お前こそ、カシオスというヤツがどんなヤツか分かっていないようだな。ヤツが真に信用しているのは自分だけだ。もしかしたら、ヤツはその兄弟たちにも仕掛けを施しているかもしれない、恐ろしいヤツさ」
 それはサリーレも考えていた。カシオスがゴルバの首に髪の毛を巻きつけている可能性を。カシオスがこのまま兄の協力者で終わるはずがない。きっと、いずれは自分が支配者に取って代わろうと企んでいることだろう。そういう野心家であることを、誰よりもサリーレがよく知っていた。
「今、カシオスたちの関心は、あのデイビッドというガキに向いている。しかし、オレはこの目で確かめてきたが、あのガキ、少しおかしいぜ」
 マインは声をひそめるようにした。これは、まだカシオスにも話していないことだ。先にチックとタックが報告しているかもしれないが、あの双子がそこまで気がついているとは思えない。
 サリーレも訝しげな顔を作った。
「どういうこと?」
「イカレていると言ったほうがいいかもな。確かに、まだガキには違いないが、将来を期待されている領主の息子にしては、後先考えずに行動しやがる。こっちが人質を取っているにも関わらず、あのガキは平気で抵抗しやがったぞ。とても正気とは思えねえ。ありゃ、何かのショックでイカレちまったんじゃないか?」
「ここを脱出する際にとか?」
「ああ。カシオスたちが執拗に追っているのは、あのガキが真相を知っているからなんだろうが、オレはあの様子じゃ、まともに見てきたことを喋ることができるか疑問だぜ」
「つまり、デイビッドは放っておいても大丈夫ってことなのね?」
「ああ、イカレたガキに何ができるって言うんだ?」
 それが本当だとすれば、デイビッドにこだわらずに、セルモアを支配することは簡単だ。サリーレはカシオスに報告しようと行きかけた。その腕を、突然、マインにつかまれる。
「どこへ行く?」
「これは重要なことよ。カシオスに報告するわ」
「よせ。そんなことをしたら、カシオスたちはたちまち街を掌握しちまう」
「当然よ。それを邪魔するって言うの?」
「カシオスたちの力を、今、大きくさせるわけにはいかない。大きな力を持ったら、余計に倒しにくくなるからな」
「マイン、あんた‥‥」
 サリーレはこの期に及んで、まだカシオスの打倒を──いや、それどころかセルモアの支配ならびにブリトン王国の簒奪を目論んでいるこの男に、驚嘆を禁じえなかった。野心が強いのか、それとも単に愚かなだけなのか。
「いいか、このことはカシオスはもちろん、他のヤツにも喋るんじゃねーぞ。ヤツらの目を、あのガキに向けさせておくんだ。その隙にオレがカシオスたちを殺る!」
「本当にそんなことが出来ると思っているの?」
「もう、やるしかないのさ。やるしかな。だから、サリーレ。オレに力を貸せ!」
 マインはそう言うと、サリーレの身体を抱きしめた。その力に抗うことは出来ない。
「マ、マイン、何を!?」
「まだ、お前は分かってないみたいだからな。オレの女だということを、しっかりその肉体に教え込んでやる!」
「や、やめて!」
 だが、サリーレは強引に押し倒された。その上にマインの肉体がのしかかる。
 サリーレの首のスカーフが外され、マインはそこに唇を寄せた。昨夜と同じ個所を攻められる。
「ああっ‥‥」
 目を閉じるとカシオスの顔が浮かんだ。冷酷なその瞳。その鋭さに心臓を射貫かれるようだった。恐怖にわななく。
 マインはそんなサリーレの反応を感じているのだと勘違いし、益々、興奮をあおられ、無骨な愛撫を加えていった。
 そんな男女の秘め事を知る者がたった一人だけいた。
 マインの寝室からは遠く離れた自室で、全身の包帯を取り替えているカシオスに。マインとサリーレの行動はもちろん、その会話まで、カシオスの髪の毛を通じて筒抜けだった。
 だが、カシオスはマインの背信やサリーレの不貞を知っても、嫉妬に狂う様子は微塵もなく、むしろ口許には笑みを浮かべていた。
「デイビッドのこと、確かめる必要があるな。もし本当ならば、これは逆に利用できるかもしれない」
 カシオスは独りごちると、長い髪の毛を波立たせた。


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