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月明かりが川沿いを歩く三つの人影を照らし出していた。
先頭を歩くのはグラハム神父、次にキーツ、そして最後がアイナという面々だった。
この川沿いから逸れて、斜面をほどなく登ると、領主バルバロッサの城に辿り着く。三人の目的地だった。
セルモアの街から城へ通じている一本道からは外れているので、警備兵の姿はない。もっとも、セルモアの街を取り囲む城壁こそが外敵からの最大の守りであり、そこから遠く離れた領主の城付近を見回ることは、あまりないのだとグラハムが言っていた。だから、三人は意外にも簡単に領主の城へ近づくことが出来たのだ。
それでも三人は油断することはなかった。逆に、これから自分たちが成そうとする仕事を考えると、緊張に身を固くしてしまう。
なんたって、これから三人が潜入しようとしているのは、敵の本拠地なのだから。
それもこれも、ウィルのためだった。
ウィルを仮死状態にし、これ以上の容体悪化を防いだグラハムが取った次の手は、魔法の薬<マジック・ポーション>の入手だった。グラハムの話では、それを服用すれば瞬く間に体力が回復するらしい。だが、それがあるのは領主バルバロッサの城の地下、かつて古代遺跡の調査をしていた魔導士が住処にしていた部屋であった。
初め、グラハム一人で城に潜入するつもりだったらしいが、その話を聞いてアイナとキーツが黙っていられるはずもない。半ば強引に随行する形になった。
もちろん、この潜入作戦には危険が伴う。よって、武装は欠かせなかった。グラハムは教会の戦いでも使用した戦槌<メイス>と大盾<ラージ・シールド>を、アイナは左腕のクロスボウを、そしてキーツは、頑固なストーンフッドをなんとか説得して、自分の剣を取り戻した。
キーツの剣は、その体躯に似合わず、小振りとも言えた。元々、この剣は、キーツの相棒であり、恋人であったハーフ・エルフの女戦士ミシルの形見で、今の持ち主にそぐわないのは致し方ないところだろう。だが、その装飾は繊細で、独特のデザインが施されている。高価な品物であるのは間違いない。
キャロルから大体の話を聞いていたアイナは、そんなキーツの剣を見ても、特に何も言わなかった。ただ、キーツがこの剣を大切にしているのはよく分かる。元の持ち主がどんな女性だったのか、アイナは想像を巡らせた。
「それにしても、よくそんな薬があるって知っていたよな」
ずっと無言で歩いていたキーツが、前を歩くグラハムに声を掛けた。それはアイナも疑問に思っていたことだ。一介の神父が、どうして城の中のことまで詳しいのだろう。
「昔、あそこへ忍び込んだことがあってな」
グラハムは、ぽつりと喋り始めた。だが、後ろを振り返ることなく、斜面を登る速度は落とさない。
「忍び込んだ?」
「ああ。昔のオレはあこぎな稼業を営んでいてな。ミスリル銀でたんまりと儲けていると踏んだバルバロッサの城へ、仲間と共に忍び込んだのさ」
「盗賊……」
「そのときも今のように、城周辺の警備は手薄だった。容易く忍び込めたぜ。しかし、城の中を物色中に見つかっちまってな。警備兵と斬り合いになった」
「それで?」
「オレは仲間を逃がし、一人で戦った。まあ、これでも腕に覚えがあったし、余計な犠牲は敵にも味方にも作りたくなかったんでね。だが、一人だけ手練れがいた」
「それがバルバロッサ?」
「いや、ただの兵士さ。しかし、強かったぜ、そいつはよ。こっちも手加減が出来なかった。──傭兵のアンタなら分かるだろう。実力が拮抗していると、中途半端な決着では収まらねえ。生きるか死ぬか、どっちかだ」
「………」
「それまでに人を殺したことはいくらでもある。だが、いずれの場合も殺すだけの理由があった。しかし、あの兵士を殺す理由はなかった……。少なくとも、オレにはなかった……」
「………」
「もちろん、オレが殺らなきゃ、逆に殺られていただろう。だが、無事に逃げおおせてから、オレは後悔した。もっと他に手はなかったのかと。相手を殺さずに済む方法が。そんなことを考えたのは初めてだった」
「それで足を洗ったのか……」
「オレたちの侵入を知ったバルバロッサは、街をしばらく閉鎖して出られないようにした。オレたちはやむを得ず街に潜伏したが、その間にオレが殺した兵士の家族のことが耳に入ってきた。ヤツには、まだ二つになったばかりの女の子がいてな、母親は産まれて間もなく死んでしまい、そいつが唯一の家族だったそうだ。つまり、その子はオレのせいで孤児になっちまったわけだな。それを知ったら、ガラにもなく自分を悔いてな。いつの間にか、その女の子を引き取ろうと、城へ出向いていた」
「まさか、その女の子って……」
「そう、キャロルだ。あいつにはこのことを話したことはない。オレは流れ者の神父としてこの街へ辿り着き、小さな教会で孤児の面倒を見ているってことにしてある。いずれは話さなきゃならんとは思っているがな」
グラハムの告白に、アイナもキーツも驚きを隠せなかった。今のグラハムとキャロルの関係は、傍目からだとまるで実の親子のように見える。それがカタキであるなんて。この真実を知ったら、キャロルはどうするだろうか。
「領主の城へキャロルを引き取りに行き、バルバロッサと面通りしたとき、ヤツはオレの正体に気づいているようだった。まったく恐ろしいヤツだったぜ。ほんの短い間だったが、こっちを見透かしたような、あの眼が忘れられねえ。だが、バルバロッサはその場でオレを捕まえるようなこともせず、何事もなかったかのようにキャロルを託した。それがオレに科せられた刑罰だとでも言いたげにな」
「その選択は、領主もあなたも、正しかったと思うわ」
アイナは慰めではなく、本気で言いきった。それを聞いたグラハムはやはり振り向かなかったが、どんな顔をしただろう。
「まあ、これでオレが神父のクセに聖魔法<ホーリー・マジック>を使えない理由が分かったろう?」
そう言って、グラハムは笑った。湿っぽい話になってしまったことを後悔しているのかも知れない。
「いずれにせよ、アンタが領主の城に忍び込んでいてくれたお陰で、魔法の薬<マジック・ポーション>の在処が分かるんだ。感謝するぜ」
キーツが軽い調子で言う。この男も重い雰囲気は苦手なのだ。
「礼は魔法の薬<マジック・ポーション>を手に入れてからにしてくれ。何しろ、オレがそいつを地下室で発見したのは八年も前の話だからな。今も残っているかどうかは分からねえぞ」
「なっ!?」
「神父様!」
思わずキーツとアイナは、大きな声を上げそうになった。危険な思いまでして、目的の物が手に入らなかったら笑い話にもならない。
「どっち道、その薬しか救う方法はないんだ。可能性に賭けようじゃないか」
グラハムは後ろを振り返ってウインク一つすると、先へと急いだ。キーツとアイナは顔を見合わせたが、グラハムの言うように、ここで引き返すわけにもいかない。毒を喰らわば皿まで、だ。
少なくとも領主の城までは誰にも見つからずに辿り着けた。
「これからどうするんだ? まさか、正面から堂々と入るとか言わねえよな?」
グラハムなら言いかねないと思いながら、キーツは尋ねた。
「まあ、任せなって」
そう言ってグラハムは、城の外壁に沿って、裏へと移動した。キーツとアイナもそれに続く。