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[第二十章/− −2 −−]



吟遊詩人ウィル・神々の遺産

第二十章 見えない敵(2)


 キーツとアイナは暗闇の中を疾走していた。坂を下っているので加速がついている。今にも転びそうだった。しかし、速度を緩めるわけにはいかない。
 今のところ、領主の城から追ってくる者はいないが、遅かれ早かれ、差し向けてくるはずだ。早く安全な場所へ逃げ込むべきだった。
 だが、そんなことよりも二人が足を止めずに走り続けている理由は、残してきたグラハムを気にかけて、振り返らないようにするためでもあった。自らの命を懸けて逃がしてくれたグラハム。その意志をムダにするわけにはいかない。
 それにアイナが「ランバート」と呼んだ男の存在。彼はアイナたちの敵であるシュナイトと同一人物なのかどうか。今、アイナは何も言わずに走っているが、本当は戻って確かめたいに違いない。キーツには事情が分からなかったが、その想いは痛いほど伝わってきた。
「川の方を捜せ!」
 背後から声が聞こえた。追っ手が放たれたらしい。
 今まさに、アイナとキーツは城から斜面を下ったところにある川を目指していた。そこからさらに川下へ進むと川底の浅いところがあり、そこを渡ってドワーフの集落に逃げ込むつもりだったのだ。もっとも、丘の上に建てられた領主の城から逃げるとなれば、街へと続いている道を通るか、川の方へ降りて、そこを沿って行くという二つの選択が妥当で、それは城の兵士たちにも自明の理であったろう。
「来やがったな」
 キーツはこのまま川へ駆け下りるか、どこかに身を隠してやり過ごすか、迷った。本当は一目散に逃げたいところだが、地理に明るいグラハムはおらず、闇深い夜では川を渡るポイントを容易に見つけることが出来るか疑問だ。それよりは闇に乗じて、どこか木の陰にでも隠れるべきか。だが、キーツたちは傷を負ったウィルを救うために急いでいるのだし、夜が明けてしまえば、完全に逃げ道を失ってしまう恐れもある。微妙なところだ。
「どうする、アイナ?」
 キーツは脱出してから、初めてアイナに声を掛けた。それまで必死に逃げていたし、気まずい部分もあったからだ。
「一気に突っ切るわ」
 アイナは迷うことなく言い切った。とりあえず、あの「ランバート」という男のことを今は忘れているのだろうと、キーツは安心した。
 だが、アイナの考えは違った。ランバートが追っ手として見つけてくれれば、確かめるチャンスがあるだろうと踏んだからだ。それが引き返したいところを我慢して、ドワーフの集落に向かっている今のアイナに譲れるギリギリの線だった。
 二人はそのまま斜面を下り続けた。遠く背後にはランタンの灯りが揺れている。だが、追っ手たちはアイナたちに気づいた様子はない。この分なら逃げ切れそうだ。そう、キーツが考えたときだった。
 不意にキーツの身体が宙を飛んだ。アイナに突き飛ばされたのである。斜面を駆け下りていて、スピードがついていたから堪らない。アッという間もなく、キーツは頭から斜面を転がった。
「何を──!」
 ザザザザザッ!
 当然ながらアイナを怒鳴りつけようとしたキーツだったが、たった今、自分がいた場所を巨大な刃が走り去っていくのを見て、言葉を飲み込んだ。アイナが突き飛ばしてくれなければ、きっとキーツの身体は真っ二つにされていただろう。
 だが、それよりも驚いたのは巨大な刃の奇妙さだろう。刃は明らかに斜面から突き出して、まるで生き物のように動いていった。その証拠に、地面には刃が移動した痕跡が一直線に残っている。
「また来るわ!」
 アイナの鋭い声が飛んだ。彼女は人並み外れた聴覚で、巨大な刃の接近を知ったのである。
 キーツは慌てて立ち上がった。しかし、キーツにはアイナのように鋭敏な聴覚はない。刃は地に潜ったのか姿はなく、どこから来るのか分からなかった。
「左!」
 アイナに指示され、キーツはダイブするように前へ跳んだ。
 ザザザザザッ!
 間一髪、地面から姿を現した刃の一撃を避ける。
「アイナ!」
 安心も束の間、斜面を走る巨大な刃は、そのままアイナへと直進した。アイナは怖じることなく、左腕に装着しているクロスボウを次々に発射する。
 ビシュッ! ビシュッ! ビシュッ!
 最初の鉄の矢は刃に当たって、弾き返された。二撃目、三撃目は地面に突き刺さっただけ。効果なし。
 結局、刃の突進を止めることが出来ず、アイナは側転するようにして避けた。巨大な刃は、そのままアイナの背後に立っていた木を切断していく。幹の太さは、ちょうどアイナの身体くらいか。難なく真っ二つにし、木は隣の枝にぶつかりながら倒れ、地響きを立てた。
 その破壊力を目の当たりにし、キーツもアイナも身がすくんだ。人間技ではない。
 切り倒された切り株の向こうで、小さな影がむくりと起きた。
「!」
 アイナには見覚えがあった。教会が襲われたとき、キャロルを連れ去った小男だ。ただでさえ低い背なのに、身を屈めたような姿勢なので、なおさら小さく見える。それに比べて肩に担いでいる半月刀は巨大で、男の二倍くらいはありそうだった。
 もちろん、アイナも名前までは知らない。この男こそ、五兄弟の四男ソロであることを。
 せっかくパメラが幽閉されている部屋に忍び込み、思うがままに嬲っていたところを、城での侵入者騒ぎに邪魔されて、興を失ってしまった。この代償を払わさずにはおかないソロだ。
「何やら騒がしいと思ったら、城に侵入者とはな。何をしに忍び込んだかは知らねえが、余程、死にたいと見える。望み通りにしてやるよ。このオレの手でな!」
 残忍な笑みを見せるソロの不気味な面相も手伝って、アイナは背筋からゾクゾクした。その前にキーツが進み出る。
「それはこっちのセリフだ! 返り討ちにしてやるぜ!」
 キーツは《幻惑の剣》を抜いた。月明かりに妖しく光る。
 それを見て、ソロは鼻で笑った。
「そんなガラスみたいな剣で、オレの得物が受けきれるのか?」
 明らかに軽んじているソロに、キーツも笑みを返す。
「お前の方こそ受けられるかな?」
 地面を走る刃に一度はひるんだキーツであったが、こうして相手が姿を現してくれれば、同じ人間である以上、勝負になると気を奮い立たせた。
 だが、ソロは異形の力を持つ怪人だ。それも地中を自由に移動するという能力だけではなく、新しい力も手に入れていた。そして、その能力の前にはウィルさえも敗北しているのだ。


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