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「ランバート……ランバート……」
思わず呟きに名前を漏らす。ランバートの無事を祈った。
茂みをいくつか突っ切ると、ランバートと別れたポイントに出た。その視界の左に、まだレガロの写生をしているランバートの姿が見える。
「ランバート!」
アイナは無事な姿に安堵し、ランバートの名前を呼んだ。
ランバートがこちらを振り向く。その表情が強張った。
「アイナ、危ない!」
ランバートのことばかりに気を取られていたせいだろう。その存在に気づくのが遅れた。
「!」
「グォオオオオオオッ!」
森に咆吼が轟いた。
アイナのすぐ背後に巨大なマウント・ベアが立ち上がっていた。しかも首の周辺や背中に何本も矢が突き刺さっている。ジェイクが言っていたマウント・ベアに違いなかった。それも、かなりデカい。
マウント・ベアは近くにいたアイナに襲いかかった。鋭い爪が振り下ろされる。
ブゥン!
アイナは反射神経良く、横っ跳びにマウント・ベアの一撃をかわした。紙一重である。
同時にアイナはクロスボウの発射態勢に入った。狙いはマウント・ベアの眉間だ。
だが、不利な体勢からの発射とマウント・ベアの狂った動きで、狙い通りとはいかなかった。マウント・ベアは素早く四つん這いになり、突進してくる。その頭を下げたことによって、矢は上に逸れ、首と背中の境目辺りに突き刺さった。もちろん、それではマウント・ベアの突進を止めることは出来ない。
マウント・ベアはその名前の由来となった背中の大きなコブを揺らしながら、猛然とアイナに突っ込んで来る。
不自然な着地に、アイナはすぐに次の行動へ移れない。思わず目をつむった。
その横から影が覆い被さってきた。見るまでもない。
「アイナーっ!」
ランバートだ。アイナを横から突き飛ばす感じで、飛び込んできたのである。
「グォオオッ!?」
これも間一髪、ランバートの勇気ある行動によって、マウント・ベアの攻撃をかわすことができた。マウント・ベアはそのまま大木に激突し、その太い幹をミシミシと揺らす。
しかし、その程度では手負いのマウント・ベアの戦意を奪うことは出来なかった。むしろ、余計に闘争本能に火をつけた結果になる。
「ランバート、どいて!」
アイナはすぐさま、次の矢をセットした。今度こそ外さない。
だが、ランバートがその腕を引く。
「相手が悪い! ここは逃げるんだ!」
「イヤよ! 私が仕留める!」
村一番のハンターとしての自負もある。アイナはランバートに叫びながら、クロスボウを発射した。
ビシュッ!
矢は命中した。マウント・ベアの左目に。
「グォオオオオオオオッ!」
怒りの咆吼が森を震撼させる。マウント・ベアは横殴りの一撃を向けてきた。
ザクッ!
「っ!」
マウント・ベアの爪が、アイナの左脚太腿を切り裂いた。だが、傷は浅い。もし、マウント・ベアの片目が潰れていなければ、距離感を誤らず、間違いなくアイナの左脚をもぎ取っていただろう。
それでも傷口はヒリヒリと痛んだ。それに目眩がして、身体の力が抜けかかる。マウント・ベアの毒だ。このままでは──
危機一髪と思った刹那、マウント・ベアの頭が炎に包まれた。いや、もしこの世に《黒い炎》が存在すればの話だが。
アイナは、それが背後から抱き留めてくれるランバートによるものだと気がつかなかった。ランバートがそのような能力を持っていることを知らなかったのだから、無理からぬことだ。
しかし、この《黒い炎》の攻撃は効果的だった。マウント・ベアは頭部が炎に包まれたことによって酸素を失い、呼吸困難に陥ったのだ。狂ったように暴れ回っても、《黒い炎》は消えない。すぐにマウント・ベアはその場から退散していった。
「アイナ、アイナ! 大丈夫か、しっかりしろ!」
アイナはランバートの腕の中で揺さぶられた。その腕をつかむ。
「だ……大丈夫よ……このくらい……かすり傷だし……」
だが、全身に力が入らない。マウント・ベアの毒は致死に至るような猛毒ではなく、相手を麻痺させる類のものなので命に別状ないとは思うが。
ランバートはアイナの身体を地面に横たえると、傷口の具合を診た。そして、裂けたズボンをさらに破くと、傷口を露出させる。
次にランバートが取った行動に、アイナは「あっ」と声を上げた。
ランバートがアイナの傷口に口をつけたのだ。
毒に麻痺しかけているというのに、アイナは赤面してしまった。
「やだっ……ランバート……何を……」
「毒を吸い出す。ジッとしてて」
そう言うとランバートは、傷口から毒を吸い出し始めた。
しかし、その箇所が乙女の太腿である。アイナが恥ずかしがるのも無理はない。
ランバートの前で身悶えるのもはばかられ、アイナは羞恥心に耐えながら、治療が終わるのを待った。
ランバートは毒を吸い出すと、今度は持っていた水筒で傷口を洗った。そして、その辺の草をむしり取ってきて、傷口に巻く。
「これは解毒作用のあるミルコパラベンという草なんだ。応急処置だけど、これで大丈夫のはずだ」
ランバートはそう言うと、やっと安堵したような表情を見せた。それを見上げるアイナの瞳は潤んでいる。
「あれ、効果ないのかな?」
アイナの熱っぽい様子にランバートは毒のせいかと思ったようだ。
「ばか……」
鈍感な男にアイナは小声で呟いた。
「よいせっと!」
ランバートはアイナの身体を軽々と抱き上げた。いつも学者然としているので、ひ弱なイメージがアイナにあったが、今、感じるのは歴とした男である。アイナは初めて、男のたくましさと優しさを知ったような気がした。