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それから二ヶ月ほどしたある夜。
ランバートは珍しく村へと顔を出した。
村は余所者が泊まるような宿はなく、ランバートはこれまで、森で野宿していた。アイナには自分の家に泊まれと、再三、言われ続けていたのだが、女一人の家に男が上がり込んでは、口さがない村の者たちが何を言うか。幸い、森には雨風がしのげるような大きな木のうろがあって、それを寝床代わりに使っていた。
それにしても思わぬ長期滞在になってしまったと、ランバートは思う。最初の予定では一ヶ月くらいのつもりだった。予想以上にこの地方にだけ群生している植物が多く、調査に手間取ったこともあるが、もっと大きな理由はアイナの存在だろう。
これまでランバートは、人との関わりを避けてきた。旅の流れ者でもある。その必要はあまり感じなかった。しかし、彼女の場合はどこか違った。一緒にいて、心地いい感じがする。不思議と気が安らぐ。いつの間にか自分の大部分を彼女が占めていた。
アイナの自分に対する好意は分かっているつもりだ。それは素直に嬉しいと思える。自分も同じ気持ちだと伝えたかった。許されるならば……。
だが、自分は人を愛することは出来ない。そんな身体になってしまったのだ。そのときから、死ぬまで一人で生きようと決心した。その誓いを破っていいのか。
アイナにすべてを打ち明けることが出来れば、どんなに気が楽になるだろう。そして、打ち明けたら、どんな反応を示すだろう。彼女なら──そう、彼女ならそんな自分でも受け入れてくれるかも知れない。彼女はそういう人なのだから。
ランバートはそろそろここを離れるべきではないかと考えていた。このままいては、ずるずるとアイナのそばから離れられなくなる。そうなる前に──
だが、このところ、そのことばかりを考えていても、当のアイナを目の前にすると言葉を飲み込んでしまっていた。いつの間にか、独りで生きることに臆病になり始めている自分に気づく。それが益々、ジレンマを生む。
ランバートは先程まで、初めて二人が出会った丘の頂上で語り合っていた、アイナの去り際を思い出していた。
「明日、狩りの仕事を休むから、一日、一緒にいてくれるでしょ? 明日は特別に……おっと、あとは明日のお楽しみにしておかなきゃね!」
その笑顔を思い出すだけで愛おしくなってくる。
明日を最後にしようと、ランバートは決心していた。アイナに別れを告げようと。
しかし、別れるに際して、アイナに何かをプレゼントしておきたかった。森に落ちているものでは、あまりにも味気ない気がしたので、とりあえず村の店で何かを見繕うというわけだ。もっとも小さい村であるし、どんなものがあるか疑問ではあるが。
ランバートは村の店を覗いて回った。ほとんどは遅い時間なので、店を閉めてしまっている所もある。余所者のランバートを見て、いい顔をしない店もあった。それでもランバートはアイナのためにプレゼントを探した。
その途中、ランバートは、ローブ姿の男とすれ違った。一瞬ではあったが、顔を見た瞬間、背筋が凍るような悪寒が走る。まさかと、ランバートは振り返った。
すると村の他の者たちも、気味悪そうにローブ姿の男を見送っていた。こんな反応を示すのは、ランバートと同じ余所者だからに違いない。
ランバートは近くを通りかかった男を呼び止めた。それはジェイクだったのだが、ランバートは名前まで知らない。
「あのローブの男は村の人ですか?」
ジェイクは、突然、ランバートに呼び止められて、胡散臭い顔をしたが、
「お前と同類だよ。しかも魔導士か何からしい。まったく、気味が悪いったらありゃしない。あいつもお前も、早く村を出て行って欲しいものだな」
と、悪態をついた。
だが、ランバートはそれには取り合わず、ローブ姿の男の後を尾行し始めた。
ローブ姿の男は村を出て、森へと入っていった。
ランバートはそれに気づかれず、それでいて見失わない距離を保って追跡する。
やがて夜空には月が昇っていた。
「何か、ご用かね?」
ローブ姿の男は不意に立ち止まると、振り向きもせずに尋ねた。声はしわがれた老人のそれだ。
「金目当てならば悪いことは言わん。命のやり取りをするほどの銀貨は持ち合わせておらんよ」
「用があるのは貴様自身だ。私を見忘れたか?」
ランバートの言葉に、ローブ姿の男は振り返った。顔をしげしげと眺めるが、小首を傾げる。
「さて、どなただったか?」
「セルモアのシュナイトと言えば思い出すか?」
「おお、バルバロッサの小せがれか! 大きくなったものだ」
ローブ姿の男は、心底、驚いているようだった。だが、その顔は邪悪な笑みに歪む。それこそランバートの──いや、シュナイトの記憶にある男の顔だった。
「忘れはしないぞ。貴様が私たち兄弟の身体を魔術的処置によって改造し、常人ならざる能力を植えつけたことを! 私たち兄弟は貴様のお陰で、人間であることを捨てなくてはならなくなった! 父には疎まれ、母からは捨てられ、己の肉体をどれほど呪ったことか! 貴様に分かるか!?」
シュナイトの言葉に、ローブの男は笑いを浴びせた。
「恨み言ならば、貴様の父上に言うのだな。オレはセルモアの地下に眠る《神々の遺産》に興味があった。オレはその調査をさせてくれと、貴様の父上に頼んだ。貴様の父上は知っての通り、野心家だった。交換条件に、王国と匹敵するくらいの戦力をオレに要求したのだ。だから、オレは約束通りに戦力を用意してやったのさ。貴様たち四人兄弟の肉体を改造してな。だが、それを知った貴様の父上は激怒し、オレを殺そうとしやがった! まったく、感謝されることはあっても、恨まれる憶えはねえぜ! 貴様たち四人で、あんな腐った王国を滅ぼすことなど、造作もないだろうに。ま、そんなわけでオレは命からがらセルモアを逃げ出し、こうして諸国をさまよっているというわけだ。それでもオレを許せないって言うのか?」
「ああ、許せない!」
シュナイトはきっぱりと言い切った。脳裏にはアイナの顔が浮かんでいた。
「貴様を殺っても、私の人生がやり直せないのは承知しているが、ここで決着をつけないわけにはいかない!」
「くっくっくっ、なまじ人間の心を残しておいたのが仇になったか。まあ、いい。こうして出会ったのも、天の配剤というもの」
「滅べ、魔導士!」
シュナイトは右腕を突き出した。特殊能力《黒き炎》を発動させる。
ゴオッ!
たちまち魔導士の身体が黒い炎に包まれた。
だが、魔導士は笑ったままだ。そして、一歩一歩、シュナイトに近づく。
「その力も……オレが与えたものだと言うことを忘れるな!」
肉が焦げ落ちていくにも関わらず、魔導士の歩みは止まらなかった。さすがのシュナイトも恐れにわななく。
「き、貴様……」
「所詮は私が作り上げた作品……これからは、私の役に立ってもらおう!」
魔導士は指輪をかざした。指輪の赤い宝石が光る。するとシュナイトの胸も、それに反応するかのように赤く輝き始めた。
「うわあああああっ!」
シュナイトは絶叫した。まるで全身が熱く燃えているかのようだ。思わず胸をかきむしった。
「ムダだ、ムダだ! 抗うことはできん! 貴様の肉体は、オレのものにさせてもらう!」
光は益々、その強さを増した。目を開けていられなくなるほどに。
「く、くそぉ〜っ……! あ、アイナぁあああああっ!」
シュナイトは思わず最愛の女性の名を呼んでいた。
そして──
静寂が戻ったあと、そこにはシュナイトの姿しかなく、魔導士は忽然と消えていた。
だが、魔導士は明らかにそこに存在していた。
シュナイトの中に──
「クックックッ、失われし禁呪、うまくいったな」
シュナイトは満足そうに笑った。しかし、声は老人のそれに変わっている。
やがて、本来の声を取り戻して──
「この肉体でセルモアに戻り、もう一度、《神々の遺産》の研究が出来るぞ! なんとオレはツイているんだ! ハッハッハッ!」
シュナイトの笑いは夜の森にこだました。