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サリーレは、まだ朝靄が立ちこめる城の周囲を散策していた。
部屋では、まだマインがイビキをかいて寝ているはずである。その隣でまどろむことは難しいので、こうして早くから起き出して来たのだ。カシオスと寝るときは、そんなことはない。大抵、サリーレが目覚めるとカシオスの方が先に起きていて、姿を消していた。
城の裏手には、いくつものテントが張られていた。皆、山賊団の仲間か、ノルノイ砦からやって来た騎士たちのものだ。小さな領主の城では、中庭を使っても全員を収容することが出来ず、こうして半分くらいは野営しなくてはならなかったのである。
ほとんどの者はまだ眠っていた。何しろ、夕べ賊が侵入したという騒ぎで、外にいた者たちは叩き起こされる結果になったのだ。実質的な捜索はゴルバの部下たちが行ったが、野営している中に賊が紛れ込んだかも知れないということで、徹底的に調べられた。結局、そのような回り道をしていたために、アイナたちの追跡が遅くなり、取り逃がしてしまったのだが、特異な状況下であったのだからやむを得ないであろう。むしろ、迷惑を被ったのは野営していた連中で、それからしばらく安眠を妨害されたのであった。
それにしても──
サリーレは危うく、寝ていた騎士の足を踏みそうになり、たたらを踏んだ。
サリーレの仲間である山賊団の連中はともかく、ノルノイ砦の騎士まで雑魚寝のような状態になっていた。すでにテントからはみ出して、外で寝てしまっている者もいる。この地方は一年中、温暖なので、外で寝ていても風邪を引くことはないと思うが、軍としての秩序は見る影もなく、ただの無頼漢にしか見えなかった。もっとも、ノルノイ砦の騎士団は王国の騎士たちの中でもはみ出し者ばかりが集まっていると聞くから、こんなことは日常茶飯事なのかも知れない。
半ば呆れ果てているサリーレの目の前に、一人の男が現れた。知らない顔なので、ノルノイ砦の騎士なのだろう。どうやら草むらで用を足していたらしく、ズボンを上げながら、こちらへ歩いてきた。
サリーレは知らん顔で横を通り過ぎようとしたが、男の方はサリーレの顔を見て、驚いたような素振りをした。女っ気の少ない領主の城で、サリーレのようなハーフ・エルフの美女に出会うなど稀であるから、致し方なかったかも知れない。男の表情がニヤついた。
「ねえちゃん、どこへ行くんだ?」
男はサリーレを呼び止めようとした。サリーレはそれを無視する。
行き過ぎようとしたところを男に腕をつかまれた。反射的に振り払うサリーレ。おまけに鋭い眼光で男をねめつけた。
だが、男も完全に目が覚めていなかったのだろう。サリーレの威嚇にも平然としていた。
「つれないねえ、ちょっと付き合いなよ」
男はしつこく、サリーレの腕をつかもうとした。
ヒュン! バシッ!
空気が鳴るや否や、男の後ろに立っていた細い木が真っ二つに折れた。それはそのまま男の方へ倒れ、頭部を直撃する。幸い、幹は人間の腕一本くらいの太さしかなかったので、押し潰されることはなかったが、男はその下から慌てて這い出しながら、何事が起こったのかと目を見開き、口をパクパクさせていた。
サリーレの方を見れば、右手のスナップを利かせて、トラハリネズミの皮で作ったムチを引き戻しているところだった。サリーレが愛用する武器である。これが木でなく、男を直撃していれば、大ケガを免れなかっただろう。
男は腰が抜けてしまったのか、立ち上がりもせずに、その場から逃げ出した。
サリーレは侮蔑の視線を投げながら、再び歩き出そうとする。その背後に、新たな気配が感じられた。
「チックとタック?」
振り向かずにサリーレは問うた。すると──
「ご明察!」
「さすが姐さん!」
それは山賊団に属している双子のホビット、チックとタックだった。そう言えば、ホビット族は早起きだという話を思い出した。
「あたいの後ろに黙って立つのはやめな」
サリーレはムチを握りしめる力を緩めながら、後ろのホビットたちに注意した。
「すみません、姐さん」
「それにしても、今のヤツ、姐さんの恐ろしさを知らなかったようですね」
そう言って双子はくすくすと笑った。
その通りだとサリーレも思う。ブリトン王国で“ハーフ・エルフのサリーレ”と言えば、その筋では名が通っているものだ。もっとも、一介の騎士まで知られているかは疑問だが。
「──で、何か用なんだろ?」
サリーレはチックとタックに尋ねた。
「はい」
「夕べの騒ぎをご存じかと思いまして」
「夕べの騒ぎ?」
チックとタックは、夕べ、領主の城にアイナたちが忍び込んだことを事細かに話した。それは初めてサリーレが聞く話だった。
「本当かい?」
夕べはマインと一緒に寝ていたが、そんな騒ぎがあったことなど気がつかなかった。これは失態である。
「それでカシオスは?」
サリーレの声が少しうわずった。カシオスがサリーレを探していた可能性がある。そのときにマインと寝ていたなどと、カシオスに知られでもしたら……。
「お頭は侵入者たちを追いかけたようですが──」
「おいらたちには事を荒立てなくても良いと言っていました」
「でも、一応は姐さんにお知らせしておこうと思いまして」
「ですが、夕べは姐さんとマインの姿だけがなかったですねえ」
「!」
チックとタックが何を言わんとしているか察し、サリーレは表情を強張らせた。チックとタックは喋り過ぎたと思ったのか、慌てて口を塞ぐ。
「あんたたち、それをカシオスに喋るつもりじゃないだろうね?」
「そそそ、そんな!」
「滅相もないですよ、姐さん!」
首と手を振りながら、双子はまったく同じ動作で否定した。だが、ホビット族はおしゃべりなことでも知られている。どこまで信用が置けるものか。
ここは一つ、脅しつけておいた方がいいだろうとサリーレは考えた。