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[第二十三章/−1 −−]



吟遊詩人ウィル・神々の遺産

第二十三章 男と女(1)


「痛えよぉぉぉっ、痛えェェェッ!」
 ソロはパメラのベッドの上で頭を押さえながら、のたうち回っていた。あまりに激しく動くので、ベッドは軋みをあげて、今にも壊れてしまいそうだ。それに、これだけ大声を出せば、部屋の外で見張りに立っている兵に気づかれてしまいそうである。
 だが、すでにその心配はなかった。なぜなら、とっくにソロが始末してしまっているからである。見張りの屍は、今、部屋の隅に転がっていた。
 ソロはシュナイトによって苦しめられた後も、頭痛が残っていた。脳味噌がかき回されているような痛みだ。シュナイトを目の前にしていたときよりはやわらいでいるものの、完全に消え去ったわけではない。
 そんなソロを前にしながら、パメラは何も出来ずにオロオロするばかりだ。何しろ、幽閉されているこの部屋には薬も何もない。戻ってきてから、ずっとこの調子で苦しんでいるソロの傍にいてやれることしか出来なかった。
「ねえ、大丈夫なの?」
 さすがに心配になって、パメラは尋ねた。だが、ソロの頭を見ても、ケガをしているというわけではないのだ。原因が何であるか、医学の心得もないパメラに分かるはずもなかった。
 だが、一つだけ心当たりがあった。ソロは、先程も記憶を探っているときに頭が痛いと言っていた。そして、そのとき、額に明滅していた赤い光……。ソロの頭の中に何かが埋め込まれていて、それが原因になっているのではないか。
「くそ〜、何だって、こんなに痛いんだ!?」
 ソロは悪態をつきながら、ベルトから小振りのダガーを取り出した。それを逆手に持ち、おもむろに額に突き立てる。
「な、何を!?」
 パメラは驚いて、口を両手で覆った。あまりの激痛に気が触れたのかと思う。
 だが、ソロは血を流し、物凄い形相をしながらも、ダガーで額をほじくるようにする。まるで何かを取り出そうとするかのように。
 ガリッ ガリッ ガリッ!
 パメラはとても見ていられなかった。ソロの行為は常軌を逸している。
「やめて、ソロ! 死んでしまうわ!」
「うるさい! 何かあるんだ! 頭の中に、何かが! それがオレを苦しめるんだ!」
 しかし、そんな凶行に及んでも、シュナイトが埋め込んだ赤い石は取り出せなかった。最早、頭蓋骨と同化してしまっているのだ。取り出すには本格的な外科手術か魔法による治療が必要だった。
「やめて! もう、やめて!」
 パメラは懇願した。これ以上は堪えられそうになかった。
「クソッ!」
 ソロはダガーを床に叩きつけた。甲高い金属音がして、部屋の隅に転がっていく。
 パメラはすぐにベッドのシーツをはぐと、その布地を裂いて、ソロの出血部に巻きつけた。包帯の代用である。ソロは黙ったまま、身を任せた。
「これでいいわ」
 シーツをソロの頭に巻き終えると、ようやくパメラは弱々しく微笑んだ。ホッとしたのだろう。
 ソロは頭に巻かれたシーツを手で触った。少し赤いものが滲んでいたが、応急処置としては用を為すだろう。
「意外と起用なんだな」
 それはソロなりの謝意だっただろうか。パメラの処置が効果を表したとも思えなかったが、ソロはベッドの上で大人しくなった。
「下級貴族の出ですもの。それなりの苦労はしてきたつもりだわ」
 パメラは遠くを見るような目つきをした。
 そう言えば、ソロも聞いたことがある。パメラの家は、このセルモア地方に住んでいた下級貴族で、昔から兄のゴルバと親しかったことを。
 ソロは当時のパメラと会ったことがない。ゴルバがパメラの家を訪れることはあっても、パメラから領主の城を訪問することはなかったからだ。その原因は、ソロたちも含め、バルバロッサの後継者たち全員が化け物じみた肉体に改造されたからで、パメラの父は一人娘をそんな輩たちと関わらせたくなかったのだろう。しかし、バルバロッサはセルモアの地方領主と言うこともあり、ゴルバが訪れることに関しては拒めなかったに違いない。
 あの頃は、ゴルバと結婚するものだとばかり思っていたが、パメラが美しい娘に成長するや、父バルバロッサが略奪するという暴挙に出た。それを黙って指をくわえて見ていた兄ゴルバも情けないが、それを受け入れたパメラもしたたかな女だ。ソロはその結婚話を聞いたとき、自分の母親を思いだしていた。
 ソロの母は、パメラよりもずっと身分が低い、ただの娼婦に過ぎなかったという。父バルバロッサにしても、ただ一夜を共にしただけの女だったに違いない。ところが、ソロの母親は自分が子を宿したことを知ると、バルバロッサに認知するよう迫ったと言う。相手は一介の娼婦、バルバロッサも知らぬ存ぜぬで突っぱねることも出来ただろうが、それを座興と楽しむつもりだったのか、認知はおろか、自分の伴侶にまでしてしまったのである。ソロの母親は、さぞ有頂天になったことだろう。
 だが、それもソロが生まれるまでだ。生まれてきた赤ん坊はとても人間の子とは思えぬほど醜かった。取り上げた産婆がショック死したほどである。ソロの母親は、バルバロッサがその赤ん坊を見れば、きっと激怒して、自分を殺そうとするに違いないと思ったのだろう。「こんな醜い赤ん坊は自分の子などでは絶対にない、謀ったな!」と。そこで、ソロを産んですぐだというのに、ソロの母親は城から姿を消し、セルモアの街からも逃げ出して行った。その後の消息は知らない。産後間もなくの身体では、途中で死んだ可能性もあった。
 幸い、生まれたソロは醜いという理由で捨てられるようなことはなく、バルバロッサの子供の一人として育てられた。しかし、幼い頃から、母親が自分を捨てていったことは散々、聞かされた。
 母親を恨んだ。醜い姿で産んだ母親を。自分を捨てた母親を。
 醜く生まれてきた子供を実の母親が愛さずして、誰が愛してくれると言うのだろうか。
 その母親への憎悪が、いつしか女性すべてに対する憎悪に変わっていった。
 女は自分の敵。
 女は犯して殺すだけの存在。
 女を愛すことなど愚かしい、と。
 だから、パメラもそんな女の一人だと思っていた。だが──
 目の前のパメラに、ソロは生まれて初めて、安らぎのようなものを感じていた。醜悪な自分に対する反応は、他の女たちと大差はないが、少なくともまともに接してくれている。化け物としてではなく、一人の人間として。
 ソロはおもむろにパメラの胸に顔を埋めた。まるで幼い子供がするように。実際、ソロの身長は子供ほどしかなかったが。
 パメラは一瞬、身体を強張らせたが、すぐにソロを受け入れた。こうしているとデイビッドの幼い頃を思い出す。
 昔はこうしてデイビッドも甘えていたものだ。だが、一年ほど前からすっかり自立し、母子の関係は次の段階へと進んでいった。すでに夫バルバロッサの愛情も薄らいでおり、最近は身の置き場すらなくしていたパメラだ。こうして身近に誰かの体温を感じ合えるのは久しぶりだった。
 だからかも知れない。パメラはふと思い至った。こうしてゴルバに幽閉されていても意外に平然としていられるのは、今までの生活と差異がないからではないか。夫も息子もパメラから離れ、いつの間にか独りに慣れてしまったのかも知れない。
 ソロを抱きながら、パメラもまた安らぎを得ていた。
 長い抱擁の後、パメラが口を開いた。
「もう朝だわ。こんなところをゴルバにでも見られたら大変よ。ソロ、もう行って」
 パメラの言うとおり、窓からは朝日が射し込んでいた。
 ソロは去り難かったが、そのような素振りを見せずにパメラから身を離した。
「ああ、分かっているよ。その死体を始末して、また夜に来るぜ」
 ソロはベッドから降りると、軽々と兵士の死体を担ぎ上げた。
「くれぐれもデイビッドを助けてやって」
 パメラは別れ際に懇願した。ソロは返事をしなかったが、目を逸らすことはしない。あとはソロを信じるしかないだろう。
 ソロは能力を使うときに少し顔をしかめたが、すぐに担いだ死体とともに姿を消した。
 それを見送って、パメラは脱力したようにベッドに腰掛けた。
 その視線がある物を捉えた。ダガーである。ソロが額から赤い石を取り出すときに使って、床に放り投げたもので、どうやらそのまま忘れていったようである。
 パメラはそのダガーを拾い上げた。刃にはまだソロの血がこびりついている。
 パメラは幽閉されている身だ。武器の所持など許されない。
 窓から捨てようかとしたが、パメラは考え直した。いざというときに役立つかも知れない。パメラはソロのダガーをベッドの隙間に隠した。


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