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カルルマン王子について伝わっていることは少ないが、かつて隣国ガリとの国境での小競り合いで、たまたま視察に訪れていた王子が指揮を執り、敵軍を壊滅させたという武勇伝がある。どうやら、ガリも王子の来訪を知って手出ししたようなのだが、その反撃は痛烈で、生き残った者も一人残らず捕らえられ、首をはねられたという。だが、詳細は今もって分からない。当時、王子の指揮の下で戦った兵士たちが一様に口を開かないからだ。この戦いでカルルマン王子について分かっていることは二つ。一つは劣勢だったはずの国境警備隊だけで敵を掃討した知略の持ち主であること。そして、敵の敗走を許さなかった残忍さである。
先頃、行われたダクダバッドとガリの戦争も、裏でカルルマン王子が策謀したものだと言われている。もちろん、隣国ガリを潰し、貸しを作ったダクダバッドと手を結ぶために。もし、現国王ダラス二世がとっくに王位を譲っていたら、ブリトン王国はカルルマン王子の欲望が赴くまま、戦争を繰り返していただろうというのが知者の見解だ。それによって国は富めるものになっていたか、それとも滅びの道を歩んでいたかは分からない。だが、きっと多くの血が流されたことは確かだろう。
だから、ブリトン王国の者は皆、カルルマン王子のことを揶揄を込めてこう呼んでいた。「鮮血の王子」と。
「よりによって鮮血の王子のお出ましとはな」
さすがのゴルバも冷や汗が背筋を伝った。
「……いや、考えようによっては千載一遇のチャンスかも」
思わぬセリフを吐いたのは、やはりカシオスだ。一同の視線が集まる。
「どういうこと?」
さすがのサリーレも正気の沙汰ではないと思ったらしい。だが、カシオスは賢い男だ。勝算もなしに口にすることはない。
「いいか。カルルマン王子が自ら指揮している軍なんだぞ。もし、その王子が死んでしまったらどうなる?」
「そりゃ、もちろん指揮官を失った敵さんは、尻尾を巻いて逃げるだろうよ。まずは頭を潰す。戦いの定石だな」
傭兵生活の長いマインが面白そうに言った。その解釈にカシオスがうなずく。
「そう言うことだ。初めて意見が合ったようだな、マイン」
カシオスは冷笑を見せた。
ゴルバもサリーレも、その策に乗り気のようだ。マカリスターを除いて。
「ちょ、ちょっと待ってください! 簡単に言うが、大勢の部下たちが守ってるんですよ!? どうやって王子の所まで辿り着くって言うんです!?」
マカリスターの言い分はもっともだった。だが、カシオスはあっさりと、
「こういった任務に適任のヤツがいる。マカリスター卿、ソロはどうしました?」
と言った。
マカリスター卿は目をしばたかせた。
「そ、ソロ? ソロ殿ですか? いや、私は……ドワーフの集落に突っ込んでいったまま、どうなったか知りませんが……」
「何だと!?」
無責任とも言える曖昧な返答を聞いたゴルバに凄い形相で睨まれ、マカリスターはたじろいだ。それでもなんとか、
「と、とにかく戦いの最中でありましたし、撤退せよとの命令も受けていたので、現場が混乱していたのであります! その中でソロ殿を確認することは難しく──」
と抗弁したが、ゴルバには通じず、
「貴公は我が弟を見捨てたのか!」
と、一喝された。マカリスターの全身が強張る。
「いえ! 決してそのようなことは……」
マカリスターは平謝りするしかなかった。だが、内心ではこちらの助っ人であったはずのソロを、どうしてこちら側が助けなくてはいけないのかという矛盾も抱えていた。それにソロはマカリスターの命令でドワーフの集落に突っ込んで行ったのではない。ソロ独自の判断で動いたのだ。もし、死んでしまっていても、それは自業自得というものではなかろうか。
「まあ、兄者、待て」
カシオスは、せっかくの切り札が使えずに憤る兄を鎮めようとした。そして、いつもの冷笑を見せる。
それを見たマカリスターは、さらに悪い予感がした。
「ここはソロの代わりに、マカリスター卿に任せよう」
カシオスの言葉の意味を理解するのに、マカリスターは少し時間を要した。ごくりと喉が鳴る。
「そ、そんな、私などが王子の近くまで辿り着けるはずがない。無理だ! 途中で殺される!」
「平気ですよ。あなたは仮にもノルノイ砦の隊長。その隊長が投降するとなれば、ヤツらも受け入れる気になるでしょう。そして、王子に近づいた瞬間、剣で突き刺せばいい」
「だ、だが、その後はどうするって言うんだ!? 近衛の者が黙っているはずがない!」
マカリスターは唾が飛ぶのも構わず、訴えた。だが、この部屋に同情や哀れみの表情を見せる人間は一人としていない。マカリスターは絶望的な気持ちになった。
「もちろん、あなたを敵の手によって殺させるようなことはしませんよ。安心してください」
カシオスの言葉など信じられなかった。この部屋にいる連中は、すべてマカリスターのことを何とも思ってはいないのだ。心のある人間などではない。鬼畜だ。いや、それ以下の存在だ。
「くっ!」
マカリスターは突然、部屋の扉に向かって突進した。扉をぶち破るようにして廊下に転げ出、とにかくここから遠ざかりたいと夢中で走る。城の外はカシオスの防御陣があること、さらには王都軍が待ちかまえていることも頭にない。逃げることで精一杯だった。
追っ手は──ない。それでもすぐ後ろまでやって来ているのではと恐れ、マカリスターは必死に逃げた。
城から外へ出られると思った瞬間、首に圧搾感が走り、マカリスターの身体は一旦、宙を浮いて、背中から床に叩きつけられた。首に何か巻きつけられている。
「ぐっ、がっ……!」
マカリスターは必死になって首に巻きつけられたものを外そうとしたが、ロープのようなものはなかった。それどころか襲撃者の姿も皆無だ。しかし、その間にも首が絞められていく。マカリスターは舌を吐き出し、首筋をかきむしった。
それがカシオスの仕業と言うことだけは、薄れゆく意識の中でマカリスターは認識していた。結局、自分はゴルバたちにいいように使われただけだったのだ。一時でも、儚い夢物語を夢想した自分が愚かしかった。
このまま自分は死んでいくのだろう。そのときになって、初めて部下たちの安否が心配になった。すでに半分近くが戦死してしまっているが、残りはまだ生きているのだ。何とか無事に故郷へ帰って欲しいと願った。そして──
レイフの顔が浮かんだ。ノルノイ砦ではただ疎ましいだけの存在だったが、彼の意見に少しでも耳を傾けていれば、こんなことにはならなかっただろう。今、どこでどうしているのか。出来れば、生き残った部下たちを導いて欲しいものだ。
「れ、レイフ……」
それがマカリスターの最期の言葉になった。