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カシオスが張り巡らせた死の防御陣によって、九死に一生を得たセルモア側であったが、多くの仲間たちを失い、未だ王都軍と睨み合っているような状況では、少しだけ命を長らえることができただけかも知れず、心底から喜ぶ者はいなかった。それでも生きると言うことは、空腹を満たしたり、休息を取ったりすることを身体が要求してくるものだ。兵士たちは魂を半ば抜かれたような状態であったが、そのクタクタになった肉体を休めることに務めていた。疲れが癒されたとき、また生きることへの執着心も沸いてくるのだろうかと疑問に感じながら。
だが、彼らの統括者には休息すら許されない。マカリスターはミスリル銀鉱山のドワーフたち、そして王都軍との連戦に疲れ切っていたが、今後、どうするのか、ゴルバたちと相談しなければならなかった。
マカリスターは重い鎧を着込んだまま、城の階段を登り、執務室を目指した。ゴルバはそこにいると踏んだからだ。城に逃げ込んだときは、軍がほとんど潰走状態で、ゴルバの姿を見失ってしまっていた。だが、あの男に限って雑兵の餌食になったということはないだろう。無事に帰還して、反撃の策を練っているはずだ。
マカリスターは執務室の前まで来ると、ノックもせずにドアを開けた。こんな非常時では基本的なマナーを守ることも疎ましい。
「ゴルバ殿!」
マカリスターはドアを開け放つと同時に声を張り上げたが、室内は真っ暗で誰もいないと分かると、次に続く語句を呑み込んでしまった。執務室は長らく誰もいなかったことを証明するかのように、寒々とした空気がマカリスターの身を包んだ。
ゴルバは何処へ行ったのか? マカリスターは訝った。まさか、とっくに一人で脱出してしまったのか?
自分は捨て駒に使われたかも知れないという疑念に、マカリスターは身震いを覚えた。残ったノルノイ砦の騎士団は約半分ほど。まともにカルルマン王子の王都軍と戦える数ではない。
自分も逃げようと踵を返した瞬間だった。
「ヒッ!」
いつの間にか背後に立っていたマインとぶつかりそうになって、マカリスターは思わず短い悲鳴を上げかけた。よろめく身体をマインがつかんで支える。
「おっと、大丈夫かい?」
マインは苦笑しながら、マカリスターをしっかり立たせると、つかんでいた手を離した。マカリスターは動悸を押さえるように胸に手を当てる。
「な、何だ、お前か」
マカリスターはマインの名前を知らなかったが、山賊団の中でもその体躯は目立つので、見覚えがあった。山賊よりは傭兵としての方がふさわしいように思える。
そんなマカリスターにマインはなれなれしい素振りを見せた。
「探したんですぜ」
「探した? 私をか?」
「ええ。ゴルバ侯もお待ちです。ついてきてください」
マインはそう言うと、とっとと歩き始めた。マカリスターは仕方なく、その後に続く。
マインは階段を降りた。そして、城の裏手に当たる方へ行き、そこからまた階段を登る。こっちにある部屋はゴルバの弟であるカシオスやソロが使っているものだ。マカリスターの部屋も近い。
「ここです」
マインはカシオスの部屋の前で立ち止まった。そして、ドアをノックする。
「マカリスター卿をお連れしました」
「入れ」
中からの声はゴルバのものだった。きっとカシオスも交えて、今後のことを話し合っていたのだろう。マカリスターは自分が見捨てられたのではないと分かり、ひと安心した。
マカリスターはマインよりも先に部屋へ入った。中にいたのは三人。まだ全身の返り血を拭いもしないゴルバとベッドの上で起きあがっているカシオス、その隣で付き添っているハーフ・エルフの女山賊サリーレだ。一同の視線が一斉に向けられたとき、マカリスターは鋭いものを感じて、いささかひるんだ。
「た、只今、戻りました」
体が緊張に固くなる。
それを見て、カシオスが笑みを見せた。もっとも、その程度でほぐれる緊張ではなかったが。
「戻ってきて早々で悪いが、今後のことを打ち合わせたい。良いかな?」
ゴルバに言われ、マカリスターはうなずいた。
「はい。何とか、この状況を打破しなくては……」
マカリスターはそう言って窓の外をチラリと見やった。それをゴルバが目聡く見咎める。
「気になるか? 敵の動向が?」
「もちろんです! あの数で攻められたら、こんな城、ひとたまりも──」
「攻めてこられるならば、な」
「?」
すぐそこまで王都軍が迫っているというのに、ゴルバたちの落ち着きは何だろう。マカリスター一人、分からないと言う表情を作る。それに答えたのはカシオスだ。
「しばらくはこの城に近づけないだろう。城の周囲にオレの髪の毛で防御陣を張り巡らせておいた。通り抜けようと思っても、まず無事ではすまないはずだ」
説明を受けても、マカリスターには理解し難かった。カシオスの異形の力は、街の外で初めて出会ったときに身をもって体験しているが、それを応用した技を見たことがないのだ。実際は、カシオスが作り出した自らの影武者と顔を合わせて、会話もしていたりするのだが、それすら知らされていない。ただ、カシオスが何かしらの特殊能力を身につけていることは知っているので、当人が安心だと保証する限りは大丈夫なのだろうと納得した。
「じゃあ、時間は稼げるんですね?」
「ああ。こうして話し合うくらいの時間は、な」
だが、王都軍がセルモアの街に侵攻してきた事実は変わらない。これまでは街を取り囲むように造られた城壁のお陰で、少ない兵力でも互角以上の戦いが出来たセルモアだが、今回は懐にまで攻め入られ、これまでにない危機を迎えている。
「それにしても、ヤツらはどうやって城門を破ったんだ?」
ゴルバはずっと抱いていた疑問を口にした。それにサリーレが反応を示す。
「魔法じゃないでしょうか?」
「魔法?」
「何か強力な魔法で、城門を吹き飛ばしたとか」
サリーレの言うように、火球弾<ファイヤー・ボール>のような攻撃呪文であれば、城壁程度の建造物を破壊するのは容易い。しかし、そういった呪文のほとんどは高位の魔術師でないと扱えないし、魔術師の絶対数が少ないこの時代、そういった高位の魔術師となれば、さらに限られてくる。それに──
「攻撃魔法ではないだろう。もしそうならば、ここまで爆発音が聞こえてくるはずだ」
と、カシオスは冷静に判断を下した。敵に魔術師がいれば、カシオスの防御陣もいとも容易く突破されてしまう可能性が高い。このように悠長な軍議を開いている場合ではないだろう。
「王都軍の司令官はカルルマン王子です……王子であれば、何か策を用いて、城門を易々と開けたに違いない……」
マカリスターは恐れおののくように呟いた。その名を聞いて、ゴルバの目が見開かれる。
「それは真か、マカリスター卿!?」
「はい。私は見ました。敵軍の軍旗の中で、王子の旗が立っているところを!」
これには一同、顔を見合わせることしか出来なかった。まさか王子自らの出陣とは。