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セルモアの街は、突如として現れた襲撃者によって、血生臭い戦場と化していた。
その襲撃者というのも、たったの一人。カルルマン王子を守ろうと、何人もの騎士たちが襲撃者に立ち向かっていったが、誰一人、敵う者はいなかった。いや、近づくだけでも難しい。
その襲撃者は口の辺りから、黒い煙のようなものを吐いており、それを少しでも吸い込むとたちまち衰弱し、場合によっては死に至る。姿隠し<インビジブル>の魔法が使える猿などは、真っ先に犠牲となっていた。
それは王都軍に対してばかりでなく、家の中で閉じこもっていた領民たちにも及んでいた。ある家などは、炊事の途中で家人が倒れたのか、火事を起こしている。
また、襲撃者の持つ武器も凶悪だった。どのような力自慢の男でも持ち上げられそうもない巨大な黒い斧を自由に振るい、一度に何人もの命を奪っていく。それは刃の直撃を受けなくても、衝撃波だけで五体がバラバラになった。
「フシュウウウゥ!」
その襲撃者こそ、悪魔の斧<デビル・アックス>によって肉体を支配された戦鬼ゴルバであった。地下回廊において、シュナイト──いや、ジャコウによって地上へ転移させられたゴルバは、セルモアの街に出現。それはカルルマンが陣を張る場所に近かった。
そして、殺戮だ。《黒き毒霧》と悪魔の斧<デビル・アックス>による血の宴は、醒めることのない悪夢でしかなかった。
「化け物か」
兵士たちに守られながら逃走するカルルマンは、アッという間に百を越える部下たちを死体に変えた戦鬼ゴルバに対し、恐怖を覚えた。頭から爪先まで、真っ黒なボディに身を包んだ戦鬼ゴルバは、さながら死神のようにも見える。兵士たちが束になってかかっても、相手にならなかった。
「構えーっ!」
毒霧のせいで、近づくこともできない王都軍は、弓兵<アーチャー>による射撃を試みた。二十名ほどの弓兵<アーチャー>が横一直線に並び、弦を引き絞る。
「撃てぇ!」
ビュッ! ビシュ! バシュッ!
誰もが訓練を受けた弓の名手。緩慢な動きの相手に対し、外しはしない。
どのような獲物であろうと、二十本もの矢を全身に受けては、無事でいられるはずがなかった。常識であれば。
だが、相手は戦鬼だった。人間ではない。鉄の鎧よりも硬い全身が、一切の矢を受けつけなかった。
弓兵<アーチャー>たちが呆気にとられている暇はなかった。戦鬼の反撃が襲う!
ゴオオオオオッ!
ドラゴンの鼻息<ブレス>のごとき大きさで空気が唸ったのと同時に、悪魔の斧<デビル・アックス>が弓兵<アーチャー>たちを薙ぎ払った。その威力は背後の民家にも及び、外壁を崩壊させる。もちろん、弓兵<アーチャー>たちの末路など、言うまでもない。一人として例外なく。
戦鬼ゴルバは邪魔者を抹殺すると、逃げるカルルマンを追った。意識は悪魔の斧<デビル・アックス>に支配されているはずだが、どこかでゴルバの怨念と結びついているのかも知れない。
「ボクを殺したがっているのか?」
このような状況下でも、カルルマンは笑みを見せるだけの余裕は持っていた。現国王ダラス二世以上の野心を持っていると自負するカルルマンだ。敵が多いことも承知している。すべては覚悟の上だった。勝てば生き延びられるし、負ければ死が待つのみ。戦場に身を置く限り、カルルマンは死んでも弱みを見せるわけにはいかなかった。
だが、今、戦鬼ゴルバに対抗する手段はまったくない。通常の武器ではかすり傷も負わせられないだろう。ダバトスに授けた召雷剣<ライトニング・ブレード>でもあれば、勝負になるかも知れない。
ここは逃げ延びて、ダバトスと合流するのが得策だった。あるいは、敵である領主の城のヤツらにこの相手をぶつけるか。
まさかカルルマンの考えを見通したわけでもあるまいが、そこへ救いの主が現れた。
ウィル。孤高なる魔人だ。
黒いマント姿の吟遊詩人は、カルルマン王子を守るようにして、戦鬼ゴルバの目の前に舞い降りた。そして、すぐさまマジック・ミサイルの呪文を発動させる。
「ディロ!」
一筋の光弾が放たれた。だが、戦鬼ゴルバはウィルのマジック・ミサイルを完全にレジストする。マジック・ミサイルは戦鬼ゴルバの身体に到達する前に消滅していた。
「呪われし武具の力……か」
ウィルは鋭い目つきで、《光の短剣》を抜きはなった。
「あれが敵の魔術師か……」
カルルマンは、空を飛んで現れたウィルを見て、呟いた。対面するのは初めてだ。その実力を、とくと拝見するつもりだった。
戦鬼ゴルバは口から黒い毒霧を大量に吐き出した。ウィルはとっさにマントで口許を覆う。
カルルマン王子を守っていた兵士の中には、思わず吸い込んでしまい、その場に倒れ込む者もいた。
「下がれ、危険だ」
カルルマンは部下に命じて、安全なところまで下がらせる。
戦鬼ゴルバとウィルの二人は、黒い毒霧の中に姿がかすんだ。
次の刹那、強烈な光が放たれ、二人を注視していたカルルマンたちは眩しさに目をつむる。ウィルが《光の短剣》で斬りかかったのだ。
ガキィン!
無防備にウィルの攻撃を受けた戦鬼ゴルバの肉体は、信じられぬことに《光の短剣》を弾き返した。さすがのウィルも驚愕する。
ウィルは続けざまに攻撃した。が、戦鬼ゴルバの肉体に傷一つ作ることは出来ない。敵は完全なる鎧で身を固めていた。
戦鬼ゴルバは攻撃を続けるウィルの腕を、おもむろにつかんだ。そのまま握力で腕の骨をへし折る。
バキバキバキッ!
いやな音がして、ウィルの表情が歪んだ。
さらに戦鬼ゴルバは腕をつかんだまま、ウィルを頭上に振り上げ、反動を利用してみぞおちに膝蹴りを喰らわせた。ウィルの身体が二つに折れる。内蔵にダメージを受けたのか、ウィルは口からおびただしい血を吹き出した。
それは同時に、戦鬼ゴルバの毒霧を吸い込むことにもなった。ウィルはさらに吐血し、全身から力が抜けてしまう。
戦鬼ゴルバはそんなウィルの身体を放り投げた。地面に背中から落ちるウィル。
それでもウィルは立ち上がろうと、四肢に力を込めようとした。だが、一度、体内に入った毒は、ウィルの全身を麻痺させる。立ち上がることは不可能だった。
無敵の魔人もついに最期を迎えるのか──
戦鬼ゴルバはトドメを刺そうと、悪魔の斧<デビル・アックス>を振り上げた。
「ベルク!」
ウィル危うしのそのとき、落雷が戦鬼ゴルバを襲った。思わず、戦鬼ゴルバの動きが止まる。
「殿下ーっ!」
それは駆けつけたダバトスが、召雷剣<ライトニング・ブレード>のコマンド・ワードを発動させたものだった。
ダバトスは馬から飛び降りると、戦鬼ゴルバに対峙した。相手のダメージを窺う。
「ダバトス、気をつけろ! ヤツは不死身だ! それにヤツの黒い煙を吸うな!」
カルルマンが注意する。ダバトスは油断なく、うなずいた。そして、相手が持つ武器を見て、何者であるかを悟る。
「貴様、ゴルバか。どうして、そのような姿になったのかは知らぬが、さっき着けられなかった決着をここで着けてやる!」
戦鬼ゴルバにそんな意識はなかっただろう。しかし、せっかくのトドメを邪魔されて、その怒りの矛先を変えたようだった。ダバトスに向かって、一歩、踏み出す。
「ザン・ベルガ!」
ダバトスは二つ目のコマンド・ワードを唱えた。召雷剣<ライトニング・ブレード>そのものが青白く帯電する。魔法攻撃だけではダメージを与えられないと見たダバトスは、直接、召雷剣<ライトニング・ブレード>を叩き込むつもりだった。
黒い毒霧はダバトスの全身を包み始めた。ウィルと違って、長く息を止めていられないダバトスとしては、早めに勝負を決める必要があった。
「だああああああっ!」
上段から振りかぶり、ダバトス将軍は戦鬼ゴルバに斬りかかった。文字通りの電光石火、切っ先が頭頂部を捉える。その瞬間、スパークが生じた。
バチバチバチバチッ!
青白く発光する戦鬼ゴルバの全身。だが、ウィルの《光の短剣》が通用しなかったのと同様、戦鬼ゴルバを真っ二つにすることはできなかった。
戦鬼ゴルバの反撃がダバトスを襲う。悪魔の斧<デビル・アックス>が唸りをあげた。
「!」
ダバトスの身体は横に跳んでいた。自らの意志ではない。その身体に覆い被さる黒い影によって。
ウィルだ。
瀕死の吟遊詩人は残るすべての力を振り絞って、ダバトスを助けたのだった。
二人の身体は折り重なるようにして地面を転がり、戦鬼ゴルバの攻撃を回避することが出来た。