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「来おったか」
ストーンフッドはセルモアの街から進軍してくる王都軍を見下ろして、戦槌<ウォー・ハンマー>を握りしめた。先程、襲撃してきたノルノイ砦の騎士団とは比べものにならない数だ。自然、手が汗ばんできた。
それは他のドワーフたちも同じだったろう。一旦は勝利を収めたものの、何名かは負傷してしまい、再び戦いに参加することは出来ない。これは元々、戦力が乏しいドワーフたちにとって痛手だ。そこへさらなる敵の来襲である。皆、覚悟を決めた。
「気を引き締めてかかれよ」
ストーンフッドは仲間たちにそう言うのがやっとだった。
一方、今まさに攻め込もうとしているダバトス将軍は、先程の失敗を取り戻すべく、必死だった。領主の城を落とせなかったばかりか、ミスリル銀鉱山の接収も出来ないとなれば、カルルマン王子の気性からして、首をはねられるのは間違いないだろう。もはや名誉や誇りよりも、自らの命がかかっていた。
街から城へ通ずる山道を逸れ、ミスリル銀鉱山へ至る道に入ると、急勾配で、しかも馬二頭がやっと並んで通れる悪路になっている。大軍の進行を妨げるのに、恰好の地形だ。ノルノイ砦の騎士団も、この坂道に苦労し、戦力のすべてを活用できなかった。このままダバトスが王都軍を進めても、やはり苦戦を強いられるであろう。
だが、ダバトスには奥の手があった。姿隠し<インビジブル>の魔法がかけられた弓兵<アーチャー>たちである。彼らであれば、ドワーフたちに気づかれることなく、ミスリル銀鉱山に接近できるだろう。そして、闇討ち同然にドワーフたちを葬ってしまえば、こちらの勝利は動かない。
ダバトスは右手だけで合図して、姿なき弓兵<アーチャー>を先行させた。
ドワーフたちは王都軍の来襲に備え、警戒している様子だったが、見えない敵を見破る術は持っていない。先行部隊の姿は、ダバトスたちにも見えなかったが、おそらく百も数えないうちに敵陣へ到達するだろう。
ダバトスは勝利へのカウントダウンを始めた。もちろん、本隊を何事もなく進ませ、こちらに注意を引きつけておくことも忘れない。
案の定、ドワーフたちが異変に気がついた様子は見られなかった。きっと王都軍を引きつけるだけ引きつけ、反攻するつもりでいるのだ。だが、彼らがダバトスの策を知ったときが最期。いや、最期の瞬間すらも、自分たちの身に何事が起こったのか知る由もないだろう。
(六十八……六十九……七十……)
もう間もなく先行部隊が到達するはずだ。ダバトスはドワーフたちの断末魔の叫びを待った。
──と、そのとき、集落を囲んでいる柵のところに、一人の人物が姿を現した。小柄ではあるが、遠目にもドワーフ族ではないと分かる。人間だ。太陽の光に、金髪がきらきらと輝いて見えた。
その神々しさに、ダバトスはカウントダウンを忘れてしまった。その金髪の人物は、小さな身体ながらも王都軍に聞こえるよう、大きな声を発した。
「王都軍の皆さん! 私はセルモア領主バルバロッサの一子、デイビッドです! どうか、カルルマン殿下と話し合いの場を持たせてください! このまま軍を退いてくださるようお願いします!」
それはまぎれもなくデイビッドであった。領主の城にいたはずの彼が、なにゆえ、このような場所にいるのか。
だが、それはまたとない好機でもあった。バルバロッサがいない今、デイビッドを殺してしまえば、セルモア領主の後継がいなくなり、それを統治する権限はブリトン王家に返還される。そうなれば、現国王ダラス二世が病床の今、その実子であるカルルマン王子が支配することは造作もない。
先行していた弓兵<アーチャー>たちも、デイビッドの命は最優先だと聞かされていた。当然、手柄を立てるチャンスであり、デイビッドをその弓矢の目標に定めたに違いない。
ビシュ! ビシュ! ビシュ!
たった一人の幼い少年に向けて、何十本もの矢が放たれた。デイビッドの身を守る物はない。
その瞬間、ダバトスはデイビッドを仕留めたと確信した。
だが、さらに次の瞬間には、顔から血の気を失うことになろうとは!
デイビッドを狙った矢は、その寸前で、飛ぶ方向を変えたのだ。まるで強風で流されたかのように。
驚愕する王都軍に対して、今度はデイビッドの隣に大きな男が姿を現した。キーツだ。
「ムダだぜ、ムダ! 弓矢はこっちに届かねえよ!」
キーツは愉快そうに、その巨体を揺すった。その言葉通り、再び矢が放たれるが、同じ結果になる。
「やっぱり、姿を消した兵士を先に送り込んでいたのね」
デイビッドを挟むようにして、アイナも姿を見せた。そして、おもむろに左腕のクロスボウを、眼下の坂道に発射する。デイビッドに先制の矢が放たれた位置だ。
「うわぁっ!」
それは見事に、見えない先兵の身体を貫いた。
「ば、バカな……どうして……!?」
ダバトスはうわごとのように呟いた。それもそのはず。ミスリル銀鉱山にはドワーフたちしかいないはずで、ましてや領主の城にいたはずのデイビッドまでが、ここに姿を現せるわけがない。城からここへ到達するためには、ダバトスたちと同じ道を通らなくてはならないはずだ。少人数で行動したとしても、ダバトスたちに気づかれぬよう移動するのは難しい。
しかし、不可能を可能にする男が、デイビッドの味方についていた。
「リ・マナ!」
黒ずくめの吟遊詩人は、デイビッドの頭上に浮かんだまま現れると、呪文を唱えた。
それは魔法除去の呪文。姿隠し<インビジブル>をかけられていた王都軍の弓兵<アーチャー>たちは、魔法を解除されて、その姿をさらした。弓兵<アーチャー>たちは慌てふためく。
当然のことながら、デイビッドに対する弓矢の攻撃を防いだのもウィルの仕業だ。魔法により風のシールドを張り巡らせ、飛来した矢の方向を変えていた。
「突撃!」
馬のいななきが聞こえたのと同時に、ドワーフの集落から騎馬隊が出撃した。レイフを先頭にしたノルノイ砦騎士団の生き残りたち──いや、今はデイビッドに忠誠を誓った新生セルモア軍だ。
「無闇に殺すな! 捕らえるだけでいい!」
レイフはかつての仲間たちに、そう指示を出した。馬群はたちまち敵の弓兵<アーチャー>を呑み込んだ。
領主の城にいたはずのデイビッドたちが、なぜドワーフの集落に先回りできたのか?
それはもちろん、ウィルの助力によるものだ。ダバトスたちが撤退した後、デイビッドは次にミスリル銀鉱山が危ないと予測した。それはレイフも同意見で、救援に向かおうとした一行であったが、山道を使えば、王都軍にも行動が筒抜けになってしまい、先回りを邪魔される恐れがある。そこでウィルが大地の精霊に働きかけ、本来は険しい岩山が立ち塞がっている城と集落の一直線上に、馬が一列になって通れるだけの即席の道を造ったのだった。
その道を通ることによって、間一髪、デイビッドたちは襲撃される前のドワーフの集落に到着し、そればかりか、王都軍の裏を掻くことにも成功した。
「こしゃくなマネを! ええい、こうなれば力ずくでミスリル銀鉱山を押さえるだけだ!」
ダバトスは部下たちに命令を下し、突撃させた。デイビッドたちが先回りしていたのは予想外だったが、数の上ではまだ優位に立っている。乱戦に持ち込めば、同士討ちを避けて、魔術師の攻撃も免れるはずだ。
だが、その程度のことを見抜かないウィルではない。両軍が激突する前に、次の呪文を唱えていた。
「レノム!」
それは眠りの魔法。王都軍の先陣を務めていた一団が、その効果範囲に突っ込むと、人も馬も昏倒してしまった。坂道の途中でバタバタと倒れる。
王都軍の後続はその上を踏みつけていくことも出来ず、たたらを踏んだ。道は狭く、両側が斜面になっているため、それを避けて進むこともままならない。ウィルの策略に、ダバトスはほぞを噛んだ。