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多くの人々が丘陵にある領主の城を目指して逃げ出しているのに対し、それとは逆に向かってくるウィルの姿を見たジャコウは、鼻でせせら笑った。
「貴様、正気か? これはただの巨大なゴーレムとはワケが違うぞ。ボディはミスリル銀を加工したものだ。どのような武器も、どのような魔法も歯が立たぬ」
確かに結果を見るまでもなく、絶望的な戦いに見えた。非力な人間が巨大なゴーレム──それもミスリル銀製の──に勝てるわけがない。誰もがそう思う。──ウィルという吟遊詩人を知らぬ者は。
「力に溺れる者は力に敗れる」
ウィルは静かでいながら凄味のある迫力でジャコウを射抜いた。その双眸の壮絶さに、ジャコウはたじろぐ。
「や、敗れるだと!? この“神々の遺産”を倒せるのは、それを作り上げた神々である天空人と同じ力を持つ者だけ! 今の時代、そんなヤツがいるものか! それとも貴様にそれほどの力があると言うのか!?」
「それは結果を見て判断しろ」
ウィルはそう告げると、呪文の詠唱に入った。
「ベルクカザーン!」
一筋の電撃が迸った。目標は巨神像ではない。ジャコウだ。
「! ──ビルモート・リザリア!」
とっさに瞬間移動の呪文を唱えなければ、ジャコウは黒焦げになっていただろう。巨神像の肩を電光が掠めていった。それと同時に、巨神像から少し離れた家屋の屋根の上に、脂汗を流すジャコウが現れる。
「考えたな! 操っている者を倒せば、“神々の遺産”は無力化できるからな。だが、こういう命令を出せばどうだ? ──“神々の遺産”よ、街中の人間どもを皆殺しにしろ!」
巨神像はジャコウの命令を受け、即座に行動に移った。手近な家を一軒、両手で引き抜くと、山道を逃げ登っていく王都軍や新生セルモア軍に向けて投げつけたのだ。このままでは何人かが押し潰される。
「ヴィド・ブライム!」
ウィルから巨大な火球が投げられた。ファイヤー・ボールだ。それは狙い違わず、巨神像が投げた家屋に命中する。
ドカーン!
家屋は爆発を起こして、空中で四散した。逃げる人々の頭上に大小様々な破片が降り注いだが、致命的な影響は免れたようだ。
それを見ていたジャコウは、愉快そうに拍手をした。
「うまいぞ、吟遊詩人! こうでなくては面白くない! だが、いつまでヤツらを守り切れるかな?」
次に巨神像は、右脚で地面を蹴り上げた。それは土砂となって、避難途中の人々に襲いかかる。
さすがのウィルも防御するには範囲が広すぎたし、いきなりすぎた。魔法が間に合わない。逃げ遅れた住民と避難誘導していた兵士たちが生き埋めにされてしまう。人々の悲鳴がこだました。
「貴様」
初めてウィルは、怒りのこもった視線でジャコウを睨んだ。だが、それこそジャコウが望んだもの。
「どうした? もう、お手上げか? これで分かっただろう? 貴様の力のなさを! 少しばかり魔法が使えるからと、いい気になるんじゃない!」
「………」
ウィルは巨神像の前に破壊されていくセルモアの街を見下ろしながら、苦渋の選択を迫られていた。このまま戦っていても犠牲者が増えてしまう。しかし、避難する人々を守るだけでは、巨神像の侵攻を食い止めることは出来ない。
「ウィルさん、戦って!」
瓦礫の合間から声がかかった。デイビッドだ。全身すすだらけになって、埋まっている人々を助け出している。その隣には彼を守り付き従うレイフの姿も見えた。
「こっちは僕らに任せてください! こっちのことは気にしないで!」
その言葉にウィルはうなずいた。
ウィルは《光の短剣》を手にすると、巨神像の頭部目がけて突っ込んだ。猛スピードだ。《光の短剣》の刀身が強烈な光を発する。
「血迷ったか」
それを眺めていたジャコウが呟く。
ガキィィィン!
甲高い激突音を残して、ウィルの身体は跳ね返された。《光の短剣》を突き立てることが出来なかったのだ。だが、ウィルは空中でブレーキを掛けると、今度は魔法攻撃を仕掛けた。
「ディノン!」
何十発ものマジック・ミサイルを、巨神像の顔面に叩き込んだ。
巨神像にダメージは見られない。むしろ、右手を伸ばして、ウィルの身体を握り潰そうとする。それをウィルはひらりと避けた。
「ちょこまかと、よく動き回る!」
いつでも捻り潰せる相手だけに、ジャコウは段々と歯がゆい思いがしてきた。かくなる上は、援護攻撃だ。
「燃え尽きろ、吟遊詩人!」
シュナイトの特殊能力《黒き炎》。
巨神像が振り回す腕に気を取られていたウィルのマントに火がつく。だが、それはすぐに振り払われた。直撃でなかったのが幸いしたようだ。
「ランバート、やめて!」
ジャコウが立つ屋根の下へ、瓦礫の山をかき分けたアイナがやって来ていた。そして、懇願する。
「ここはあなたの故郷なんでしょ? どうして、こんなひどいことが出来るの?」
「何だ、あの女は? ──そうか。この男の女だったな」
シュナイトの肉体を乗っ取ったジャコウにしてみれば、アイナなど見知らぬ女同然であった。しかも今は完全にシュナイトの意識を封じ込めているので、いつぞやの夜のように肉体の支配が不完全になるようなことはない。だが、アイナが重要な要素となって、ふとした拍子にシュナイトを目覚めさせてしまうことになるかも知れない。
ジャコウが使った肉体支配の魔法は、古代に失われた禁呪の一つだった。それは自らの肉体を犠牲にすることにもなり、使えば二度目はない。新しい肉体を得ていても、それは本来の自分の肉体ではないからだ。感覚も自分の肉体というものではなく、あくまでも操っているという感じから脱することは出来ない。
何とか禁呪に成功したジャコウであるが、今もって半信半疑の部分がある。まだ禁呪には未知の領域が多く、使いこなせているか術者本人ですら分からないからだ。この禁呪にしても恒久的に持続するか分からない。だから、ジャコウはいつか禁呪が解けてしまうのではないかという危惧を持っていた。そして、もし禁呪が解けてしまったら、意識体の自分はどこへ行ってしまうのか。幽霊のようにさまようならばまだしも、完全に消滅してしまう可能性もある。それゆえ、“神々の遺産”を見つけるまで、ジャコウは気が気ではなかった。
不安要素は早めに取り除いておいた方がいい。それに《黒き炎》を外してしまった腹立たしさが手伝う。アイナに殺意を抱いた。