[←前頁] [RED文庫] [「神々の遺産」目次] [新・読書感想文] [次頁→]
とうとう街の外に、九十九体の巨神像が並んだ。このまま進行を開始したら、セルモアは瞬く間に壊滅するであろう。城へ逃げる途中だった人々は、遠く山道から見下ろしながら、絶望的な気持ちになった。
だが、たった一つの希望があるとすれば──
強大なゴーレム軍団に対する小さな孤影。
吟遊詩人ウィル。
その相貌の美しさは少しも揺るがず、強敵を前にしても身じろぎ一つしなかった。
ただ、風にマントがはためく。
果たして、ウィルに策はあるのか。
夕陽が西の稜線に差し掛かっていた。長かった戦いの一日が暮れようとしている。
長い影がウィルと同化したように見えた。
影がウィルか、ウィルが影か。
赤く染まった街に染み込んでいくかのごとく。
静寂はこれから起こる嵐を予感させた。破壊という嵐を。
切り札である“神々の遺産”を全体集結させた魔導士ジャコウは、ウィルが動かないのを見て、臆しているのだと判断した。笑みが堪えきれない。
「フッフッフッ、さすがの貴様もこれだけの数を相手に出来まい! これこそ地上最強の軍隊だ! 世界はこのオレの前に屈する! このオレの前にな!」
ジャコウは狂ったように笑った。
それを眺めることしかできないデイビッドは唇を噛んだ。ジャコウの言うように、九十九体もの巨神像を相手に勝てるわけがない。セルモアの領民みんなに申し訳ない気持ちで一杯になった。
アイナは自分をかばって負傷したキーツを抱き起こしながら、屋根の上に立つジャコウ──アイナにとってはランバート──を見上げた。このままでは街は滅ぼされるであろう。それを食い止めるには……。アイナは左腕のクロスボウに視線を向けた。
(止めなくちゃ……止めなくちゃ……)
心の中ではそう叫ぶものの、アイナの身体は意のままにならなかった。それでも力を振り絞って、クロスボウに矢をセットし、ジャコウ──ランバートへ向ける。矢はウィルから託されたルーン文字の刻まれた魔法の矢だ。目標に命中するまで追尾する。
ジャコウさえ倒せれば、巨神像を止めることが出来るかも知れない。そうすれば、街を救える。みんなを救える。
「………」
アイナは狙いを付けようとした。慎重に。
しかし──
「やっぱり、ダメよ!」
アイナは首を振って、クロスボウを下げた。そして顔を覆って、泣き出してしまう。
やはり最愛の人を撃つことなど出来はしなかった。これまで、ランバートの姿をしたジャコウが非道の限りを尽くしてきたと知っていても、アイナの中では昔のランバートのままなのだ。
そんな姿のアイナを見るのは、そばにいるデイビッドもレイフも初めてだった。声を掛けてやることもできない。アイナから直接の話は聞いていないが、彼女とシュナイトに何らかの事情があるのは察しがついていた。アイナにシュナイトの姿をしたジャコウを撃つことは出来ない。
とうとう万策が尽きた。と、誰もが思った。
だが、ウィルだけは戦意を失ってはいなかった。
勝利を確信して笑っていたジャコウも、ようやくウィルの様子に気がついた。ウィルの変わらぬ様子に、段々と苛立ってくる。この男はどうしてポーカー・フェイスを崩さないのか。
「貴様、まだ勝てる気でいるのか?」
ジャコウは訊いた。声には怒気がこもっている。
ウィルは流麗な視線を投げてよこした。どんな輩も背筋を震わすほどの妖しさだ。
「まだ手はある」
ウィルの口調はいつも通り静かであったが、凄味は何倍も含んでいた。ジャコウは頭がサッと冷めていく感覚を味わった。ウィルの恐ろしさに今さらながら気がつく。
「ば、バカを言え。さっき、たった一体を倒すのにも苦労したではないか」
「一匹のハエを殺すのに弓矢を用いる者はいない。そういう理屈だ」
「い、一匹のハエだと!?」
一体でセルモアの街を破壊させた巨神像を一匹のハエに例えるとは。
吟遊詩人ウィルという男、果たしてどこまでの力量を持っているのか。
ジャコウは両拳をわななかせた。キッと美しき魔人を睨みつける。
「その言葉、地獄の底で後悔させてやるぞ!」
ジャコウは唾が飛ぶのも構わず、呪詛を吐き出した。
それを合図に、街の外で待機していた巨神像が一斉に動き始める。
ウィルは右手を天に捧げた。
「マー・カーク・シオン!」
すると、青く輝く天幕が空を覆った。それはセルモアの街ばかりでなく、山腹の領主の城までをカバーする。夕陽の赤に染まっていた世界は、青へと転じた。
ウィルの呪文の意味を悟ったのは魔導士ジャコウだけだった。一瞬にして、表情が凍りつく。
「け、結界……!?」
それは魔法結界だった。ただし、過去いかなる伝聞でも例がないほどの大きさだ。何しろ、セルモアの街一帯を覆い尽くしてしまったのだから。
ジャコウの巨神像たちは、その外に締め出された。ウィルの魔法結界に阻まれ、街に侵入できない。
だが、ウィルの目的はそれだけではなかった。魔法結界を張ったのは、別の意味がある。
それをセルモアにいた者たちは目撃することとなった。
「ギス・ダーグ・ヴィルミア・ガノン! 天空に漂いし星々の欠片よ! 我が声に答えよ! グンバ・デバデルマ・リ・カリオ! 光の星屑となりて、敵を討ち滅ぼせ! ガン・マッハ!」
ウィルは魔法陣を描きながら、黒魔法<ダーク・ロアー>最大の広域破壊呪文を唱えた。すなわち──
「メテオ・ストライクだと!?」
ジャコウは信じられぬと言う表情のまま、空を見上げた。
青いフィルターのかかった空に煌々たる光が灯った。一番星かと誰かが声を上げたが、ほぼ空の天頂という位置からも違うと分かる。その光は徐々に大きくなり、近づいてきた。
「流れ星!」
それこそ的確な答えだった。
流星が肉眼で易々と確認できるようになると、次第に大気を震わせるような音が轟いてきた。それは瞬く間に大きくなり、耳を塞がずにはいられなくなる。同時に流星は真っ赤な火球となって、頭上に迫った。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴォ!
人々からは悲鳴が巻き起こった。大気の振動は大地にまで及ぶ。まるでこの世の最期かと思われた。多くの者たちはたまらず目をつむってしまったことだろう。
勇気を持って最後まで目を開けていた人たちは、その瞬間を目撃したに違いない。灼熱の流星は《取り残された湖》──ラ・ソラディアータ湖に墜落すると、大爆発を起こした。
ドガガガガガガガガガガガガガーン!!
爆発の閃光に目も眩む。立っていられず、倒れ込み、頭を抱える者もいた。
もし、ウィルが魔法結界を張っていなければ、メテオ・ストライクの衝撃は街はおろか、周辺の山々にまで及んでいたことだろう。
隕石の至近落下に魔法結界の外にいた巨神像は、さすがのミスリル・ボディも用を為さず、その五体を文字通り粉々にされてしまった。
凄まじいエネルギー流と轟音は、すべてを破壊し尽くした。それがおさまるまで、誰もが生きた心地がしなかった。