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───。
やがて、耳が痛いほどの沈黙が訪れた。恐る恐る頭を上げる人々。まず、四肢を見て、生きていることを実感する。そして次に、周囲の様子を窺った。
「………」
街の外は世界が一変していた。辺り一面の焼け野原。森林などどこを見渡しても存在しない。いや、そればかりか、あれほど美しい水をたたえていた《取り残された湖》は無惨にも巨大なクレーターと化しており、湖は姿形もなかった。
誰もが驚嘆し、言葉を失っていた。ショックのあまり、失神してしまった者も少なくはない。
青い天幕のごとき魔法結界も、いつの間にか消滅していた。すると湖が元あった方角から、ムッとした空気が押し寄せてくる。凄まじい熱量を放出したメテオ・ストライクの影響の名残りだった。
ただ一人、そよ風が吹いただけのように何事もなくたたずむのは、吟遊詩人ウィル──美しくも恐ろしい破壊の使徒。彼の前では、最強と思われていた巨神像の大軍さえも、ただの石像と同じだったのかも知れない。
一番ショックだったのはジャコウだろう。十五年以上も前から“神々の遺産”を求めてセルモアへやって来た彼は、一度はバルバロッサに放逐されながら、再び舞い戻って探索を続け、執念でようやく発見したのである。目的は邪なものであったかも知れないが、そのたゆまぬ努力と探求心は素直に賞賛されるべきものであろう。その結果、強大な力を手に入れ、狂喜したのはジャコウならずとも無理からぬことかも知れない。だが、それがアッという間に消滅してしまうとは、誰が予想し得たか。
ジャコウは愕然とした表情をウィルに向けた。
「き、貴様は……何者だ……?」
ふらつく足で立ち上がる。そして、黒衣の魔人を指さした。
「メテオ・ストライクなどという強力な魔法を使えるのは……世界広しと言えども……」
そこまで言って、ジャコウの眼が大きく見開かれた。まるで何か思い当たったように。
「まさか……まさか……天空人は“大変動”を逃れるとき、地上にわずかな“監視者”を残したと言う……まさか、貴様は天空人の末裔では──!?」
ジャコウの問いに、ウィルの答えは決まっていた。
「ただの吟遊詩人だ」
と。
その答えを聞くか聞かぬうちに、ジャコウは《黒き炎》をウィルに放った。不意打ちだ。だが、ウィルはそれを跳躍して避けた。
「まだ戦うつもりか?」
隣の屋根に着地して、ウィルは問うた。ジャコウには切り札となる“神々の遺産”も、一緒に戦う手下もいない。だが、ジャコウは邪悪な笑みを消さなかった。すでに気が触れてしまっているのかも知れない。
「確かに、ここにはもう用はない。また、他の遺跡でも探索して、別の“神々の遺産”を見つけた方が良さそうだ。だが、貴様は生かしておけぬ敵だとハッキリ分かった。貴様が天空人の“監視者”かどうかはどうでもいい。これ以上、邪魔されては困る。だから、ここで始末させてもらうぞ! ──ラピ!」
ジャコウは呪文を唱えた。瓦礫の山を突き破って、中からジャコウへ黒い物体が飛来する。それをジャコウは手にした。
それは呪われし武具──悪魔の斧<デビル・アックス>。
かつての主であるゴルバが死しても、その邪悪な力は健在であった。
ウィルも《光の短剣》を抜いて、構える。
「この悪魔の斧<デビル・アックス>は、かつてオレが城付きの魔導士になるべく訪れたとき、バルバロッサに献上した品だ。ヤツはこの斧の秘密を知って、長いこと封印していたようだが、ゴルバによって幾多の血を吸い、本来の力を取り戻した。“神々の遺産”に比べれば、少し心許ない武器だが、貴様もこの街に隕石<メテオ>を降らすわけにもいかないだろう。さあ、行くぞ!」
戦いは再開された。
悪魔の斧<デビル・アックス>を振りかざし、ジャコウはウィルに襲いかかった。
黒き旋風と光の一閃が交錯する。
互いの攻撃を受けきり、両者は空中でその位置を変えた。
ジャコウもまた、ただの魔導士ではなかった。それに肉体は鋼のごとく鍛え上げられたシュナイトのもの。老人のそれではない。
「やるな、貴様」
ジャコウは息を荒くしながら、悪魔の斧<デビル・アックス>の刃に手をかざす。すると悪魔の斧<デビル・アックス>が《黒き炎》によって包まれた。魔法で剣などの武器を強化する呪文があるが、それと似た効果あるのだろう。
ウィルは顔の前に《光の短剣》を構え、相手の出方を窺った。
ジャコウはおもむろに悪魔の斧<デビル・アックス>を振るった。距離的にはかなり離れている。しかし、《黒き炎》が衝撃波を伴って、一直線に伸びた。
シュババババババッ!
ウィルはかわした。もし、受け止めようとしていたら、さすがのウィルも真っ二つにされていたかも知れない。その証拠に、ジャコウの一撃は瓦礫に埋まった大地を切り裂き、深い断層を作り出していた。その裂け目を《黒き炎》が彩っている。戦鬼ゴルバでさえも引き出せなかったパワーだ。
「ここは危ない! 下がって!」
悪魔の斧<デビル・アックス>と《黒き炎》によるコンビネーション・アタックを目の当たりにして、デイビッドはアイナやレイフらに、キーツを連れて下がるよう促した。アレを喰らっては、ひとたまりもない。
ウィルもまた、迂闊に近づくことが出来なかった。となれば、取る手段は──
「ディノン!」
ウィルによる魔法攻撃。マジック・ミサイルが無数の光条となってジャコウを射抜こうとする。
対するジャコウは、
「ディノン!」
と、同じくウィルの得意魔法を唱え、それを相殺して見せた。ジャコウの唇が吊り上がる。
「魔法は貴様の専売特許ではない」
その昔、セルモアを震え上がらせた魔導士は、その実力の片鱗を見せつけた。
だが、それはウィルも計算の内だったに違いない。ウィルの本当の狙いは、ジャコウにちょっとした隙を作り出すことだった。
茜色に染まる廃墟に美しい旋律が流れた。麗しき弦の音。思わず、その音色の主を捜さずにはいられなくなる。
誰もがその正体を見た。ウィルの吟遊詩人たるゆえん──銀の竪琴。
ジャコウはその旋律に魔力を感じ取っていた。
「まやかしか!?」
いつの間にかジャコウを四人のウィルが取り囲んでいた。銀の竪琴を奏でながら。
それこそウィルの魔奏曲“幻影<ミラージュ>”である。