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開放的な外で半裸をさらしながらも、周囲に誰もいないことを幸いに、アイナは恥ずかしがるような素振りを見せなかった。そのまま湖の波打ち際まで近づく。
湖水は昨夜の嵐で濁っているようなことはなく、底をも見通せる透明度を保っていた。アイナは手にしていた手拭いを水に濡らして絞ると、汗をかいた上半身を拭き始めた。ヒヤッとした感覚に、最初は身を縮めたが、それも次第に慣れ、首筋から胸、そして腋へと手を動かす。そのたびに弾力の良さそうな乳房が揺れた。
カチャッ!
アイナの耳が、水音の中に金属の触れ合う音を捉えた。視線を背後の大きな岩、それも上の方へと向けていく。
「よ、よおっ!」
バツの悪そうな、それでいてニヤけた男の顔がそこにあった。浅黒い顔に無精ヒゲを伸ばし、髪の毛もくしゃくしゃだったが、意外に若いのかも知れない。いや、そんな観察をしている場合ではなかった。
「きゃあっ!」
アイナは悲鳴を上げて、胸を覆い隠し、しゃがみ込んだ。それでも隠しきれずに、男に対して背中を向ける。
そんなアイナの反応に、男は破顔した。
「すまん、すまん! この岩の上で昼寝していたら、いきなりアンタが服を脱ぎだしたんで、つい、声をかけそびれちまったんだ」
言葉には謝罪を込めているが、全く悪びた様子はなかった。男は岩の上から飛び降りると、何もしないと意思表示するように手を広げてみせる。ただ、何気にアイナの方へ近づいていくのは、下心を持っての行動としか思えない。
一見したところ、男は剣士のようだった。腰に長剣を帯剣している。先程、耳にした金属音は、この長剣が立てたものだろう。
「こっちに来ないで! あっち行って!」
アイナは男を睨みつけながら、少しでも離れようと後ずさった。
男も嫌われるのは本意でないのか、肩をすくめて大岩の反対側へと回る。
「これでいいか?」
男はとぼけた口調でアイナに確認を取る。アイナは男の姿が見えなくなったのを確かめると、急いで服を身につけだした。
「服を着るまで、こっちを覗かないでよ!」
「分かってるって」
そう言いながらも、男は首だけを伸ばした。途端、クロスボウの弓が伸びる音がして、慌てて首を引っ込める。
「おお、こわっ」
アイナは男を牽制しながら、なんとか服を着ることが出来た。恥ずかしさに赤らめた顔も、今では別のものになっている。
「いいわよ、出てきて」
アイナから許可が出て、男は両手を上げながら、岩陰から出てきた。ポーズはともかく、相変わらず反省の色はなく、顔はニヤけてる。そんな男に、アイナはクロスボウを向けていた。
「のぞきなんて、男として最低ね」
「おやおや、手厳しいね。言ったろ? オレは岩の上で昼寝をしていただけさ」
「もう少しレディに対する礼儀はないの?」
「生憎、そんなにいい育ちじゃないんでね」
「それは見れば分かるわ」
男は膝をカックンさせた。
「可愛い顔して、ハッキリ言うねえ」
「今頃、おだてたってダメよ」
アイナは柳眉を逆立てて睨みつけていたが、ふっと疲れたような顔を作ると、急に男への興味がなくなったかのように、その場から立ち去ろうとした。マントを羽織り、荷物を背負うのを見て、男は拍子抜けする。
「お、おい。アンタ、これからセルモアに行くんだろ? オレも立ち寄るつもりなんだ。街まで一緒に行かないか?」
「何でよ?」
素っ気ないアイナの反応。
「女の一人旅なんて危ないぜ。オレがこの剣で守ってやるよ。こう見えても腕には自信あるんだ」
「もう目の前まで来てるって言うのに、今さら危険なことがあるって言うの?」
「そりゃあ……まあ、あるかも知れないし……」
「ないかも知れないってワケね。はい、さようなら」
「だから、待てってば!」
男はしつこく食い下がった。ナンパの鉄則である。
「別に一緒に行くくらい構わないだろ?」
「のぞき魔と一緒に?」
「だから、誤解だよ。覗くつもりなら、わざわざ出て行かないって!」
「どうだか」
二人の出会いは最悪すぎた。男は相手にもされない。それでも二人の目的地と道は一つなので、自然に同道することになってしまうのだが。
アイナを先頭にして、その後を男がついていくことになった。しかし、無言。空気が重い。百歩も行かないうちに男がじれた。
「オレ、キーツってんだ。今までダクダバッドとガリの戦争で傭兵稼業をやっててよ、オレがついたダクダバッドが勝ったんで、晴れて故郷に凱旋する途中ってわけよ。アンタ、名前は?」
「………」
「名前くらい、いいだろ?」
「………」
キーツは降参した。こりゃ、ダメだ。
二人は会話もせずに、静かな湖畔の道を黙々と歩んだ。