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[第一章/−−4−−]



吟遊詩人ウィル・神々の遺産

第一章 湖岸の吟遊詩人(4)


「おい、生きているのか?」
 遅れて到着したキーツがやや離れたところで止まり、アイナに尋ねる。
 アイナは冷たい首筋に指を当ててみた。初めは止まっているのかと思ったが、微弱ながら脈を感じられる。生きている。だが、早く身体を温めないと、衰弱死してしまうのは時間の問題だ。
「キーツ、手伝って!」
 子供とは言え、衣服が水をたっぷり含んでいるので、女の細腕では動かすにも骨が折れる。だが、助力を請うても、キーツはその場で躊躇していた。
「何してるの!? 早く!」
 アイナの口調がきつくなる。それでもキーツは動けなかった。アイナの足下にいる仔犬のせいで。
「その犬を……なんとかしてくれねーか?」
「バカ! 非常時でしょ!」
 そこまでアイナに言われて、キーツは腹をくくった。もっとも、急に犬嫌いが好きになれるわけでもなく、目をつむり、腰はへっぴり腰状態という情けない格好だったが。
「よいせっと!」
 キーツは湖の水が打ち寄せてこない、乾いた下生えまで子供を運ぶと、仰向けに寝かせた。そこでようやく男の子だと判別できた。まだ十歳くらいだろうか、あどけない顔に濡れた金髪が貼りついている。
 キーツと身体を入れ替えたアイナが少年の衣服を脱がしにかかった。このまま濡れた衣服を身につけさせていたら、益々、体温を奪われてしまう。
 胸のボタンを外した途端、アイナの目に青い石の輝きが飛び込んでいた。仔犬が首輪にしているあの石と、大きさも色も同じだ。少年はそれをペンダントにして首から下げており、胸の上で小さく転がっている。仔犬のものと一緒と言うことは、少年が飼い主なのだろうか。仔犬がしている首輪の石と見比べてみる。
「おい、どうした?」
 アイナはキーツの声で我に返った。今はこんな事をしている場合ではないのだ。
 少年の衣服は濡れているために脱がしづらかったが、悪戦苦闘の結果、なんとか裸にすることができた。もちろん、ペンダントはそのままにしておく。次に背負い袋から乾いた手拭いを取り出し、全身を拭いた。そして、野宿用に持ち歩いている毛布を広げ、少年の身体を包み込む。
 だが、こんなことは応急処置にしかならないだろう。火を起こせればいいが、昨夜の嵐で木々は湿ってしまっている。他に執れる手段は──
「キーツ、この子を街まで運んでくれない?」
「え? オレが?」
「お願いよ! このままじゃ、この子、死んじゃうわ!」
 アイナの懇願に、キーツも断りきれなかった。それに子供を見殺しに出来るほど非道な人間でもない。
「わ、分かったよ」
 まだ足下にまとわりつく仔犬が気になって、キーツは恐る恐るといった感じだったが、少年を毛布にくるんだまま抱き上げた。屈強な傭兵として鳴らしたキーツにしてみれば、少年を抱き上げたまま歩くことなど造作もない。湖岸からセルモアへの道へ戻り、先を急ぐ。アイナと仔犬もそれに続いた。
 だが、すぐそこだと思われた街への距離は、意外に遠かった。それは道が湖に沿って延びているため、緩やかにカーブしていたからである。だから、歩けど歩けど、街の全景はなかなか近づかず、したたる汗と焦りだけがアイナたちを疲弊させた。
 太陽が間もなく頭上に差し掛かる頃になって、行く手から数騎の人馬が近づいてきた。何かを警戒しているのか、手には長槍<ロング・スピア>を持ち、周囲に鋭い視線を飛ばしている。武装しているところを見ると、セルモアの兵だろうか。当然ながらアイナたちの方にも気がついており、こちらを窺いながら仲間同士で何やら会話を交わしている。なんだかイヤな予感がしたが、ここで逃げ出すのは得策ではないと思われた。
「止まれーっ!」
 威圧的な声が轟いた。五人の武装した男たちの先頭にいた兵士が、アイナたちに制止を命じる。もちろん、大人しく従った。すると、他の男たちがアイナたちを取り囲むようにする。馬上から見下ろされるのは、実に不愉快な気分だった。
 仔犬も同様に彼らが気にくわなかったようで、甲高く威嚇の鳴き声を上げ続けた。
「どこへ行く?」
 アイナたちに止まるよう命じた男が尋ねた。この道を真っ直ぐ進めばセルモアの街しかない。愚問だった。
 だが、ここは辛抱強く対応しようとアイナは心がけた。
「セルモアの街です」
「お前もか?」
 これはキーツにだ。黙ってうなずく。だが、帯剣したキーツのこういう態度は、相手の印象を悪くするだけだ。
「抱えているものは何だ?」
 さらに詰問を浴びせてくる。
 キーツに代わって、アイナが一歩、進み出た。
「子供です。先程、湖の岸で倒れているのを発見しました」
「なに!? 子供だと!?」
 男たちの表情が豹変した。驚きと恐怖。アイナには、そう窺えた。
「はい。溺れていたらしく、身体が冷え切っています。早く温めてあげないと死んでしまうかも知れません!」
「うむ。どんな子供だ。顔を見せてみろ」
 アイナは命じられるままに、頭からスッポリとかぶせていた毛布をめくり、少年の顔を見せる。
「あっ!」
「デイビッド様!?」
 ──デイビッド? それが、この少年の名前?
 男たちはうなずき合いながら、何やら互いに確認する素振りを見せた。
「ご苦労だったな。その子は我らが街に連れていき、介抱してやろう」
 いきなり男たちは懐柔するかのような態度をとった。明らかに少年の正体を知って、連れて行きたがっている。
 本来なら、馬に乗った彼らに少年を任せ、一刻も早い処置をしてもらった方がいいに決まっている。しかし、アイナは彼らに胡散臭いものを感じ取っていた。心の中の自分が、男たちに少年を渡してはいけないと警告している。
 キーツが黙って、毛布にくるまったままの少年を引き渡そうとした。それをアイナが制する。
「せっかくのお申し出ですが、私たちが街まで連れていきます!」
 アイナはきっぱりと言い放った。狼狽したのはキーツの方である。
「お、おい! ムチャ言うなよ! コイツらに任せれば、万事丸く収まるんだぜ! それにコイツらはセルモアの兵たちだ! ここで揉め事を起こすのは、後々、よくない!」
 キーツの言葉など百も承知だ。だが、アイナは自分の心の中の声に従った。
「この人たちが親切心から助けてくれるつもりなら、顔を確認する前に申し出てくれたはずよ! この子には何かある! そして、この人たちにこの子を助ける気なんてないんだわ!」
 最後の一言ははったりに近かったが、これに気色ばんだのはセルモアの兵たちだ。長槍<ロング・スピア>の矛先をアイナたちに向けながら、逃げられないように取り囲む。
「我々に逆らうつもりか!? ならば、多少は痛い目に遭ってもらうぞ!」
 先程からのリーダーらしい男が恫喝の声をあげる。アイナとキーツは互いに背中をくっつけ、男たちの包囲に対した。


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